「俺はいつか浪江に帰る」

先日、浪江が故郷の友人と話しました。

震災5カ月で会ったときは、「俺はいつか絶対に浪江に戻る」って言っていて、そのときに、浪江はその地形から不幸にして高線量となった・・・ということしか、私の頭に浮かばず、「どういうことなんだろう・・・」と思って、それ以上追求しませんでした。

先日会ったときに、彼の実家は避難指示解除準備区域で、日中は立ち入れるようになったと教えられました。それを聞いたときに、私は「そうなんだ!」と思ったのです。
福島人の私でも、「浪江」をすべてひとくくりにしており、それは、県外の人が「福島県」をひとくくりにするのと全く同じだったのだと、改めて偏見というか無知というか、外の者の認識の甘さは、その中の具体的な誰かを通してしか、解決しないのだということを思い知りました。

でも、解除も、この4月からのはずですね。・・・やっとなんですね。
線量は低いんです。0.3μSv/h以下とか、そんな感じらしいです。


「撮らないでくれ・・」


友人は、入れるようになったそのまちを、報道各社とともに回ったときに、地震で崩れてつぶれたままの家を写そうそうとする人たちの姿を見て、その家がもう可哀想でたまらなかったそうです。「カメラ向けないでくれーって思った。でも、みんなそういう絵になるところを探して撮っていくんだよね、それが当たり前なんだけど」そう・・・風化を防ごうと、報道人は使命を感じて写しているのかもしれません。

「相馬とか上の方は、整地されて、きれいになってきているんだ。でも、・・・うちのところは、そのまんま。2年経つのに、なんにも変わっていない。これを見ていると、本当に、見捨てられたんじゃないかって思うんだよ・・・」

どうして線量が低いのに、今までこんな状態だったのでしょうか。どうして福島市と同じかそれ以下なのに、暮らせないんでしょう。それは、自治体の区分、また、原発から10㎞圏内であり、原発がまた何かあったらいけないという距離感覚も、もちろんあるのかもしれません。

でも、やはり何かおかしいですよね。

下の子3人を連れて

浜通りは、2年前に長男と行ったことしかなく、下の子供たちにも見せたいと思っていたので、そのときに、友人の生まれ育ったまちも、行けるものなら、行きたいと思いました。
・・・でも、マスコミに曝されるのはつらいのなら、部外者の私が、見学に行くのも、本当はイヤでは?と思ったのですが、
「ぜひ見てきてくれよ」ということでした。

福島県は、もともと浜通り、中通り、会津に分かれていて、精神性も異なり、山に隔たれており、同一県という感覚がもともと薄かったと思っています。だけど、震災で、バラバラの福島県が一つにまとまるきっかけになるのではないか?という希望も、震災直後、実は私には、ありました。

でも、今、私の感覚では、・・・そうじゃないのではないか? 中通りや会津地方の人でも、浜通りを見学に行く人は案外少ないんじゃないのか? などという気がするのです。これは、統計とったわけではないので、何とも言えませんけど。。。。そんな余裕は、今、どこもないのではないかという気がするのです。県内ですら余裕がなければ、福島県外に行ってしまった避難民の方や、東京等、線量が福島よりずっと低いところで、「不安」「もっとちゃんと測って」という人の気持ちに共感すること、思いをはせるのを福島の人に求めるのは、無理というものではないか。

そして、行った感想ですが、・・・やっぱり、百聞は一見にしかずで、ぜひ、県外の、被害の受けていない人は全員、1回は、福島県に、浜通りに、足を運んでもらいたいなと思ったところです。

号南下、いつの間にか浪江に(南相馬との違和感を感じず入る)

浜通り方面に出てから、6号線を下って浪江を行けるところまで行こうと思いました。原町、小高、・・・そして浪江。信号はやってますが、店はやっていないのかやっているのか?よくわかりません。もともとまばらなせいもあるのでしょうか? 6号からまちなかに入るには、たしかに通行制限はありますが、人が立っていて、出入りする車も見られ、「死のまち」みたいには全然思いませんでした。

