きのう、ツイッターで見ましたが、福島民友新聞の一面記事です。
ちょっと驚いて、取り乱してしまいました。これは、どこの県の新聞ですか。福島県民が読む新聞ですよね。民友、ついに賭けに出たか。

文章も読み、一日冷静に考えました。民友の社意はわかります。避難指示の出ていない避難者(自主避難者)も、もう帰れない人も、住み続けている人も、みんな被災した福島県民であることは変わりがありません。げんに、私も、福島から避難されていた人と友達になれたし、みんなが受けとめられるとイイナと思っていることは、同じです。コメント中の丹波先生は当初から調査支援をしてきていている方ですし。

きっと区域外避難者(自主避難者)の方は、救われたでしょう。ほかでもない地元の新聞が、「間違っていないよ」と言ってくれたと思ったのだとしたら。
民友としては「賭けに成功した」と思っているのではないでしょうか。
この記事に感謝の意を表明されている記事も、読みました。


・・・・でも、だとしても、私は、2つの点で、反論します。

1つは、記事のインパクトの問題。「自主避難して正解」という横の見出しは、たとえ「  」かぎかっこ の中に入れているので、「人の言葉だよ」と、新聞社ではエクスキューズをつけているつもりでしょうが、そんなの業界の常識、読者に伝わるわけがない。「民友は『自主避難は正解』って言っている新聞」というふうに思う人が多いんではないの?・・・・・「  」をこれほどデカい見出しにするときは、そういうことまで想定するべきではないの? では、避難しない人は不正解なのか? 

1つは、たとえ文中の避難された35歳の女性の方の言葉を使ったのだとしても、この一行「避難してから、放射線について調べ『やはり福島は危険だった』と思った」、これはナイのでは? 今後の連載でフォローするつもりなんでしょうか。それじゃ遅い。読者はそこまで待たないし、この紙面だけがネットに流れているということは、民友として、「福島は危険」ということばが一人歩きしていくだろう・・・ということに、思いをはせられないのでしょうか。この、ツイッター興隆の時代に。

私も避難の可否、どちらも悪くないし、どちらも報われてほしいと思っています。だけれど、東京新聞とか、中日とか、朝日とかみたいな切り口で紙面を作っていいんだろうか。仮にも県内の購読者が主流の新聞が。

もっと、避難した人の心を支えつつ、多くの避難しない人にも「そうだよな。なるほど」と思えるような。「そうだよ、大変なんだよ、避難した人も」と素直に思えるような紙面にできたと思う。見出しとかで。

民友に電話しようと思ったけど、「救われた」という方が電話しているようなので、なんとなく、やめた。同じやり方で意見を表明しないほうがいいように感じた。やっぱり、電話していいのは、購読者や、福島県民なのです。そして民友も被災して苦しんでいるんだから。・・・民友もがんばって、いろんな記事を書いてくれているんだし・・・。救われた県民の方は、間違いなくいらっしゃるんだし・・・。

でもだからといって、こんなブログでいくら書いてたって、新聞社には伝わらないと思うので、何らかの方法で伝えようと思う。住み続けている人の代弁ではなくて、故郷のあの人やあの人を思い浮かべての、外部の目での、意見をね。だって、住み続けている人はもしかして、全然、気にならないかもしれない。私が外にいるから、特に気になるだけなのかも知れません。

それから、「家族のリスクマネジメント勉強会」愛知支部で縁をいただいたのぞさんの意見も紹介します。のぞさんも、避難指示区域外からの避難者の方に対し、ほんとうに心を寄せ、その人の身になって活動ができ、そして、福島それ自体に愛を持ってくれている、私の同志。外部からの応援、という点でも同じ。

「避難してから、放射線について調べ『やはり福島は危険だった』と思った。」
こういうことを、もうちっと、詳細に書くべきだわねえ。
記事にはもっと細やかな突っ込みが欲しかったし、この見出しでは避難したくても残っている人はとても救われないように思う。住み続けることを決めた人との相克も増すように感じる。


【追記】
やはり、センセーショナル性に飛びついた「読み違え」記事も出ています・・・
「人が住む場所でないことを認めたことは評価できます。」←だから、その主語は、だれよ?「民友新聞社」と思われるよ。
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