柳田邦男氏による、菅氏を取り巻く状況からと事故の検証の前段で、
死後、なお英雄視されている吉田元所長の失敗について読みました。
(文藝春秋2012.10~11)
さまざまな要因によって、事故は起きており、それを最初の重大局面、1号機のIC(非常用復水器)が6時間閉じたままだった、ということに絞って図解してありました。それを箇条書きにまとめると以下のようになります。


L1(エラーの本人=当直長、当直運転員)

①当直運転員がICの弁を「閉」に
②当直長も運転員も弁は「開」と思い込み
③原子炉の水位下降の重大性を深く考えず
④IC作動の教育・訓練を受けたことも、作動経験もない

L2(周囲の関係者・同僚・上司など=発電所対策本部、吉田所長)

①IC弁が「閉」とだれも思わず、状態の検討もせず、助言もせず
②原発4基の状態監視と対応で騒然
③吉田所長は代替注水の必要を叫んだが、誰も動かず

S(ソフトウエア=マニュアル、指示、訓練等)

①全電源喪失に対するマニュアルなし
②IC(非常用復水器)に関する教育・訓練なし
③IC弁の特性(全電源喪失で自動的に「閉」)について周知なし

H(ハードウエア=機械、設備、道具、システム等)

①全電源喪失により計器表示もすべてダウン
②ICの作動状況の表示もなし
③原子炉の水位、圧力の表示もなし


E(環境=照明、騒音、作業空間等)


①中央制御室は暗闇
②懐中電灯などで作業
③原子炉の状態や給水タンクなどを目で確認できず

m(マネジメント=経営、管理)

①全電源喪失、シビアアクシデントへの対策は不要として作らず
②とくに重要なIC等の冷却水系システムの技術指導をしてこなかった
③現場に対し非常事態下の技術的な指導のできる技術幹部がいない
④本店にICの状態を推測できた人がおらず、「開」と思い込み
⑤官邸にIC作動中という誤った報告をしていた




これを読むと、「福島第一原子力発電所は、老朽化したボロ原発だから」という指摘が当たらないように感じました。というのは、たとえ老朽化していても、もし、運転員がIC弁の操作をどうしていたか忘れず、また、弁が開きっぱなしでは原子炉を冷やしすぎる恐れがあるので、フェイルセーフ機能によって、自動的に「閉」になるよう設計されていることに気づいていれば、事態は違ったかもしれません。制御盤上の表示が消えているため、IC弁の操作はできないと考えてしまったそうです。

もう一つの冷却装置でありHPCI(高圧中水系)冷却システムも、制御盤上の表示等が消えてしまったため、運転員は作動できないと判断して操作しなかったのですが、こちらは大型の非常用蓄電池による直流電源で動かす設計になっていて、蓄電池が津波によって機能しなくなっていたので作動不可とのこと。

このIC弁の機能と操作について、「運転員ばかりか、所長ら幹部技術者、さらに本店対策本部の技術首脳にも誰一人気づいて助言できなかった」のは、柳田氏によると、「あまりにも奇妙に感じるぐらいの盲点」だったということです。

原子炉を冷やすことは重要なのに、IC弁の操作について誰も教育・訓練を受けていなかったのは、「安全論の観点からただ事ではなく、背景には、ICを作動させなければならないような事態は起こらないという東電の技術首脳の過信と奢りがあった」、と断じています。そこには吉田氏も含まれますね。

そして、「吉田所長が炉心冷却ができていないことに6時間も気づかなかったことは、やはり大きな失敗と言うべきだろう。想像もしていなかった深刻な事態野の中で、現場の総指揮官を務めなければならないという苛酷な任務をこなすのは、並大抵の能力や決断力ではとてもできることではなかったにせよ。

