このごろ、小5の三男が、「おじいちゃんとおばあちゃんが
死んだらどうしよう」ということをすごく心配しています。
死への恐怖

きのうも悲しそうにしているので、「お前がおりこうにして、元気にしていることが一番、おじいちゃんとおばあちゃんには何よりだよ」と言うと、なんとなく納得して寝ました。

今朝、明るくなると、だいじょうぶなようで普通に登校しました。。

学校から帰ってきたら、なんか畳の上に突っ伏しており、私は台所でご飯を作っていたのですが、その後、涙目でやってきて「きょうは学校では一日中、怖かった」と言ってきたので、よしよしをしてあげました。

おばあちゃんと、浪江の職員の方に元気もらう

その後、福島のばあちゃんに電話をして、玉のような大声でいろいろしゃべくりまくる声を聞いて、少し元気になったようです。

それから、「そうだ。きょうね、浪江町の●●さんから、お前の自由研究のコピーをありがとうってメールがきたよ。見てみる?」とPCに連れて行く。

そこには「A君の研究を見て、すごく心があったかくなりました」「職場の仲間とも見て、みんな勇気づけられました」「復興へ向き合うことの意義について、再認識しました」などなど、書かれてありました。悲しがっていた顔が、少し明るくなりました。

捜索の日 11日

本日は、11日。ニュースでは、行方不明者を捜す、確か宮城の映像が流れました。先月の今日、浜通りの海岸沿いを走っていたときに、消防団か警察の人たちの固まって、たぶん捜索している姿を見たのですが、三男も思い出したみたいで、じーっと画面を見ていました(とにかく今「死」に対して過敏になっている状態なので・・・私や夫が死んだらどうしようとか、いろいろ不安がる。既に涙目に)。

それから、また母から電話がかかってきました。すぐ三男にかわると、「おばあちゃん。ぼく、被災地に行くようなおまわりさんになるよ」と言っていたようでした。

全然「子供のため」に身を粉にしていない親ですが

私がただ、自分の問題意識に従って、子供を巻き込んでいろいろやってきたことは、子供の心に知識や知恵、思索の杭を打つことでもあるのだなと思いました。

前、私、長野にいたときの和太鼓の師匠に、保育園の夏祭りにどう太鼓を取り入れようか・・・ということを相談したことがあります。師匠はいとも簡単に「大人が楽しむことが一番。大人が楽しんでいれば、子供は自然に寄ってくる。大人は、こんな楽しいことに、子供も混ぜてやるか。。。ぐらいでいいんですよ」と言いました。これ、子育ての基本ではないかな。

私は全然、子供に勉強も教えられないし、子供と遊んだりもしてこなかった非・子煩悩な親だけれど、昨年と今年と、自分の気持ちに忠実に、子供を連れて浜通りに行ったことは、やっぱりよかったと思いました。

明日もまた、怖がって悲しいかもしれないのですが。とりあえず、こうやって子供は、少しずつ成長していくのだろう。
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