読売連載「原発と福島」後半部分、あと2回分です(1~3回はこちら)。
福島支局 大野潤三記者・福元理央記者が担当。要約抜粋。
◆[原発と福島]償いの迷路<4>賠償対象者へ募る反感(2013年12月21日)

いわき市の海岸から500メートルほどの場所にあった男性(64)の自宅は、東日本大震災の津波で全壊した。親戚宅などを転々とした夫婦は2011年6月、市中央台地区の仮設住宅に移った。都市再生機構が開発する県内最大規模のニュータウンの一角。その丘陵地では、さらに仮設住宅の建設が急ピッチで進んでいた。避難する双葉郡の人たちがやって来ると聞き、「いわきとして、できることはしてあげないと」。

そんな思いが、入居して1年が過ぎた頃から壊れ始めたと、男性は言う。

震災からしばらくして、被災した自宅を見に出かけた。原発から20~30キロの一帯は「屋内退避区域」に指定されていた。第一原発に勤める知人がかつて口にした言葉を思い出していた。「原発に何かあったら、双葉郡もいわき市も一緒だ

裏手の空き地の放射線量を測った。0.5μSv/h。一般人が浴びる限度とされる量の倍だった。空き地で遊ぶ子供たちに声をかけた。「外で遊ぶな。家へ帰るんだ」

避難者には、東電から月10万円の精神的損害賠償が支払われることになった。屋内退避は1か月程度で解除されたが、支払いは続いた。双葉郡の利用者が多い勤め先の福祉施設は原発事故後、休業に追い込まれ、減収の賠償も手にした。

しかし、翌年夏、JRいわき駅近くのビルにある東電の相談窓口で、担当者の説明にぼう然とした。「屋内退避区域の住民への精神的損害賠償は、事故から半年分です」。肩を落として仮設住宅に戻ると、顔見知りになった双葉郡の避難者と行き会った。「こっちはもう少し先まで出る」。遠慮がちにそう話した。

志賀の自宅の取り壊しが始まったのはそんな時期だった。作業に立ち会った。床板は跳ね上がり、よその家の屋根が居間に突っ込んでいた。父親から譲られた築40年の家に、重機が穴を開けていく。胸が締めつけられた。

しかし同じ被災者の家でも、双葉郡の避難者たちには東電の賠償が出ると聞いた。壁を感じ始めた。

          ◇

仮設住宅の駐車場で、軽自動車が高級車に替わるのを何度も見た。いわき市の避難者たちが集まると、こんな会話が多くなった。「賠償金でぜいたくしている」。その駐車場で今年1月、5台の車の窓ガラスが割られる被害があった。「双葉の人の車だ」と知り合いがささやいた。

住民の反感は拡大するばかりだった。原発マネーで潤った暮らしをしてきた人たちと自分たちは違うのだ、と。

ただ、自身の口座に毎年、振り込まれる現金のことを男性は忘れてはいない。国の原子力立地給付金。原発からの距離に応じて決まる。わずか4056円だが、振り込み通知のはがきを見るたび、原発事故前は少し得した気分を味わった。双葉の人たちを妬ましく思う自分が嫌になる。振り込み通知はこの秋も、届いた。

 志賀は10月、仮設の集会所で、災害公営住宅の入居説明会に参加していた。津波被災者のための復興住宅だ。「妬んだり悩んだり、もうたくさんだ。煩わしくない場所で暮らしたい」。配られた資料の間取り図に、志賀はひたすら見入るのだった。(敬称略)

★二転三転する気持ちが・・・切ないです。そして、「こっちはもう少し出る」という双葉郡の方の、またこの、つらさ。・・・・どちらも何も悪くないのに・・・。

これは、固有名詞は関係なく、そこに住んでいる人ならだれもがこういうふうに思うという点で、その人個人や地区住民の責任ではなく、構造的な問題だと思います。福島県内の方ならば、だれもがわかってても言わないことだろうとは思いましたが、あえて自分の記録のためにメモしました。





◆[原発と福島]償いの迷路<5>皆振り回す「東電の金」(2013年12月25日)

 「息子が世話になってる会社だぞ」。夫は反対した。福島県会津若松市の仮設住宅に住む女性(64)の長男は、東京電力福島第一原発で働いている。作業員宿舎で暮らす長男に思い切って電話をした。長男はこう言ってくれた。「やりたいようにやっていいよ」。女性は東電との闘いを開始した。

     ◇

原発が立地する大熊町の沿岸部に住んでいた。自宅は津波で流された。事故の後、防護服を着て我が家の跡に立った。基礎と風呂場しか残っていなかった。がれきの中に、位牌いはいと家族のアルバムを見つけた。伸ばしかけた手が止まった。町職員の言葉を思い出したのだ。「外にある物は放射線で汚染されているので持ち出せません」

津波で流された家は賠償の対象外。それは仕方がない。だが、思い出が詰まったアルバムも、田畑を大きくしてくれた先祖たちの位牌も持ち出せないのはなぜなのか。「東電のせいだ」

女性は翌春、原子力損害賠償紛争解決センターの存在を知った。東電の基準に不服がある被災者が裁判外紛争解決手続きを行うための仲介機関。女性は、長男の言葉に背中を押され、申し立てを決意した。申立書をセンターに送ったのは2012年6月。賠償額はあえて明記しなかった。長男の成長の記録を置き去りにした悔しさを、その長男が勤める会社にぶつける闘いだ。自分に言い聞かせた。「私が闘う東電は、息子が世話になってる東電じゃない」

しばらくして、月10万円の精神的損害賠償の支払いが止まった。避難指示区域の住民全員が受け取れる賠償のはずだ。東電の窓口に電話をした。「紛争解決手続きの結果次第で支払額が変わる可能性があるためです」と言われた。押し問答が続いた。女性は思わず、受話器に罵声を浴びせていた。仮設住宅の住民が心配して様子を見に来るほどの大声だった。涙があふれてきた。

