飯舘は、浜通りなんだよなぁと以前に漠然と思ったことがあります。
「海が遠いのにな」
でもそれを言うのなら、いわき三和あたりで、「山の中なのにいわき市なんだよなあ~」というのも似ていますね。葛尾に行ったときも、都路に行ったときも思いました。行ったことはないけれど川内もですね。

帰省の折、飯舘も立ち寄りました。線量はだいたい2μSv/hぐらいでした。しかし、浪江と異なり、進入制限には出合いませんでした。飯舘は一部、帰還困難区域はあれど、ほとんどが居住制限区域で、浪江とは状況が違うということもあるでしょう。また、浪江町の職員の方によると、浪江は震災直後に避難指示が出て、とるものもとりあえず避難したのに対し、飯舘は時間が過ぎており、避難の準備をして戸締まり等をしてから避難したという違いがあるということが大きいようです。

人の姿は見えませんが、村の中心部には車がたくさん止まっており、事業を続けているところがあるのだと、あとで知りました。

村役場のあたりは線量も1未満と低くとも、他の部分は違うことが問題視されてはいましたが、しかし、2μSv/hだとして、それが一体、どの程度、体に影響を及ぼすというのでしょうか。

4年生の3男も「浪江はバリケードあったから、危ないってわかったけれど、飯舘はそういうのがないのに線量が高いから、何か体がおかしくなったらどうするの」と聞いてきました。ですので、計算をさせて、まとめてみました。

(居住制限区域の)飯舘は、ぼくたちが行った(避難指示解除準備区域の)浪江より、放射線量が多かったです。浪江は立ち入り禁止の人があちこちに立っていたけれども、飯舘は2μSv/hだったけどふつーに入れました。放射線量が多いのになんで入っていいんだろうと思いました。

ぼくが、(自由に立ち入りできる)飯舘に家があるのと、(低くても制限されている)浪江に家があるのとどっちがいいとお母さんに聞かれました。ぼくは(制限されている)浪江にあるほうがいいと思いました。その理由は、(自由に入って)飯舘で放射性物質をあびて変なふうになったらいやだからです。

でもお母さんに聞いたら「2μSv/hぐらいじゃからだに影響を与えないよ」と言われました。

2μSv/h×24時間×365日=17528μSv/y=17.5mSv/y
(1000μSv=1mSv)

これをあびるとからだにえいきょうをあたえるという人もいるけど、お母さんは「なんにもなんないよ」と言いました。

実際は、ずっと外にいるのではないので、ひばく量はもっと低い。

外の線量を100として、家の中の線量を60とすると
(「放射線災害と向き合って」福島県立医科大学附属病院被ばく医療班著 を参考)

ぼくが飯舘に住んでいたら
授業6時間×体育2時間×自宅13時間×屋外3時間
0.05μSv/h×6+0.1×2+2×0.6×13+2×3=19.1μSv/d
19.1μSv/d×365=6.6615mSv/y

上の計算式で出したのよりも、実際はずっと低いことがわかります。


お母さんは100mSvならからだに影響を出さないと言っているけど、でもぼくはちょっとこわいです。でもからだの中にも自然の中にも放射性物質はあると言っていました。


このあとまだまだ続くのですが・・・とりあえずここまでにして・・・


私は、「飯舘の線量じゃ、何も影響は起きないよ」と我が子に対して言いました。国や専門家が言えないのなら、お母さんが言いますよ、ということです。

それで十分じゃないのでしょうか?

普通にこうやって、放射線について考えさせていくと、やはり、子供というものは、「通せんぼされたこと」「人が帰ってこないこと」等、ふだんの生活では出合わない事に対し、「何があるんだろう」「何かあるんだ」と、警戒感を持つのだと感じました。未知のものに対して「なんだか怖い」というふうに思ってしまう能力があるから、人間として生き延びていけるとも言えます。

私が「なんともないよ」と言っても、それでもなお、何回も「こわい」と本人は書いています。未知のものへの恐怖感を生まれながらにして持っているのが子供の自然な姿なのだな、ということを、書かせてみて知りました。

