中村桂子氏の「科学者が人間であること」(岩波新書 2013.8)
書評でチラ見→図書館でリクエストしチラ読み→即注文しました。
私の車の中に入れておいて少しずつ読んでおり、最後まではいっていないのですが、「科学と、感覚・体感・身体との境界」を重視しているという点で、科学者には珍しい本だと思います。推奨しますのでぜひ、多くの方にも読んでいただきたいです(本人のコメント・ 日経の書評)。

帯には「大震災を経てなお変われぬ日本へ」とあります。私は中村先生が、同じ立ち位置にいる科学者の方々に向けていっているような気がしました。科学の素人の私のような人間に向けてではなく、「今の科学のとらえ方や発信の仕方では、もうダメだよ」と。

こまかく詳しく、付箋では間に合わずページを折りながら読んでいるのですが、ちょうど、喜多方の小学校における「農業科」という教育について、中村先生が絶賛されたので、そこだけ抜書きします。福島県では、もう自明なのかもしれませんが、私は初めて知ったので。その後どうしているでしょうか、喜多方の子供たち。。。。では引用開始。




小学校農業科の歩み

科学省が「自然の中にある人間」という意識を常に持つ人であることが不可欠という本書の考え方からすると子供の頃にそのような人になる教育をすることが望ましいことになります。理科教育の重要性はもちろんですが、ここでこれぞ全人教育として最も有効と考えることになった体験を述べたいと思います。

2006年のこと、グローバル社会に通じる人材を育てるための教育のあり方が議論される中で、英語力や、コンピュータを用いた経済リテラシーの必要性が指摘されていました。前にも株より蕪を育てる方がよいと書いたように、子供たちにはまず「自然の一部である、生きものとしての人間」という感覚を身につけ、そしてそこから自ら考え生きていく力を持ってほしいと思っていましたので、その気持ちを率直に新聞に書いたところ、福島県喜多方市の市長、教育委員会が関心を示してくれました。しかも教育特区として小学校に農業科を創設するという、画期的な施策をとってくださったのです。その後学習指導要領の変化に伴い、特区にせず「総合的な学習の時間」として実施するようになりましたが、本質は現在も変わらず続いています。

市内18校のうちの3校をモデル校にして、農業科が始まったのは、2007年でした。子供たちを自然に触れさせることが大切と考えている人は多く、実際に各地で自然教室、農業教室は盛んです。しかし、農業科は、通年での農業を授業の中に組み込むところが画期的です。農業が子供たちの日常に存在し、作物に対して責任を持つのです。

とはいえ、年間計画をどのように立てるか、農業経験がない先生方が子供たちをどう指導するか、問題は山積みで、当初は模索が続いたようです。しかし、教育委員会が副読本を作る、地元のお年寄りの応援を得るなどさまざまなアイディアが出て、着々と事は進みました。そして2年後には9校に、2011年にはなんと市内の全校に農業科ができました。

活動の詳細は省きますが、毎年子供たちが書く作文集の2011年度版からいくつかを紹介します。

◆「ぼくは、えだ豆を作りました。・・・シャワーのような水やりがとても楽しかったです。枝豆に『大きくなれよ。』と話しかけました。・・・農業は、さい高です」(3年生)
◆「学校でとれた野菜を家に持ち帰った時も、家族がすごいねと笑顔で返してくれました。・・・一生けん命育てれば育てるほど、おいしい野菜になり、みんなの笑顔が増えるなんて、野菜作りには、とてもすごいパワーがあるのだと思いました」(4年生)
◆「原発事故のせいで・・・せっかく農家の人が苦労して野菜や米を作ったのに出荷停止になったりしたニュースも何回も見ました。・・・喜多方のお米は安全ですごくおいしいです。・・・福島県へ来る人が増えるといいなとこの米作りで思いました」(5年生)
◆「私たちが育てたあずきを使って赤飯をつくりました。・・・ひとり暮らしのおばあさんやおじいさんにくばりました。・・・泣いてよろこんでくれた人もいて・・・その時のことがとても心に残りました」(6年生)


子供たちは「対等の生きもの」として、作物に向き合うことを学んでいます。そして自然に学ぶだけでなく、そこから、家庭での会話、地域のお年寄りとのつながり、社会への関心など人間として大切なものが育っていると実感します。

この中には、想像力、思いやり、世代を越えたつながりという、I章で見た人間の特徴がすべて入っています。自然と向き合うことから得るものの大きさを実感します。①笑顔、②自分で考えること、その結果の③交渉能力、表現能力、コミュニケーション能力が身につきました。

これは、文科省が求めている「生きる力」そのものです。社会の一員として上手に生きていく力は、自然の一員として学ぶところから身につくのです。

生きものは、さらに大きく言うなら自然は、思い通りになるものではありません。科学技術が進むと、自然も制御できるかのように考える風潮が生じます。最初に話題にした「想定外」はまさにそこから生まれた言葉です。しかし、人間は生きものという立場に立てば、人間は大きな自然の中にいるのであり、外からそれを制御できると思うのは間違いであるということにすぐ気づきます。面倒な自然からはまれた便利な暮らしこそ進んだ社会であるという価値観は見直されます。農業科は新しい価値観、世界観を持つ人間を育てていると実感します。
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