これについては、今までのように、なかなか、「ヒドイ!!」という
気持ちが起きない。なぜか。
13号線を過ぎて、すぐ米沢、というところに育ったからか、
父が蔵王の麓の七が宿が実家で、文化圏が高畠とかだったからか・・・宮城にはどうもコンプレックスは抱くが、山形は福島となんか似ている気がするからかも・・・

山形は、ここまでずっと福島を応援してきているし、避難している人をたくさん受け入れているし、宮城か岩手か、とにかく広域処理も一番最初からしてくれている。

やるだけのことをしてくれている山形が、「ダメ」と言った、これは衝撃です。ええっ!?という感じです。だから、普通の広域処理拒否とかの自治体とかとは全く違う、「よくよく考え抜いたこと」という重みを感じるからだろうか・・・。

しかも今回は、放射線の濃度を問題視しているのではない、と山形の担当部局が言っている。

「福島」だから風評被害を受ける(首都圏などの消費者に)というコトだ。これこそが差別だ、ヒドイハナシ、という意見も多い。

だけど・・・

「これはチェルノブイリの土だよ、といわれたら、どう?」とツイッターで読んだのですが、「チェルノブイリの土」と言われたら、たとえ汚染していないところの土でも、身構えないでしょうか、だれもが。これが偏見というものではないでしょうか。

そして私らは、・・・・「チェルノブイリとは違う」と、何の迷いもなく言うではありませんか。
「チェルノブイリ」と言えば、すべて、「福島とは桁違いの事故」、これはチェルノブイリに住む人から見たら、どうか。・・・・でも、私もそう思いつつも、その後も何回も何回もそういうこと言っているんだけど・・・。人のこと言えません。

たしかにチェルノブイリとは違う、それで皆が安心する、だけど、そこに暮らしている人は居ますよね。チェルノブイリから、福島を心配している人が、福島がそうやって言っているのを聞いたらどうか?

チェルノブイリとは違う、と言うのではなくて、チェルノブイリとともに福島を考えていこう」と、「プロジェクト福島」立ち上げたミュージシャンの大友さんのことを書いたのは、震災半年後のこと・・・・。


つまりは、科学的な意味において、ひどさは、チェルノブイリの事例よりは、福島はずっと軽かったかれど、風評の意味ではひどさは、チェルノブイリと同じということなのだと思います。

大友さんのいう、「チェルノブイリの人たちとともに」っていうのは、そういうことではないかと思います。彼らに学び、彼らを追体験していくしか、ないんだと思うのです。これは科学の問題ではないからです。





【追記、若干修正】

山形県知事が会見しました。http://news24.jp/nnn/news8873694.html

ポイントは「放射性物質に関する土壌の環境基準がなく、県民に安全性を説明できない」というところではないでしょうか。

なるほど。今回の事例は、「福島県内のものは福島県内で処理する」という国の指針を受けてのものだったのですね。たしかに、そのとおりでした。これで疑問が氷解しました。あれほど、広域処理のときに言われていたことであり、「福島じゃないから大丈夫っていわれているみたいで傷つくよ・・・」ってこのブログでも書いたかと思いますけれど、今回、これが枷となったということですね。

さすがに、山形県です。何か理由があるとは思っていましたが、そこでしたか。言われるまで全く失念していました。だれもがそうではなかったかと思います。

しかし、知事の言うことは筋が通っていると言わざるを得ません。ここをどう進めるかは別にしても、山形県なりの理由があると思いました。





それにしても、福島民報は「受け入れ拒否」、山形県の新聞は「受け入れ自粛」というふうに書き分けたとのことです。

すぐ思い出すのは、救急車の「受け入れ拒否」(患者側)VS「受け入れ不能」(医師側)の書き分けです。

同じ事象も、あちらとこちらでは全く表現が異なり、そして、言葉自体が相手を傷つけます。傷ついた福島を代弁した新聞の見出しを見て、山形の方も心を痛めたのではないか。知事も同様で「風評被害を助長するという批判があるとすれば、大変残念で悲しい気持ちだ」と述べています。


言葉は諸刃です。注意しなければ。


【さらに追記】

タイトルかえました。拒否→無理

「もっと福島のことも考えてほしい、隣の県の知事なんだから」という気持ちも、私には、ないといったらうそになりますが、やはり、彼女は福島県の知事ではなく、山形県の知事なのだ、ということです。今回のことは、山形県民の感触を受けてのことに違いないはずです。民(山形県民)の声を聞き、そうしたのだと思います。

吉村知事は、「風評助長と言われたら悲しい」と言っていますが、これに関しては、はっきりと、今回の事実、それこそが風評なのだ、ということを、ご自覚いただかなくてはならないと思います。だけど、もし「風評ではない」という認識ならば、そこから前には進まないし、こういう談話は出さなかったはず。。それを考えるといたたまれなく、すまない気持ちだ。

私にとっては「隣人なんだから堅いこと言わないで独自の基準で助けてくれたって・・・」とか思うけれど、それは、自分の甘えだと思いました。枠作りは必要であり、逆の立場でも、そうです。万が一何かあった場合に、(たとえないとしても)責任をとるのは知事自身となります。だからそれは、国の仕事なのでしょう。
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