開沼博氏 続「フクシマ」論
文藝春秋2012年5月
副題は「空白に見える未来」

小見出し(文中ママ)と要約(これは私が勝手にまとめた)

・3・11が生み出した「空白」
社会にいろいろな空白が遍在するようになった。外からは見えない避難者の生活の場や、汚染地帯や、現実空間ではない国や科学に対しての信頼、エネルギー構成における原発の高い割合。。など。これは近い将来に日常に成り、社会の中に包摂されていくだろう)

・変化した町長メッセージ
「推進」だった井戸川町長(当時)が震災後は「もう原発はダメだ」

・何を持って「大熊町民」か
各地にバラバラに。大熊街が存在続ける理由や正当性はどこに?

・「再稼働の要請は当然のこと」
楢葉町長が第二を再開してもらいたいと言ったのを地元民には支持する人もいる。「(原発という)仕事があるなら戻る」

・バーでもらった「義捐金」警戒区域からみんなバラバラに避難、東京の避難所に1人で行くと、バーでお客さんに義捐金をもらった。
「分断」の内実には、地理的、経済的、家族、意識、、さまざま。みんな空白となった地元、職業、生活の充実感を埋め合わせようとするが。。。

・「内と外の分断」
除染も意味があるのか、という議論も盛んだが外から言うよりも中に入ると,「安全か否か」より「経済的意味」が浮上。
また、避難区域見直しによる分断。

・「原子力」に投影された幻想
3・11以前は、それらの地域は原子力を自ら求めて離そうととしない構造を作っていた。底に住む地域の人は、原子力に、地域の維持や発展、科学技術の振興、輝かしい日本の経済成長といった幻想を投影していたし、原子力こそが日本の戦後社会を根底で支えていた。

・避難させるリスクもある
飯舘村長、「2年で戻ると言い続ける」


・「『カオス』をつくりたかった」

南相馬市長、この千年に一度の機会を、生かしたい。今までの行政の手続の煩雑さをみて政治家になって「カオス」を作りたいと思ったが、こんな形で生まれてきた。この「空白」をまたとない機会に。日本が変わる機会に。

・消費から生産へ震災支援が消費に偏りすぎている。もの、カネを配り、復旧事業。「使って、使って」に終始。消費ではなく生産へ。でないと復興バブルの後が怖い。避難者にミシンを貸して何かを作らせる、被災地ブランドではなくクオリティー、付加価値のあるものを。


・「再『宗教』化」と呼べる現象
(ここ重要なので途中からラストまで、全文抜粋)

3・11は、私たちが「科学的だと信じ込んできたもの」が、実は「科学的ではないもの」であることを私たちに示した。そして、その中でせり出しているのが「宗教」的な社会現象にほかならない。「宗教」は失われた信頼・信用の「空白」を埋め合わせることを求めながら、「信心」ごとに分断された人々を作り出す。

例えば、放射線が危険か安全かという論争を見る。危険だという者は「この期に及んでまだそんなおかしなことを言い続けているのか」と非難し、逆に安全だという者は「そんなにヒステリックに騒ぎ立てて、常軌を逸している」と攻撃する。互いに互いをカルト宗教団体のように見立てて、議論が成立しないどころか、議論すればするほど「分断」は深まる。一方で、「普通の人」が関与しない状況ができあがる。

都内で、2人の幼児を抱える母親はこう語った。

「最初は、本もいろいろ読んでみたし、デモや集会に行ってみようかなと思ったんです。何の情報もなかったし、避難をしようにもできない事情があったから。ただ、熱心なお母さんから『デモ行きましょう、集会行きましょう、署名してください』としつこく言われるようになって、悪気はないんでしょうけど、なんか違うなと。『マスコミが言っていることは嘘と捏造で、政府は事実の隠微ばかり。このままでは大量の子供が病気になる』っていう話を熱心にするんだけど・・・」

「熱心なお母さん」をやり玉に挙げるつもりはまったくない。彼女からすれば、「私はこんなに情報を集めて、みんながわかっていない多くのことを知っている。みんなの健康とこれからの社会のことを考えているのに、なんでわかってくれないの」と、思ったような反応が返ってこない状況に孤独感を募らせ、正義感を滾らせる。一方で、それを見る側は、その「善意」に共感を抱きつつも距離をとり、「分断」が生まれる。

この「分断」を生むのは、自分たちが科学的合理性に基づいた話をしていると「信仰している」からに他ならない。本来一つに収斂されるはずの科学的合理性が複数並立し、互いの認識を全く共有できない。目の前で起こっている不条理な状況に「実は、裏では●●が動いていて・・・」という半ば陰謀論的な、あるいは「このままでは社会が絶対的な危機に陥る」という終末論的な理屈をつけることで、理解をしていく者も出てくる。

