脱原発社会を創る30人の提言
いろんな方の感想①、・・・・
「脱原発」という言葉を見るとどうもアレルギーを感じている(福島の健康被害を煽り、原発廃止の訴えをするという忌メージしかない)のだが、文中に池上さんの名があったので、借りてみた。
以下の4人の主張には共感できる部分が多かった。

田中優
池澤夏樹過去記事もあります
渥美京子
池上彰

私は、脱原発の意見を持つの福島の方や、友人が、「頭から原発は否」ということに対して、賛同できないスタンスでここまで来ている。「それはいいから、どうやって?」を議論したいのに、どうしてか、県民投票が知事選の争点だとか、原発は絶対に無理とか、受け入れらないとか言われる。。YES、NOに血道を上げると「HOW」がおろそかになってしまうと思うのだけど・・・

しかし、私は、もともと、エネルギー大量消費社会については、震災前からおかしいと感じていた。どうして夏の電力使用量が過去最高を更新、というのが、あたかも「よいニュース」のように報道されるのか不思議だったし、なぜ部屋を閉め切ってクーラーをかけ、外に熱気を出している人たちが、「地球温暖化ガー」と平気で言えるのかも疑問だった。せめて、暑くとも車の窓は開けて走れ、締め切ってエアコンつけるなよというような、細かいこともつぶやいていた。(車やめて自転車にしたほうが、なおいいことだし)

江戸時代の循環型社会は、不便やら公衆衛生の観点から到底無理だけれど、理念をあそこにおいて、せめて昭和40,50年ぐらいのレベルにまで下げて、エネルギー使用量を減らしていけないのかなとずーーーーっと思っていた。

それに、青森が第二の故郷である私は、核廃棄物については納得いかないものもずーーーーっと感じていたし・・。

だから世の中のいわゆる脱原発の方々と理念は似ているはずなのだ。でも、これだけ、脱原発の人がいるんだったら、どうしてそのライフスタイルを、市民から変えていこうというムーブメントが生まれないのか・・・電力ガーという人には、ほんと自分のエネルギー減らしてるのか?といつも思う。

だからひとりで、エネルギーをあまり消費しないようにしている。なるべく車は使わないようにしたり、エアコンはこの夏も使わない(家にない)し、食べ物は地産地消(※しかし味噌は会津・満田屋さんからお取り寄せです)、庭には軽く野菜の苗を植えて、冬の夜は電気関係ではなくて湯たんぽとか・・・。あと、携帯電話使用も激減中(もう役員終わったので)

この本に坂本龍一氏が出ているが、・・・・・やはり、あのテクノ音楽を生み出した人が言うのは、どうも納得がいかないのは,主張を読んでも同じ。・・・八重の桜の曲もいいしナ。作品はすばらしいんだが・・・。

それが、この田中優氏は、ライフスタイルを変えずして、企業活動のほうをなんとかすれば電力使用量は減るということを書いている。企業が電力を使えば使うほど電力単価が安くなるという設定をかえろという。
しかしこの人の言い分を100%信じることもできない気もするが、そういう考えがあったのかと思わされた。これについてどこまで正しいか、もう少し調べたいし,何か御存じの方は教えてください。

池上さんは、エネルギー使用量の点で、「バブル前まで戻れば良い」と言っている。それならできそうだよね?車は1台、エアコンは1台、テレビは1台、電話も家に1台。(携帯なし)・・ってかんじかな?私はこれで何ら問題ない。

それと、池澤氏の少ないエネルギーで暮らす小説は震災前に読んでいて共感していたし、渥美氏は、食物の放射能を問題にしているあたり、ゼロベクレルを希求する人かと思ったら、違った。何が違うかというと、やはり、福島に足を運んで、現地の方とふれあっている点なのだよな。

以下、渥美さんの文章を抜粋紹介します。・・・これを読むにつけ、震災から2年3カ月、市場に出回っているものは安全だとわかってよかったものだと思う。逆に計測している福島産が安全だとも思う。今から2年前の文章です。涙ものです。こういう東京人が少なからずいるのだと思いたい。


福島産の夏野菜は旬を迎えた。夏が終われば、米の収穫の時期がやってくる。この秋の米が売れなければ来年の暮らしが成り立たない。どう支えるかを緊急に考えなければ、生活が破綻する農家が続出する。それでなくても「福島のものを買わない」人が多数を占め、「給食に福島や北関東産の野菜を使わないで」という声も高まり、農家はすでに追い込まれている。

子供たちの給食にはできるだけ安全なものを使い、少しでも内部被曝を下げるべきだと私も思う。しかし、その「正論」は、農家を支えるための具体的プランや、国や東京電力に補償を求める声とセットでなければ、自ら命を絶った須賀川市の野菜農家や、相馬市の酪農家のような犠牲者が出続けるだろう。

電力だけでなく、東京の食を担ってきてくれた福島の大地。汚れてしまったから、汚染されていない土地の食べ物を買って食べましょうという発想を私は拒否したい。危険な原発を福島に押しつけ、豊かさと便利さを享受し続けてきた東京の人間は、大地の汚染をどう引き受けるかを考えなくてはならない。もう子供を産むことのない私は、福島の彼らが作ってくれたものを食べようと決めた。

だが、それは覚悟だけでできることではない。台所に立つたびに、容易なことではないと実感する。私には中学生の息子がいて、できるだけ汚染されていない大地で採れたものを食べさせたいと考えている。キュウリやトマトなら産地を分けて別の皿に盛れば良いが、ご飯はそうはいかない。炊飯釜が2つ必要になる。野菜の煮物は別々の材料を用いて、別々の鍋で作ることになる。

とんでもない手間がかかる。生活に即した実現可能な方法を用いなければ、日々の忙しさにかまけて覚悟倒れになりかねない。放射性物質を除去するための調理方法の研究や、免疫力を上げる食事の工夫もこれからの課題となるだろう。

悲しい現実ではあるが、放射能の時代を生きることになってしまった。現実を見据え、できる限りのことをしながら、前向きに生きるしかない。

これ以上、東北人を死なせてはならない。そのためには彼の地の恵みに育ててもらったおとなが責任をとるしかない。覚悟して食べるのだ。未来はその延長線上にのみ開かれる。


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