私は、秋から配達の仕事をしています。
雪の日はまだないけれど、雨の日も風の日も・・・です。
福島弁丸出し
きょうは・・・ピンポ~ンして「内藤惣一様で(仮名。ぼきゃぶるとこういう音になる)いらっしゃいますか?」と言うと、「はい、私が、ないとうそういち ( ^o^)ノでございます!!(笑」と、オジサンが私のイントネーションを誇大に真似して反復。。。。

そう!私は、第一声・ワンフレーズだけで、「東北でしょ~」と見破られたのです。「は~なまってますか~~福島出身なんです」と言うと「自転車でこの辺走り回っているの、知っているよ~そうか、福島から来たのか。。。。大変だね。この寒空の中、・・・」と、どうも、避難してきたと思われたようでした。

私としては、福島~と言われただけで「やった!」などと思うのですが、避難してきた方は、福島の出身ということを知られたくない人もいるんですよね。当初は、そういうの、「福島を捨てっちまう気が」などと思ったのですが、よくよく考えると自然な気持ちかもしれません(私が「福島弁だね」と言われて「やっぱりな( ^o^)ノ」とニヤリとするのは、私が震災で苦しんでいないからだよなとも思うわけです)。

「かわいそうに」ってやさしくされてばかりはツライ
このまえ、ドラマ「チームバチスタ・螺鈿迷宮」で、ずっと前に、姉(水野美紀)が、レイプされたことを妹(栗山千明)に隠していたのを告白するシーンがありました。

妹「なんで言ってくれなかったの。みんな知ってたんだよね。
 ・・・・なんで、あたしにだけ」
姉「あのころ、すみれ、医大のほうでひとり暮らししてたじゃない。わざわざ知らせる必要もないかと思って」
妹「でも・・・」
姉「何も知らない家族が、一人ぐらいいてほしかったの。
 かわいそうにって、家族じゅうにやさしくされるのも、ちょっとね」

これ、この「かわいそうに」って思われたくないという感覚、何かとてもわかる気がします。

被災地、被災者という「ストーリー」
どなたかが、「いつまで被災者でいればいいんだろう」ということをつぶやいていたことがあります。

同じく、「八重の桜」見ていても、被災地福島だから盛り上がるではなくて、ドラマ本体のすばらしさが評価されるといい(実際、私には八重ちゃんの大河は、すばらしいものに思えました。八重ロス中)と思っていました。

偽ベートーベンの話でも、広島の被爆2世だからとか、そのせいで(←ってのも甚だ変な話だけどさ)耳が聞こえないからとか、という部分で評価されるのではなくて、純粋に音楽で評価される世の中でないからこんなふうになったんだろうと思います。

それは、ソチで、これでもかの感動秘話が、競技や技術という本業分析よりも読まれること、今、懐疑の念が持たれている小保方さんの研究にしても同じことが言えるのでしょうね。

でも、私は、「・・・マスコミのせいってみんな言うけど、やっぱりそれを読む人がいるから、そういう切り口が毎回毎回されるんだよね」と、マスコミを批判する人に対しては、心の底で冷めた気持ちで眺めていますよ。マスコミ批判は、ラクだもんね。ちょっと意識高く見せたい場合、お手軽。みなさん、ご自身を棚に上げているということは自覚ないようですけどね。

確かに、ストーリーを重んじるのは、副作用も大きい。例えば福島の農産物「福島を応援したい!」から買うよりも、「福島のは美味しいから買う!」だともっとうれしいし、「被災地を風化させないために見てこよう」ということでツアーが組まれるのことも大事だけど、「福島は自然も食べ物も温泉もスバラシイから行ってみよう」だと、やった!と思う。
まあでもとっかかりは、何でもよいんだよな、などとも思うのです。少しずつでよいのだと。震災がとっかかりではあったけれど・・・。と。

などと、次の配達に行く途中に、つらつらと思ったのでした。

私は福島弁が好きだ
私は、あちこち引っ越して歩いていますが、私の福島弁は、人にほのぼの感、癒やしを与えるようで、訛りを指摘をされて、嫌な思いをしたことは、福島を出て17年、たったの一度もありません。

残念なのは、子供が全然福島弁を再現することができないこと。小4の双子は、「だべぇ」とかわざと福島弁を真似してトライすることがありますが、全く、全くなってません(>_<) 帰省したときに、姉の子供や、通りすがりの子供たちが正調福島弁を自在に操るのを見ると、聞き入ってしまいます。
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