このごろ、県民の方の「もう、そっとしておいてほしい」という言い分をあちこちで見ます。
「部外者は、もう、いいではぁ・・・」と思われるのも、さもありなんと思います。

いつまでも被災者と思われたくないし、がんばってと言われたくもないし、「福島」っていえば何か「助けを受けなければならない福島」と思われるけど、そうでなくて普通に接してもらいたい。という気持ちが伝わります。

いろいろなことはもちろんありましょうが、恐らく、福島の方々が少しずつ日常を取り戻せているということなのでしょうね。そしてそちらの方が大多数であることが、そういう意味での「風化」が進み、喜ばしいことだと思います。

うるしねまきさんのブログ記事で、山形のボランティアに参加したお坊さんの言葉が紹介されていました。
「当事者からすれば一日でも忘れたいという気持ちがある。忘れたいと思っている現実が今も続いていることを忘れないでください。」

そしてうるしねまきさんの言葉は
「忘れたい気持ちを我々は忘れない。これも含蓄がある言葉だ。繊細な被災地の人々の心境、我々はやさしく見守りたいと思う」

御意です。私は、震災2年の3月に書いたように、風化することも大事だ・・というようなことを書きました。福島の方のブログは、平常運転になっている方が多いですね。

「出身者の熱い気持ち」に辟易している方もおられるので、基本的には、もう見守るだけでいいという感覚を持っています。「出過ぎちゃ真似をすまい」です。「寄り添う」なんて離れている以上無理だし、「代弁」も外部の者には不可能です。

ただ、多くの福島の人は、何か困ったことがあっても、特段、何も言わない気がします。寡黙で辛抱強い方が多いからです。・・・会議で「意見はないですか」と言っても誰も手を挙げない。だけど、「じゃあ○●さんどうですか?」と促すと、すばらしい意見を言う人いますよね。・・・・あんな感じだと思います。思いは深く強いはず。
だから、自分がそういう場面にいたなら、その促し役であればいいのかなあとも思っていました。




一方で、前回のエントリに書きましたように、「見捨てられている」と思っている方も確かにいるのだということです。

浪江を訪れて、いろいろ疑問があったので、二本松にある浪江町役場に、子供と私で質問を封書で送りました。

そしたら、まず電話がかかってきて「Kさんへの返事は書きましたが、お子様のはこれから書き下し文を書きます。でもそうすると、自由研究ということで夏休みに間に合わないかと思って・・・」と職員の方の、懐かしい福島の言葉で尋ねられました。迷惑だろうなと思っていたので、その言葉のあたたかみは、うれしい方の、予想外れでした。

それで昨日、メール添付にて、丁寧な返信が来ました。以後ブログでもふれるかと思いますが、冒頭「放射線の問題から、子供たちに対して、原子力災害に見舞われた被災地のことはタブーとしている方もいらっしゃる中で、自由研究の題材に被災地のことを取り上げていただけること大変嬉しく思います。」とありました。

我が家に関しては、原子力災害を受けた被災地のタブー視はもちろんありえません。が、確かに、「応援」「気にしない」のさじ加減は難しいと思っていたところです、しかし一方で、外部の人間たちが、遠巻きにして「ふれちゃいけない」「きいちゃいけない」「入っちゃいけない」と、「抑制」することで、逆に置き去りにされる部分もある。というようなこともあるのかと思いました。

さきほど紹介の記事で、うるしねまきさんは、飯舘の菅野村長の言葉を紹介されています。
「一番思うことは風化させないでください。忘れないでくださいということ。でもそれをある先生に話したら、風化は浄化でもあるといわれた。浄化される時に前向けなのか横向きなのか、後ろ向きなのかによって全然変わってくる。前向きの浄化が必要だ。」

うるしねまきさんは、こう書かれています

「前向きの浄化」とは言い得て妙だ。原発事故問題の真ただなかで奮闘する村長が話すから余計重みを感じる。除染率はいまだ2%程度という厳しい環境でも前向きに突き進んでいこうとする村長に熱き声援を送りたい」

私もです。やっぱ、がんばっぺない!なんだなぁ

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