海原純子先生が、読者の悩みを受け付ける新聞紙上の回答に、
「不安にどう向き合うか」ということで
非常に的を射たことを言っており、切り取ったのですが、それをどっかにやってしまいました・・・
(読売の5月7から12の間だと思う)

検索したら、海原先生が震災1カ月ぐらいたったときに書いていたブログが出てきたので、これを転載して不安への向き合い方に代えようと思います。



「不安を乗り切るすべを」

震災の直後からわきあがった「被災地を応援しよう」という温かい波が少しずつおさまると共に、被災地以外で「不安」を訴える人たちが増えている。

太平洋プレートの今後の地震が心配、原発事故はどうなるのか、日本の経済や産業が下降すると自分たちの暮らしは……。こうした不安が、すっぽり日本全国を覆っているようにみえる。

大人の不安は子供に影響するし、不安は人から人へと伝わっていくもの。これをストップさせるにはどうすればいいか。ということで、このところ多くの有職者が、「早く震災以前と同じ元通りの生活をするように」と述べている。

普段テレビのお笑い番組を見ていた人はそのように、といった意見だが、私はこれに異論がある。

12歳以下の子供は、震災のおこる前と同じ日常生活になるべく早く戻すのが適切だろう。気分を変えるのは大切なことだ。

ただし、大人が、震災や原発事故の経過を見て見ぬふりをしてはいけない。わきあがる不安をお笑い番組でまぎらわさずにしっかり受け止め、より根本的に不安を乗り切るすべを探すことが必要ではないかと思う。

一般的にも、病気や事故など人生の危機に遭遇したときは、その苦しみや不安をどう受け止めて乗り切るかによって、危機が決して悲惨なものにならず、かえって気づきや豊かさを生み出すことも多いからである。

さて、今回の震災で改めて気づかされたのは、「生きている」ということが、多くの奇跡的偶然の上に成り立っている事実である。友人の一人は、あの日、東北へ出張中に津波にあい、間一髪で車に乗って高台へ逃れた。別の知人は、東北からの帰りの新幹線を降りた東京駅で、地震にあった。

震災にあったのは自分かもしれないし、家族だったかもしれない。それに気づくと、「生きている」とは「生かされている」ことだと分かる。これはたしかに、いつどうなるか分からないという不安を生むかもしれない。他方で、今、自分が生きていると強く認識して一瞬一瞬を大切に過ごす姿勢につながる。

私自身、「明日どうなるか分からないなあ」と不安になったら、より強く、今を最大限に幸せに充実させようと心がける。一瞬の質を高めようとしたとき、不安は減る。

もうひとつ気づいたのは、水や電気、交通機関など、私たちは実に多くのものやことに恵まれていながら、その恩恵を普段は当たり前に思ってきたことである。

人はすぐ、持っているものに慣れてしまう。以前も書いたように、人は10億円の宝くじが当たっても、すぐ当たり前になり、幸せ感は続かない。便利さとものや財力という外的条件を追い求める生き方は、幸せを運んで来ない。

豊かさを受け入れて利用するとき、その恩恵にふと思いを巡らす。自分の持っている様々な多くのもの、ことを思うだけで相当に気分は変わる。持っているものを拒否するのではなく、無理な節約やケチケチではなく、自分の受けている恩恵の多さを思う心が幸せにつながる。

さらに気づいたのは、夢中になったとき、特に人を助けようと必死になったときに、不安は消えるということだ。自分の身だけを守ろうとする人は、不安でいっぱいだ。しかし、ひとたび保身を忘れると、不安はなくなる。

これは、震災で多くの人が、他人を助けようとして亡くなったことからよく分かった。津波を知らせるために最後まで車で走りまわり、波にのまれた人たちがどんなに多かったか。その方々の心に不安や死の恐怖はなく、ただ、他人を助けようという思いだけがあったのだろう。その方々は、「死」んだのではなく「生き切った」のだと思う。

今、生かされている私たちは、一瞬一瞬を大切に生き切ってみようではないか。この先の不安で意欲をなくすのではなく、今日一日を充分に生きる。そうやって、不安の波をよい気分の波にかえていきたい、と思う。
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