この夏、浜通りに、震災後については2度目の訪問をしましたが、
「福島に行く」「被災地を見る」「現場を知る」には、2つの大事な点があることがわかりました。
それは
【1】定点観測(継続来訪)
【2】フィードバック(現地の人の話を聞く)

この2つなしに、「被災地に行ってきた」とは、軽々しく言えないのではなかろうかと思いました。

しかし・・・それは私が福島人だからやるのであって、福島にゆかりのない通りすがりの人に求めるのは、あまりにもハードルが高いようにも感じるのです。

というのは、
震災後、「福島に来てください」「現地を訪れてください」という呼び声を何度も聞いたし、私も何度もネットとかで書いてきました。「現場を見なければわからない」ということがあります。

しかし、このごろ、「さっと来て、復興が進んでいないのを見て、それを拡散する人が多すぎる。簡単に現地に来たとか言わないでほしい」という論調が、開沼さんはじめ在住の方から出ているのも感じています。

外から言わせてもらえば、「それは勝手というものではなかろうか?」という感覚を持ちました。だって、あれほど「来て」と言っていた人たちが、来た人の発信が自分の意に沿わないからと言って、ダメ出しをするというふうに見えたからです。「来てくれるだけいい、そうすれば福島の本当の姿がわかる」と言っていたではないか、と。暗い話も、事実の断面には違いないのですから・・・。もともと福島についていい感情を持っていない人が一度来て感じたことを、写真を駆使して伝播する、・・・はっきり言って負の部分が拡大されてしまい、私もほんとにソレは、やめてほしいと思うので、気持ちはわかるのですが。

しかし負の部分を故意に避ける、これもまた、暗い話を誇張することのように、悪と言えるでしょう。明るい福島しか発信されなかったら、福島の人たちが実は我慢して耐えていることが、外の人に伝わらなくなってしまうからです。だから、東海村の前村長とか、自治体の首長にあるような人たちが、平気で「こっちの土も福島に持っていけばいいんだ」などと言えてしまうのです。

ですから、私も、ブログで「除染の土の写真を載せたら福島の人はイヤだろうな」とは思いつつ、載せたことがあります。やはり、目をそらしてはならないし、これがあるから中間貯蔵施設の必要性も広く人々に伝えられます。

結果的に言うと、現地の人と、継続して交流しないと本当のことはわからないんだと思います。

私も、やっぱり、浪江のなんにも変わっていない傾いた家に衝撃を受けた3男と、心境は全く同じでした。復興は進んでいる。でも、こういうところもある。定点観測で、見ても変わっていないところがあった。
でも、その心境を率直に浪江の方にお手紙で伝えたら、新しい事実、躍動への前触れのような動きは進んでいたことがわかった。これは、フィードバックしないと知り得ない情報です。そこまで知ることができて幸運でした。

今回、6号がつながって、そういう「一見さん」も増える可能性がある。でも、そういう人たちは、別に感じたままを持ち帰るだけで、現地の人に聞き直すことはめったにないでしょう。そこに一抹の不安を感じます。

ならば受け入れ体制として、どのようにそういう方々に対処するか、そこが腕の見せ所になってきそうです。ただ、漫然と通りすがられているわけにはいかないのではないでしょうか。

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