2年と4カ月が過ぎました。
報道では「11日」の扱いはだいぶ少なくなっていますが、
この先ずっと続くと思います。
翌日に、北海道南西沖の地震。。も出ていました。

その前に、吉田元所長さんが亡くなりました。ただただ、悲しみばかりです。ほんとうにありがとうございました。

でも、「メルトダウンを防げなかった」というNHKニュースがひっかかりました。
柳田邦男氏は「事故の真相を話していただけなくて残念」と言っていました。
「震災前、津波高15㍍の予想が出たのに、対策を取らなかった」という報道もありました。
金子勝氏が「極限状態で奮闘したことは認めるが、英雄視はいかがものか。メルトダウンを隠し、住民を屋内退避のままベントした事実を私は忘れない。生き証人が亡くなったことをよいことに事実も葬られていく…。
http://goo.gl/kHiJW」と言っていました。

日本文化には「死人に口なし」があります。何かに載っていましたが、「だから死んだ人にむち打つことを言ってはいけない」というのと、「死んだヤツに関係する事象はもうお蔵入りだからな」の2つの見方があるのが、日本の特徴です。・・・今回、それを身にしみて感じました。

つまりは、美化か、批判かに陥る・・・・、それが日本人の悪癖であるということ。

もうちょっと、冷静にできるといいんだろうと思います。

今、「八重の桜」再放送,観ています。。

「この戦を、震災後の福島に重ねようとしている人の目が不快だ」と思う福島県在住の方もあるかと思います。でも私には、会津がいつの間にか戦いに引き込まれていった理不尽さばかりが際立って見え、今現在の、風評被害や言われなき偏見に苦しむこの福島と重なって、たまりません。日曜日に見て、土曜日にまた見てます。

私は「八重」と原発事故が重なると感じていたのですが、
K&Uさんに、「八重」と太平洋戦争が重なる、と聞きました。そういえば私も何も知らないなと思って、今、あの戦争について復習しています。・・・・確かに、重なります。

頼母「恭順を!我ら全員腹を切って、開城を! さもなくば会津の民は根絶やしにされます!!」

鬼カン「敵に膝を屈するぐらいなら女子供に至るまで、城を枕に討ち死にすべし!頼母様は腰抜けだ!負けることばっか言いたておって」

殿「城と命運をともにする・・・」

頼母が再度の恭順(開場)を申し入れたときに、殿がそうしていたら、会津はどうなっていたのだろうと思います。当時はそんな選択肢はあり得ず、今だから言えるのだとしても・・・

「八重」、太平洋戦争、原発事故、と3つの負け戦から、第4の悲劇が起きないようにしたいなと思うのが、2年4カ月過ぎた今の私の心境。

今、開戦前夜に日米交渉に奔走した岩畔(いわぐろ)豪雄(ひでお)のことを読んでいます。頼母のような存在はいつの時代にもいたのだと思うんですが、なかなか表には上がってこないのが、日本という国だと思うのです。

頼母「八重、強ぐなれ。強ぐなんねど、ひとあしも前には進まねど。」・・・ですね・・・
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