科学論争というより、むしろ宗教論争に近い。

もちろんそれは、前近代的な宗教とは異なり、宗教が一旦近代的な科学の洗礼を受けた上で、再度ブーメランのように戻ってきた「宗教」的な状況、つまり「再宗教化」にほかならない。

「あちらを信じれば死に、こちらを信じれば救済される」という形で分断した「宗派」同士が人々の情動を喚起しながら社会が再編されていく。地道な論理の積み重ねではなく、超越的な答えを設定した上でそこに向かって作られている物語への「信心」を持つ人々が突き動かされまとめ上げる。一方で細かく重層的な「分断」が新たに作られていく状況も生み出す。

そしてその「分断」を利用しながら、権力はむしろ強化されているのかもしれない」

「原子力規制庁?あれは『座布団移し』じゃないですか。経産省の人が座っていた座布団を、環境省に持っていく。経産省はみそぎをし、環境省は図体を大きくできる。面倒ではあるけど、お互いにメリットがある形で落ち着いたんです」(行政関係者)

一面的な見方かもしれないが、3・11以後の社会に起こりつつあることの一端を表しているのは確かだ。

「ここには今も生き続けている人がいるんです。外から『フクシマが-』って言う人は、そのことをどれだけ考えているんでしょうか。

政治家から、子を持つ母から、若者から、宗教者から、メデイア関係者から、言葉の細部は違えど、フクシマの地で聞かされ続けてきた。

3・11以前、福島第一原発を抱えた地域が原発を求めたのは、「愛郷心」を持つがゆえだ。「安定した仕事ができて出稼ぎに行かなくても済むようにしたい」「子や孫が残る地にしたい」がゆえに、原発のことも信じるしかないという「信心」とともに、原発を求めた。

その願いは、今となっては正反対の状況に帰結したが、3・11以後も形を変えた「愛郷心」は残り続ける。私たちは3・11以前にそうであったように、それをまた見過ごしながら、「フクシマ」を「神聖な場」としつつ、無意識の彼方に追いやろうとはしていないか。

「空白」を抱えた社会は今日も流転している。




私も、「それを見る側は~距離をとり」というところに、思い当たることがある。私は2012年の年賀状に、福島の人宛には、大分の友人の励ましののぼりの写真などを入れた内容で書いたが、福島にはゆかりのない私の友人には、福島の現況を10行ぐらいにまとめて書いた。

2013年年賀状は普通に戻したが、その年、今までやりとりしていたけれど、年賀状が来ない人が何人かいたのだ。これが現実なのかなと思った。おそらく福島のことでいっぱいいっぱいな私を敬遠したのだと思う。常人のようには見えなかったんだろうと思う。

年賀状も淘汰が必要だから、かえって断捨離になってよかったとは思ったが、それが1人とか2人ではないということが私の心に引っかかった。と、同時に、普通の人はそういうことに血道を上げないものなのだと思った。

これは私の経験した「分断」。



それから、「宗教論争に近い」という指摘だが、私はもちろん、安全派だけれど、いつのころからか、何か変だなと思うようになった。私が非難する、「危険だ」という人たちも、かなりの数で数字やデータを事細かに出していて、手強い。そんな人と論争したら私はかなうわけないと思う、その状況も、なんか変だなと思うわけです。

つまりは、鏡の中の世界と同じで、こっちが本物と思っていて向こうが鏡と思っているけれど、向こうは向こうが本物と思っていて、こっちを鏡の中のことと思っているということなのか?ということです。

だって、科学は一つのはずなのに、真実は2つあるということですから・・・







関連1:ネット内コミュニケーションで陥りがちな罠より

たとえ自分側の意見が正しいと確信しているのだとしても、 とりあえずは 相手側の意見にも耳を傾け、 理解を示すようにしましょう。この手の争いでよくある問題は、 それぞれの側が可能な限り敷居を高くしてしまって 自分たち以外の考えはみんなまったくばかげていると言い切ってしまうことです。 このような場合、相手側を説得したり意見を変えさせるようにしたりするのも 難しくなってしまいます。つまり、単に相手に「まちがっていました」 と認めさせるだけではなく「心から まちがっていました!」と認めさせなければならなくなるのです。 相手側に説得を受け入れてもらいやすくするには、 まずあなた自身の確信を押し付けないようにすることです。 つまり、現在行われている議論の内容をきちんと理解していること、 そして説得力があるかどうかはともかく、少なくとも分別はあるということを示すことです。 相手が返事を返す余地があるような意思表示をするようにしましょう。 そうすれば、状況は改善するでしょう。 結果としてあなたが望んでいたそのものは得られないかもしれませんが、 少なくとも、プロジェクトの士気に影響を及ぼすような巻き添え被害は防ぐくとができます。


関連2※「フクシマ」論 私の独断によるまとめ
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