本日は11日です。本日の読売震災特集は、他自治体からどのぐらい公務員の
応援職員が来ているかという話(まだまだ足りないようです・・・)
科学と人文系の溝

2年7カ月たっても、「科学の話が通じない」というふうに思っている科学者・科学者側の人々と、「震災で多くの国民が科学不信になったが科学者は反省をしていない」というふうに思っている人文学系学者(社会学者など)や「20年後、30年後・・・」の呪文を否定できない方々の溝は、広がったままのように感じます。

というのは、私が「この人は信頼できそうな気がする」という、現地に入っている社会学者は3人ほどいるのですが、(うち一人は開沼氏ですが)、開沼さんは本当のところがよくわかりませんけれど、あとの2人については、「放射線のリスクはわからないのではなく、区別できるほど目立たなくなってしまうのでわからない」ということを理解していないのではないのかと思うからなのです。

これは非常に危機的なことではないかと思います。

でも、私自身が学生の時にフィールドワークをやった経験を思い出すと、社会学者は、その情報を一番必要としている人たちに還元することを重要視するように思うのですが、今の科学の話というのは、細部や純度を重んずるあまり、還元までを見通していないように感じられます。

つまり、。。。。大変申し訳ありませんが、私自身、私個人の話ですけれど、科学に幻滅しているということです。

だって2年7カ月です。
今できていないってことは、ずっと無理であり、ならば、なんのための科学なんですかと私は、思います。

「科学」に忠実なあまり・・・

どうして、一部過激活動家相手ではなくて、もっともっと多くの、しかも実は自分の隣の友達も持っているかもしれないような「漠然とした不安」を持っているB層一般大衆が一読してわかるような、おおざっぱな言い方が、できないんでしょうか。

「大丈夫だ」と言えないのが科学だと誰もが言いますけれど、何にこだわって大丈夫だと言わないのかと言ったら、「被災地に忠実」だというよりは、「科学に忠実」なだけなのではないんでしょうかね。たとえは悪いですが、大学病院で研究する医師が偉くて、市井に入って、年寄りの生活習慣病を診る開業医が(本当はこちらのほうが人々に直接貢献するのに)ランク下に見る医療者がいるというようなものでしょうか。

福島の話題は、科学の好きな方々の、かっこうのネタなのではという気さえします。
過激な方々の言い分を出してきてそれをまた、意識の高い方々がよってたかって批判コメントする。

例えば、私は手のひらを返した火山学者がいまだに反省の色なく傲慢でということでたたかれている話題を見ても、あんまり共感できません(福島在住の方々は、彼の言質に傷つき、謝られなければ許せないという感覚をお持ちの方も多いとは思いますので、あくまでも私個人の感想)。彼を、彼の信者改心に利用すればいいではありませんか。一刻も早く。そういうふうに持っていける科学の人はいないんでしょうか。

過激な方々をたたくのも大事な科学の仕事だけれど、半分ぐらいは、別なミッション(わかりやすく大衆向けに科学を伝導する人)であってもいいように思うのですが。そういうのは、科学を極める方には、好まれないんだろうなあと思わせられます。

もっと多くの不特定多数の、「なんとなく不安だから念のため福島って名が付くものは避けておこうね」・・・という一般人向けに、もっとわかりやすく、しかも短い発信をするというふうには、科学の性格上、無理なんでしょうか。無理なんでしょうね。



なぜわかりやすいか

また、いろいろな中央の集まりで、半谷さんやひまわり先生に対し、意見する人がいました。でも、それは外からだから言えるんであって、意見するなら、それ相応の「言い方」というものがあるんではないか?と、思いました。
私はお二人ともお会いして、お話を聞いたことがあるから言うけれど、難しい科学の先生よりどれだけ救われたかしれません。やはり、福島や福島の人や子供たちを愛していることが一番に伝わってきますし、話が具体的であり、わかりやすいことは、群を抜いていました。また、やぁどさんの発信力も、それはもうプロの伝え手ですから、わかりやすいです。

そう思うと、山下先生はすごいなと思います。
科学の枠を踏み越えていたんですね。だから、猛烈に批判されましたね。

それと、私はキクマコ先生の以下のツイートに感銘を受けました。
広島長崎のデータからすれば、今回の事故が理由で奇形が増える可能性はないというのが説明のすべて。そして、奇形がどうこうと煽っている人たちは、単にまちがっているだけではなく、かつての被爆者差別と同じことを繰り返そうとしている。

このぐらいのわかりやすい破壊力を持ってやっていかないことには、風評は消えないのではないでしょうか・・・
(もしかしてほかでもこういうことを言っている方がいて、私が気づかないだけなのかもしれませんが)

なぜ、科学の方でもわかりやすいかと言ったら、当事者である・当事者意識を持てるということと、ある程度、細かいことに目をつぶるからではないかと、私は思うのですけれど(間違っていたらすみません)。

でも多くの科学者は、自分の生きてきた科学のスタイルを踏み外せないので、そういう言い方はしないということではないかと。

資料がない(難しいのや長いのばっかり)

私がいまだにこういうふうに科学に対しじれったく思うのは、先日お会いした福島からの避難者の方に、「これはこうなんだよ」と短時間で説明できる資料がないからです。
本や個別ネタについての参考URLはたくさんあるでしょう。でも、一読して頭に入り、今までの不信を総まとめでぬぐえるような、紙2枚から4枚ぐらいの資料って、ありますか?あったらぜひ教えてください・・・。

斎藤孝氏が言っていました。どんなことでも、紙1枚にまとめられるってことを。3分で言えるってことを。・・・それを、今の科学の方々は、目指していないと思います。「それは別の分野の人の仕事だ」としています。そうでしょうか?

さらに、その「担い手」であるはずの社会学者が、・・・・今のリスクを評価していない。・・・どっちもどっち。ならば、どうすればいいんでしょうか。

科学者の方は・・・、今の皆さんの得たデータや発信は、「絶対のもの」として正しいのだと思います(私はそれには完全に同意します)が、そう思っていない人も、大衆だけでなくエリート層にも実はたくさんいて、その事実は、今の日本においては「ワンオブゼン」でしかないよ、ということだけは、わかっておいてほしいです。

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