母から開沼さんの民報記事が届きましたので、
全部転載します。
識者評論 福島大特任研究員 開沼博さん

無関心層を「当事者」に
震災復興、次世代の責任

「何も変わらぬ風景」「復興は進んでいない」「3.11は全てを破壊し尽くした」。外から被災地を見に来た人のそんな感想を耳にすると、私は違和感を覚える。果たしてそうか、と。

私は旧警戒区域を含めた福島の被災地の視察会「福島エクスカーション」を主催し、月に一、二度、多くの人を連れて現地を回っている。毎回感じるのは、ダイナミックに変化し続ける風景だ。
交通量が増え、新しい店や事務所がオープンし、さまざまな活動に従事する若い人の姿も見られる。草が生えっぱなしだった土地は、きれいに整地され、汚染がれきの仮置き場になっている。
もちろん「いい意味の変化」ばかりではない。ただ「何も変わらぬ」わけではない。紋切り型の感想は別に被災地に来なくても誰でも言える「借り物の言葉」だ。
何しにわざわざ外から被災地に来たんだ、と思ってしまう。

現代社会では、ポピュリズムを基盤に人が動き、政治が変わるが変わる傾向が強い。ここでいうポピュリズムとは、業界団体や組合、地域のしがらみなど組織の意向ではなく、バラバラの個人それぞれの判断が政治を動かす状況を指す。

◆脅迫と共感

ポピュリズムの中では、人の気持ちを動かそうとする極度に単純化された「借り物の言葉」、安易に情動をあおろうとする「借り物の言葉」が飛び交う。そこには2つの特徴がある。
1つは、「脅迫のポピュリズム」だ。たとえば、集団的自衛権をめぐる議論。ある人は、日本がすぐに徴兵制を持つ軍事大国になるかのように語り、もう一方にいる人は、すぐに中国や北朝鮮が攻めてくるかのように語る。
それぞれ集団的自衛権を認めることに賛成か反対かという点では逆の立場だが、あの手この手で、人々の恐怖をあおったり誰かをつるし上げたりするような「脅迫」をし続けているという点で共通する。
もう1つが、「共感のポピュリズム」だ。例えば震災後、「絆」という言葉があふれた。政治でもスポーツでも一体感を強調する言葉に人が群がる。それは、現実には人々がバラバラであるが故に生まれる反動だ。

「脅迫」と「共感」。どちらにも人をある方向に駆り立てる力がある。それは社会をいい方向に向かわせる可能性を持つ一方で、本来はそれぞれが冷静に向かい合うべき問題から目を背けさせる危険性を持つ。近年は、後者の弊害がより大きく出ているように感じる。

◆三方良し

「脅迫」や「共感」はその問題に関心がある人には届いても、無関心な人には届かない。例えば、福島の問題に思い入れが強い人の中には「福島では本当は人が死にまくっている」などとデマや極端なことを盛んに言う人がいるが、それは関心を呼ぶどころか、現地に生き続ける人々を深く傷つけている。「脅迫」や「共感」に頼らずに、ある社会問題に「無関心者」を巻き込み続ける回路を作ることが重要だ。

私はこれからの被災地復興に必要な考え方を「三方良し」と呼んでいる。
「三方良し」とは、近江商人が行った「売り手と買い手がうれしいだけじゃ商売長続きしない。売り手・買い手に加えて、世間様もうれしいような商売をしなければならない」という話だ。

震災復興も同様で、支援をする側・される側だけが復興のことを考えていても、その問題に関心を持つ人は時間の経過とともに減ることはあれ、増えることはない。そうではなく、それに関係ない人、無関心層にいかに訴えるかということを優先的に考えること。それこそが重要だ。
さきに述べた「福島エクスカーション」を続けているのもその実践の一つだ。毎回、興味や知識がない人が、実際に現地に来て、そこで言葉を交わし合う中で、復興に関心を持ち、考え続けざるを得ない「当事者」に変わっていくのを目撃する。

戦争を考え続けるのも同様だ。直接的な体験者が減っていく中でも、関心を持った「当事者」をつくることはできる。その仕組みを考えるのが、これからを生きる世代に求められる責任だ。




これ、琉球新報にも載っていたように思うのですが、だとしたら、共同とかでしょうか?つまりは、開沼さんは全国の人に向けて訴えたのか? もしそうだったのなら、いいですね。

福島エクスカーションのような活動は、県内在住の方だれもが出来ることではありません。開沼さんだからできることなのでしょう。もしこれが民報の独自記事だったとしたら、県内の方に語りかけているとしたら、、、、「福島に無関心な人と、どんどん知り合いになりましょう」というふうに解釈できると思います。ネット社会はそれをぐっと身近なものにしましたね。ぜひ福島の皆さんは、知り合いをふやしてほしいなと思いました。

だけどもし民報にしか載っていないとしたら、「福島に関心がある人(当然ですけど)」しか読めないことになりますね。でも、開沼さんが言っていることは、そういうことではありません。そういう意味で、全国発信した記事だといいなと思ったのです。

近江商人のくだりは、ちょっっと無理があるとは思います、だって、福島のことを気にするようになる、考えるようになることが、その外部の無関心者にとって、必要不可欠なもの、とは言えないから。寂しいことだけど。

私hは前から、一番の脅威はデマ飛ばし屋とか極端な活動家ではない、と書いてきたつもりです。一番の敵は無関心層。「なんとな~く」「イメージで」福島を忌避する人たちです。福島を離れているから、たまに、ほんとにたまにだけど、そういう人と交わると、ナントモな気持ちを抱きます。そういう人を減らしたいなーとはずっと思っていて、でもどうすることもできなくて、今も課題です。・・・でもそういう人を福島エクスカーションに連れて行けるか??

たぶん、福島をあおったり、デマをとばせる人は「他人事」な人なんだと思います。福島に知り合いがいない人なんだと思うのです。だから、私はここ、静岡で、「福島」と言えば私を思い浮かべるような、そんなようになれればな、と思っています。私が知り合いになった人や、友達は、そんな他人事のように福島のてきとうなデマを流せないんではないかな。


スポンサーサイト
Secret

TrackBackURL
→http://leika7kgb.blog114.fc2.com/tb.php/1153-4396152c