今、「震災後のことば 8.15からのまなざし」(日本経済新聞出版社)を
読んでいる途中です。(本の紹介は、こちらがわかりやすい
インタビュー形式。(宮川匡司 編 質問内容が情緒的で目障りに感じた)

ぱらぱら見て、「ん?」と思ったのが「竹西寛子 無知で楽観するのは怖い」です。題名からしてアウトだね。

それで、その竹西寛子さんの話だが・・・、震災後4カ月ごろのインタビューなのだが、ホウシャノウに対してあまりにも無知で悲観主義的。最晩年の吉本隆明氏の言説など深く重い警句等で構成されている中に、広島で被曝した女流文学家がうまく紛れ込んだという感じ。本全体が、「なるほどな」のような印象を人に与えるのに、うまくのっかって入っており、タチが悪すぎます。中立報道の日経なのに・・・。

いつも思うが、こういう、震災直後の混乱期に採取したホウシャノウに関する文章を、安易にハードカバーにしないでほしいんだけど!!! あのときと今では違うでしょう?

良文は転写するのも楽しいのだが、悪文・悪思想は転写に堪えない。ただ、メモはしたいと思ってどっかに何か出てないかと思って検索していたら、恐らくこの文章が日経の夕刊に載った、ということで、それを批判している方がおられたので、そちらを紹介しておきます。短文にてよくまとまっております。これ2011/5/31の文章です。

今日の夕刊に作家の竹西寛子が被曝体験を書いてました、
1929年生まれといいますから昭和4年生まれですね、82才、

16歳の時自宅で屋根も壁も吹っ飛び柱だけが残った、そんな体験を
して82才まで生き永らえた、有難いことです、
もちろん原因不明の病気や症状に苦しんできた、という、周囲にも
同じように苦しんでだり死んだヒトもたくさん居る、

変形性関節症で歩行もままならないとか、そんなの原爆とは
程遠い青森や北海道でも数え切れないほどワタシも見てきた
20代半ばに骨粗しょう症と言われた、原因不明の鼻出血に襲われた

こんなの青森でもたくさん見られたことです、どうしても原爆に
結び付けないと気がすまないのか、なぜ被曝しても人間の免疫力
で回復できることもあるのに思いを馳せないのか不思議です

爆心地近くで被曝して82歳まで生き永らえた、なぜ自分はこうして
これたのか、これを深く考えることの方がより後世のヒトのために
なると思うのですが、それじゃメシの種にならないからかな??

ほんとうにも福島で被曝したヒトを思うのであれば、爆心地で
被曝しても82歳まで生きてきた道中の経験なんかを教えてくれた
ほうがなんぼかいいことか、なんぼか有難いことか、

こういうヒト達の方位磁石が狂ってるとしか思えない、



知って楽観するのが一番いいけど、
無知で楽観と
無知で悲観ではどっちがいいのでしょう?






この中で、吉本隆明氏が注目に値すべき事を言っています。

今、論議の的ですけれども、僕は以前、反核の動きに真っ先に強硬に反対して、ずいぶん批判されてきました。けれども、原発をやめるという選択肢は考えられません。科学技術を少しでも知っている人なら、それ以外に選択はない、ということを主張しておきたいですね。

人間の肉体よりも固い物質を通してしまうような放射線を、動力に使うんだから、そのつもりでならなければだめだよと思いますね。

燃料としてはけた違いに安く産業化できるかわりに、使い方を間違えると大きな危険をともなう。「みすみす危険なところまで科学を発達させた」と言われるわけだけれども、発達させてしまったものは、発達させてしまったのであって、それを後戻りさせるという選択は、科学技術的には考えられない。発達した科学技術を、もとへ戻すっていうこと自体が、人類をやめろ、っていうことと同じだと思います。人間であることをやめろと。そこは、いくら批判されても変えることはできません。
だから危険なところまで科学を発達させたことを、人類の知恵が生み出した原罪と考えて、危険を覚悟の上で、防御の仕方を発達させていくしかない。

防御しなければ、人間はやっぱり生きられないから、防御には、原発の装置よりも金かけてもやるくらいでないといけない。今の原子炉のように、あんな、ごまかしみたいなものではだめ。科学者や技術者を組織的に動員して、もっと完璧な防御装置を責任を持ってつくるべきです。

(インタビュアー・エネルギー問題では、これだけ電力を消費する必要のない社会に戻れば良いではないかという意見もあります。例えば江戸時代は、電力を使っていなかった。提灯とか蚊帳とか、様々な工夫をして、みんな暮らしていた。それを思い出して、そういう方向に行けばいいではないかという意見もあります。高エネルギー消費社会を、小さな消費のエネルギー社会に変えろという議論ですが、それはどう思いますか)

僕はまったく、ナンセンスと思います。時代錯誤ですね。けた違いに安く電力を生み出す原子力を動力として使うのをやめるなんてことは、考えられません。


(以上)

前から反原発だった吉本氏・・・「原発をやめるという選択肢は考えられません」という部分、自分の目を疑い何度も読みましたが、やっぱり、そう書いてあります。

科学は一方通行だから、もう後戻りはできない。・・・・・というこの考えは、以前に、誰かも言っていたことです。

吉本氏は理工系出身の文学者です。だからそう考えるのかもしれません。

それにしても、江戸時代のように~とか、エネルギーを余り使わないようにすれば良いのに~とかは、私がずーーーーーーっと思っていることなので、「ナンセンス」「時代錯誤」と、初めて明確に否定され、、・・・とても衝撃を受けています。ダメなのか。池澤夏樹氏は何と言うだろう。

たぶん、象徴的に言えば、江戸時代に戻る、昭和3~40年代に戻る、バブル崩壊前に戻るとは、電気がつかなくてもいいのか、蛇口からお湯が出なくてもいいのか、車を手放しても良いのか、自分のPCを手放しても良いと言えるかどうかということなのだと思う。やはり、、、、それは無理なのだ。

ちょっとまた考え直します。




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