よく、都会とかの人が、「公園に全然子供がいない」とか「全然まちに人が歩いていない」とか言うけれど、地方ってそんなもんであって、東京みたいに公園に行って遊ぶわけでないし(自然があふれているから)、あんまり人は外歩いていないもんです。しかもこう暑くちゃ。うちのとこだって、そうです。それをわかってないで報道する人が多い気がする。

友人の実家は6号より海よりの辺りです。浪江町への立ち入りのしおり(ネットで見られる)によると、いろいろ制限があるようです(町民であり、通行許可証が必要など)。

まちなかは

しかし私はそれを知らないで行ってしまいましたので、現地で簡易手続をして、入らせていただきました。

このあとも、私らはあちこちで通行制限で止められましたが、帰還困難区域の制限と、浪江の一部のような線量の低い避難指示解除準備区域では制限主体が違っており、6号や114号のように帰還困難区域がかかる場合、国により法律で「許可証ない者は通行禁止」と定められているそうです。避難指示解除準備区域の制限は、防犯上の問題から、浪江町が制限しているものだそうです。

まちなかは、やはり、地震でつぶれた家もそのまま、傾いたのもそのままです。地震の被害が大きかったんだなということを感じます。草は生え放題です。さきほどのしおりによると、草も刈ってはいけないということになっているようです。・・・・友人が言っていたのは、こういう家に向けて切られたシャッターかもしれません・・・確かに、それは報道の使命ですが・・・そのときのことが目の前に見えるようです。(そして ごめんねと心で言いながら、私も写真を撮るわけなんです)

中学校もありました。草が伸び放題です。昇降口に回ると、ガラス戸から、大きな下駄箱が倒れたまんまになっています。校庭側から見ても、校庭にもびっしりと草が生えているようです。こんな大きな立派な学校なのに・・・・。夏休みで部活をやっているはずの子供たちがいない。

友人の家の近くにクリニックもあると聞きましたが、大きな病院ですが、草がやはりすごかったです。避難先の中通りで診療所を開設すると聞いていますので、ここにはもう戻らないのでしょう。なんとも、寂しげな大きな建物に見えました。

たしかに人の気配が

だけど・・・たまに、家に車がとまっていたりします。帰ってきている人もいるんだな、と、よかったな、と思います。家の中で、お掃除なんかしているのかな。水もガスも電気も使えない中、拭き取り作業ぐらいしかできないだろうけれど、心の澱も落とせるだろうか。

・・・そうこうしているうちに、防災無線が鳴りました。「4時までに町外に出るように」という放送です。・・・そうか、泊まれないんだな。下水に流すことすらダメで、トイレも町内に設置してあるようです。本当に短い滞在しかできません・・・

6号に向かう途中、それほど大きくはない畑に、トウモロコシが植わってて、30㎝ぐらい伸びているのを見ました。浪江はこれからだよ、今から育つ芽もあるのだよ、と言いたい誰かが、植えたのかな?

友人は、「俺は、小さな小屋を建てて住む。釣りをしたりして暮らすよ。だからそのときは遊びに来てくれよ」と言っていました。たぶん、そういう思いを持っている人は、彼に限らずいるのだと思います。トウモロコシの緑を見てそんな気がしました。

通行制限はいたしかたない措置だけれど

それから、6号から南下を試みましたが、双葉町との境で止められ、Uターンして帰りました。まだ線量は低くても、この先は、帰還困難区域があります。

来るときは、浪江に入ったのがわかりませんでしたが、北上して南相馬に入ったのは明らかに肌で感じました。6号沿いの店が動いているというのが、わかったのです。入るときは、全然意識しなかったのに、・・・不思議です。・・・

同じ自治体でも、帰還困難区域、居住制限区域、避難指示解除準備区域で、全く対応は異なり、行政運営も非常に困難だと思われます。6号には、スクリーニング会場もありました。6号の線量の高いところを通ってきた方は、ここでチェックを受けるのだろうか?

たまたま友人の実家付近は線量が低くて町民の方が立ち入れる、ということなんだけれど、不自由はたくさんあるのだなということも知りました。

私が一番感じたのは、道路の制限が厳しいことです。もっと融通が利かせられるのではないのか?と思いました。

それについてもう少し考えてみました。続(※諸事情により、一部文章修正しています)

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