だから、「影響があるかもしれない。わからない」と言われて育つことは、・・・・それは恐怖でしょう。

以前、ひまわり先生が原子力安全委員会の講演でおっしゃっていたことが、実感として、我が子を通して、わかったところです。
すなわち「大人として、現在の福島の放射線量なら、将来、あなたたちの健康への影響は、恐らくないに等しいと考えていいですよ」ということを伝え続けることが大事で、「将来病気になるかどうかわからない」と言われ続けて成長することと、「可能性はゼロとは言えないけれど多分大丈夫だよ」と言われて成長することは、言っていることは同じでも、伝わった気持ちとしては違う」ということをおっしゃっていました。

また、被曝による遺伝的影響についてですが、・・・きくまこ先生は言っておられました。

原爆被爆者調査から、妊娠中に100mSv以上被曝しなければ先天性の異常は増えないことがわかっています。それだけの被曝は福島ではないんですよ。そんなことで子どもに不安を与えるべきではありません。
「私たちは子どもを産めますか」という子どもたちの質問に「安全とは断言できない」と答えるのはおとなとしての義務をはたしてないとおもいます “
僕がいいたいのは、女の子に「私たちは子どもを産めますか」なんて言わせるおとなたちはかつての被爆者差別をまた繰り返そうとしているものだし「福島だろうがどこだろうが同じだよ」と説明できないおとなは被爆の歴史を学んでしないということですよ。どちらもおとなとしての義務を果たしていない
近くのおとなは「心配ないよ」と言ってやるのが義務というものです。それが言えないおとなは、おとなとしての義務をはたしていない。






飯舘は、なんというか、浪江に比べて、日常に近い感覚を持ちました。地震で壊れている建物は見なかったし、戸締まりもきちんとしてあるし、もともと人はまばらなはずだし、草も刈ってあったりするし、役場のあたりもとても美しいし、近くには車がばあーっと止まっているし・・・。パトロールの車も通っていました。

飯舘はとにかく菅野町長のリーダーシップが強かったのかと思います。
「2年で帰る」と言っていたけれど、除染もまだ進んでいなかったはずです。それから帰還線量を「年5㍉シーベルトに」ということを言っていたかと思います。。でも、診療所開設のニュースには27年春、とありますね・・・。あと1年半か・・・。

ひるがえって、浪江については、避難指示解除準備区域から早めに帰還はできるのでしょうか。

中西準子先生が、こんなことを書かれていた。

シーベルトと男と女

帰還したい人のためには、放射線量率を下げることは勿論必要だが、相当程度空間線量率が下がっても、帰れないという人が多くでてくるような気がする。ある自治体のtopに近い方が、「シーベルトより買い物だ」と言っていた。買い物などの場所がない。放射線以前の問題が多すぎる。こういう手当を何故、急がないのだろうか。

ふるさと帰還という問題を考えていると、男と女の違いを強く感ずる。ふるさと帰還という言葉を、涙とともに語るのは男の人に多いような気がする。

女にとっても、勿論ふるさとは懐かしい、しかも、こういう天から降ったような事故で離れたくないという気持ちはあるだろうし、ふるさと帰還に向けて一生懸命活動している方もいる。

しかし、女は一度はふるさとを離れて、新しい土地で新しい生活に馴染もうとして、そこを第二のふるさととして生きるように教育されてきている。ふるさとよりは、生活の方がより重いのではないかと思う。放射線やふるさと帰還を、日常生活のレベルに戻して議論したらいいのにと思う。




避難者の声として、新聞に出ていた浪江の高齢者の女性の方の言葉が印象に残っている。(うろ覚えだが)「浪江に嫁いで数十年。来たときはいろいろつらいこともあったけれども、今は、浪江が自分の故郷と思っている。戻りたい」というようなことでした。

女は「嫁に来る」という事例が多いということを中西先生は言いたいのかもしれません。そして、女は、買い物どが便利なこと、身近に何か楽しく喋ることが出来る人の存在があれば、案外なじめるのかもしれないです。

私自身は、結婚までほとんど実家に住んでいて、結婚で夫の仕事についていく引っ越し人生となった。そのときに、やはり自衛官の妻で、仙台出身で結婚とともに引っ越し人生に入った義母に「一人だけ、仲良い友達ができればいいのよ。一人だけでいいのよ」と習った。たしかにそれは的を射ていました。。。。

だから、戻る条件として、生活基盤、それから「だれか友達も一緒に」、これがあればなと思います。





スポンサーサイト
Secret

TrackBackURL
→http://leika7kgb.blog114.fc2.com/tb.php/1058-99cabc8e