佐藤知事が「特別な迷惑施設」を受け入れる「苦渋の決断」をしたと
読売には載っていました。
しかし、双葉・大熊の立場としては「苦渋」だが、ほかの市町村の立場としては「ホッとした」はずで、そこがまったく紙面から伝わらない。だから、自県の最終処分場候補地でもめている宮城、栃木、茨城などの県民は、「これでうちらの県のも、福島に持って行ってもらえる」と誤解するのではないかと、私は心配する。「苦渋」という言葉には、他の犠牲になるという意味合いがある。しかし、福島県民としてみれば、圧倒的多数が「ホッとした」というのが正解ではないのかな。・・・どうしてこんなわかりにくい報道になるのか、それは全国紙だからであって、地元紙はどうなんだろうなと思う。

全く関係の無い西日本の人たちならさらに輪を掛けて人ごとだろう。原発も受け入れたからそのトイレを受け持つのは、まあ当然だよね、という感覚でしかないと思う。その人達だって、これが「最終」でなくて「中間」だというのを本気で信じているはずもないだろうし。。

また、これは除染土というかなりかなり低レベルのものだけではなく、10万bq/kg超の指定廃棄物も含む。それ以上の廃炉のゴミも含むのかは、「10万bq/kg超」では、わからない。でも「超」なので、含む気になれば含まれる。そういうところはいったいどうなっているのだろう? 新聞では濃度別に3段階にわけるとのことだが、
1)除染土など
2)指定廃棄物レベル(低レベル)
3)廃炉で出た高レベルの核廃棄物
ということなのだろうか?

これから3000人もの地権者に交渉というが、買うのか貸すのか、その足並みがそろわないのが容易に想像できる。これも「中間」という呪縛がもたらした、煩雑さと混迷だ。
「中間」と言わないければ、震災直後、とても地元と交渉できる状態ではなかったと井上環境副大臣が当時の民主党政権について述懐していたが、それは井上氏本人が、その後地元と交渉していて感じたことそのまんまのことだろうと思う。「最終」に子孫の未来を重ね合わせるのもいたしかたないだろうが、県外の人の目は、案外に厳しいというのが私の実感だ。それこそ「原発を受け入れるということは、ごみも受け入れるということだろう」という目を持っているだろうということ。だから、栃木や茨城の首長というれっきとした公人までもが、自県の最終処分場候補地の打診を受けたときに「福島に持って行ってもらいたい」などと、平気で公言してしまえるのだ・・・・。

だから、「これはあくまで中間貯蔵。30年後は他県で最終処分して」というのは、その「福島に持って行け」と言った心ない首長と、同じように感じられる。

ある方が「縁あって運ばれてきたもの(放射性廃棄物)は、その土地で処分するのが一番自然だ」と言っていた。地産地消のようなもの。

それがイヤなのは、やはり放射線に対する過剰な忌避感があるから。

0.23μSv/hの除染基準変更にも、福島県の多くの自治体が「それはちょっと・・・」と難色を示したという。それも同じ。いわば感覚的な「イヤ」「不安」に、分類されると思う。どうして、変更してもいいよという自治体があれほど少ないのだろう。

風評に悩まされている福島が、率先してこの「忌避感」を乗り越えるのが、「中間」後の、次の大きなヤマだと思う。私はそういう点で、福島が他県の人たちの手本になってほしいし、あれほど心ない声に苦しんで乗り超えてきた福島の人なら、それはできると思うんだが・・・。

こういう微妙な問題を書くのは、難しい面もある。けれども、そのときそのときの出来事に際し、自分が思ったことは書き留めておこうと思うので、不快な気持ちを持った方は、また具体的にご連絡ください。





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