長期にわたった事故対応の全体を見ると、吉田所長の存在感は大きく、吉田所長だから乗り切れたという局面と、吉田所長でさえ失敗があったという局面がある。技術畑の一途な人物という印象を残した吉田所長の判断と行動を、事態の深刻な展開という条件と絡み合わせながら、さらに綿密に分析していくと、吉田所長でさえ失敗したという局面は、原発が一旦事故を起こしたら果たして人間はどこまで対処できるかという問題の考察への貴重なヒントを与えてくれるだろう」としています。

また、この後、1号機のICは当面働いていても、いずれ水量が足らなくなるので、消防車で代替注水をしなければダメだろうと判断し、11日17時過ぎ、対策本部の本部長席から、大声で幹部に検討を指示したが、代替注水の担当班が決められていなかったため、書く班長は自分の任務ではないと考え、結局夜遅くなるまで誰も動かなかったそうです。これも、吉田氏の、意思伝達の失敗です。

【部分的に追記します】

これが、門脇氏「死の淵を見た男」にはどう表記されているか、です。

「のちに、各種事故調の報告書やマスコミの報道などで、あたかもこのICがきちんと稼働していれば、事故が防げたような論が流布されたことがある。
吉田は、そのことについて、事故から1年4カ月が過ぎた2012年7月、筆者にこう語っている。「部下たちは、目隠しをされて、油圧も何もかも失った飛行機のコックピットの中にいるようなものでした。そんな中で、飛行機をどうやって着陸させるか。私たちは、弁がどういうふうな状態で、電源が落ちたのかもわからないわけですからね。確かなのは、冷却のために水をぶち込むことしかなかったというわけです」


私は、この本には傍線を引きながら読んだのですが、青太字の部分に、傍線が引いてありました。大事だと思ったからです。

しかしながら、柳田氏の検証を読むと、これが言い訳に聞こえてくるのです。また、門田氏の文章では、仮に動いていないことを前提にしても、なおさら注水が必要だという文章になっていますが、柳田氏の事故調査書からは、「6時間冷却していなかったことに気づき愕然とした」というような表現になっており、だいぶ食い違います。私の読みが甘いのかもしれないので、再度、読み返して、違っていたらまた追記します。




次に、
原子炉中枢の圧力容器とその密閉性を二重に護る格納容器のいずれかまたは両方の内部圧力が設計許容限界を超えたときに、内部の蒸気を外部に逃して圧力を下げるベント(減圧)操作の問題です。

吉田所長は、6時間も冷却できていなかったことがわかった11日22時過ぎ、運転員2人を原子炉建屋内に派遣したが、0.8mSv(800μSv)で、建屋内に入るのを断念。

吉田所長は、防護服を着た対策本部の保安班員を派遣させるも、扉前で1.2mSv/h、別な扉も0.52mSv/hと高く、退避。

それから小型発電機を中央制御室に持ち込ませ、格納容器圧力計の表示を生かす端末に繋ぐと、600キロパスカルと、格納容器が破損しないで持ちこたえる最高使用圧力528キロパスカルを超えていた。もうベントしかない。

・・・しかしここで、危機回避に決定的に重要なベントであるのに、全電源喪失という事態でも、独立して操作できるようになっていなかった。各種弁の遠隔操作などは、幾ら試みても不可能。

「ベントが容易にできない根源的な理由は、全電源喪失という事態の時こそ必要になるベントに関して、独立した電源なり停電時でも操作のできる方法を考慮した設計になっていないことにある」→福島第一原子力発電所が老朽化したボロ原発だ、ということであれば、もしかすると、ここの部分について言えるのかもしれません。最初期の原発であるため、このベント操作が切り離しておけない設計になっている、という意味です。ほかの最新式の原発が、全電源喪失であっても単独操作できるシステムになっているかどうか、恐らく事故調では調べているのだと思います。事故原因を明らかにして再発防止を防ぐというのは、こういうところにあるのだと感じました。

しかし官邸は「すぐにでもベントしろ」とせっついてくる。吉田所長としては「いろいろやってもできないんだ、この状態じゃできるわけないよ、さっさとやれというのなら、自分でやってみろ」と腹の中で叫びたくもなる、ということです。