事故直後の避難所で、土下座する東電幹部を何十人もの被災者が取り囲み、ののしった時でも、「復旧作業に当たる現場の環境も整えてあげて」と言えたかつての自分はもういない激しい怒りは続いた。

     ◇

仮設住宅に紛争解決センターから文書が届いたのは今年8月。和解案だった。精神的苦痛を認め、東電が数百万円の賠償を支払うという内容だ。不満はなかった。

ただ、体から力が抜けていく。いったい何が和解したのか。何が解決したのか。「金が目的じゃないと思って闘ってきた。なのに金を手にした途端、終わってしまった」
仮設住宅近くのスーパー。歳末はいつにも増してにぎわう。立ち話が女性の耳に入った。「なんなの、あの量」「東電からお金もらってるからよ」。視線の先で、高齢の夫婦が、袋や段ボール箱にたくさんの商品を入れていた。女性はうつむき、その場を通り過ぎた。出かかった言葉をのみ込んだ。「好きで避難してるわけじゃない。望んで東電の金をもらったんじゃないんだ
(おわり)

★医療裁判において、遺族が納得する5つの条件は(いつも書いていますが)
1 原状復帰
2 謝罪
3 原因究明
4 損害賠償
5 再発防止

では、今回の紛争の場合は、どうなのでしょう。4 損害賠償だけが解決しても、ほかの4つ(2 謝罪はあったのかな?)が解決していなければ、とうてい、申し立てた側の心の安寧は得られません。

申し立てた側の方々が一番望んでいるのは 1 原状復帰 だと思うし、それをかなえるための、国・県・自治体の動きばかりが目につくのですが、実際問題、それは現実味のあることなのでしょうか。




このまえ、「「帰還困難」700万追加賠償…精神的損害分」というニュースがありました。詳しくは、3パターンに分れることになるということでしょうか(違っていたらご指摘ください。避難指示区域外避難者は除く)。

【1】もう帰れませんよ

帰還困難区域の住民1人につき総額1450万円支給。2万5000人対象
・移住先の地価は双葉郡より高いケースが多いため、新たに取得した土地と、住んでいた土地の差額を賠償
・建物についても差額の一定額を賠償

【2】線量的に、いずれ、帰れるようになりますから、戻ってきてくださいね

・居住制限区域・避難指示解除準備区域の住民については、避難指示解除まで月10万円を賠償(解除後は、1年間を目安に打ち切り)。
・自宅の修繕費などの一部を賠償

【3】ホントは帰れる線量ですが、帰りたくない方も、賠償はしますよ(でも定義はいまのところ曖昧ですが)


・居住制限区域・避難指示解除準備区域の住民については、避難指示解除まで月10万円を賠償(解除後は、1年間を目安に打ち切り)。
・就労の見通しが立たないことや、医療機関への受診が困難な場合など転居が合理的と認められる場合は、移転費の一部を賠償

(【2】と【3】合わせて5万6000人対象)

今まで、【2】しか提示してこなかったことからすれば、大きな前進だと、最初思いました。しかし、首長らからは「格差がつきすぎる」ということで批判が相次いでいるようです。・・・そして、この読売の連載を読むにつけても、首長らの憤りはもっともなことだと、思うのです。

でも・・・・・だったら、どうしたらいいの? 何か考えがあってオモテになってこないだけなのだったら、ぜひ、明らかにしてほしいです。やっぱり、私には思いつきません。

一つあるとしたら、ある雑誌でも先日読み、また、私自身以前から思っていたことですが、双葉郡をすべて解体し、合併することかなと思います。頭の中で言っていることなので、現実味はないのかもしれないし、慣れ親しんだ自治体の名を消すという点からも抵抗は大きいと思いますが・・・しかしながら、平成の大合併で、逆に「どうして双葉郡は合併しなかったのか」という点を、考えてみればいいと思うのです。

しかしながら、【1】の住民は歓迎している、ということで、いいのでしょうか。
子ども・被災者支援法の訴えも取り下げられました。訴えていたのは、双葉郡内の避難者もいたように感じますが、区域外避難者(自主避難者)が多かったと思うのですが、・・・そっちはどうなっているんでしょうね? また別なのか、よくわかりませんが・・・。

困っているのは【3】の方々ですね。新聞には、転居の理由に「仕事」「インフラ未整備」しか書いておらず、「放射線への不安」が書いていません。でも、それを気にしての子育て世帯の移住希望者は多いと思うんですが。彼らに、私が持っているように、確固たる「安心」をもってもらう方策を、具体的に行う予定でもあるのでしょうか。でないと、また、若い世代の不安と不満ばかり、増大するのでは、と気がかりです。




そして、一連の連載を読んで、お金も大事だけれど、働き口があり、その労力が必要とされることが大事だということをひしひしと感じました。人がどうしてボランティアをするかというのに、その答えがありますよね。「だれかのためになりたい」「人の役に立ちたい」という自尊心が満たされる。

私も、内職の仕事が目につらくて、しばらく休んでいたんですが、11月から午前中だけバイトするようになりました。働きに出るのは、長男の出産直前が最後ですから、15年ぶりです。やはり、お金を稼がないで健康な大人が家に居るという状況は、育児中・介護中を除き、専業主婦によほど適性がある人や大金持ちや身分の高い人を除き、人をおかしくさせると思いました。なんというか「社会に対する後ろめたさ」というのが、常について回っていたのです。

賠償だけで、働いていない方も、内職を辞めていた数か月間の私と同じなのではないのかなと思うのです。雇用をなんとか整えることができたらよいのですが・・。
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