決死隊を作り、手動で挑んだが、完全には無理で、エアコンプレッサー(空気圧縮機)を配管に接続し、強引に弁とラプチャーディスク(閉止板)を壊すしかなくなり、成功したのは14時30分。ひとまず危機が去ったのです。福島中央テレビのカメラが、その時刻に1号機から白煙が立ち上るのをとらえており、吉田所長はそれを確認したそうです。

ことこまかに見てくると、「大規模な震災と津波という想定外の事故だ」というある種、技術者擁護の意見も違うと思えるし、「人災だ」というのは余りにも雲をつかむような話で、適当すぎて、無責任です。

この柳田氏の報告は、微に入り細に亘っていますが、ここまで政府事故調(彼は畑村氏の委員長の下、政府事故調メンバーです)までは掘り下げておらず、彼の独自の調査報告となっています。飛行機事故、医療倫理などについて客観的に調査することでは定評のある方なので、この報告は信頼がおけると思います。しかもこれは吉田氏の生前の文藝春秋紙上です。お時間のある方はぜひご覧ください。おそらく2012年の9月号から何回かで連載のはずです。(私は10、11、12月号を読みました)

まあ・・・「罪を憎んで人を憎まず」って言ったらあれですが、だれかを刑事罰で裁くということでは、事故の本質に迫れないということなんだとしか、言えません。それが吉田氏であっても、菅氏であっても、です。(また、原発の何とか被告団が、誰かを訴えたようですが・・・・悲しいばかりですね)




ここからは、吉田所長の「失敗」からは脱線した内容になります。

でもこの危機が去っても、海水注入や、水素爆発など次々に災厄が襲いかかります。
海水注入では、前に書いた菅氏の検証にあるように、菅氏が海水注入によって再臨界を起こす可能性を斑目氏に確認すると「その可能性はゼロではない」と言ったことから、それを検討しなければならないから、海水注入を止めろと言ったのですが、吉田所長は「なんなんだそれは。やってられないよ!」と心の中では怒り爆発だったそうです。武黒フェロー、高橋フェローも、清水社長も、だれもが吉田所長に「止めろ」指示した。

柳田氏は「緊急を要する高度に技術的な判断について、首相といえども政治家が嘴を挟むというのは疑問だし、技術的な妥当性を専門的に検討することなく、官邸の意向に沿った対応を優先するという経営トップの姿勢も大いに疑問」としています。

ここで吉田所長がそれに屈して止めていたら、どうなっていたんでしょうね。

19時25分に「止めろ」と来て、吉田所長が「海水注入を止める」と芝居を打って注入を続けた有名な逸話が、ここに入ります。そして、菅氏がOK出したのは20時過ぎ。たった30分だから・・・と、菅氏や経営陣に理があるとは、到底思えません。

そして、菅氏に「可能性はゼロではない」と言った張本人の斑目氏は、確かに科学的には間違ったことを言ってはいない。けれども、海江田氏の聞き取りでは「可能性はゼロではない=起こる、というふうに我々は思った」ということです。

科学に忠実である余り、「可能性はゼロではない」としてしまうことがこれほど大きな事になってしまったのは、低線量被曝の「将来的な健康影響はゼロとは言えない」というものに重なります。なんとかならないもんなんでしょうかと思います。この斑目氏の「失敗」を、生かせないものなんでしょうか。

先日、イチローが4000本安打の偉業を成し遂げました。そのときに「5000本安打は」と聞かれて、「可能性はゼロではない」と言ったときに、=達成できる、というふうに私には聞こえたのです。

恐らく、菅氏や、海江田氏の耳には、イチローの言う「(起こってほしい)可能性」と、斑目氏の言う「(起こってほしくない)可能性」に、何の差もないというふうに感じたのではないのでしょうか。



スポンサーサイト
Secret

TrackBackURL
→http://leika7kgb.blog114.fc2.com/tb.php/1060-a14e1e0e