私がふだん家の中で愛用しているスリッパを、ある日、夫がトイレで履いてたことが判明!
私がトイレ掃除をしたあと、スリッパをトイレの前に脱ぎっぱなしにしていたら、「これでトイレに入れってこと?」と思った夫が、そのままトイレに・・・(*_*)。我が家はトイレスリッパは置いておらず、マットを毎朝洗って替えています。その、替えのマットも敷き忘れた、というミス。
マイスリッパは、ときどき洗っているのですが、今回、トイレに入った→もう穢れた→捨ててしまえ~と、なりました。

でもこれ、新品のスリッパだったら、ふつうに洗って抵抗なく使っていたんじゃないかな。スリッパがぼろになってきていて、それでも捨てるキッカケがなかったというか(しんしょもち)

・・・と考えると、この「穢れ」の概念は、使う側にとっては、実に都合がいい。たとえトリガーであっても、何かの大義名分になる。逆に、「穢れ」を理由に、自分にとって不都合なことが起きたら、とても困る。だって穢れは、主観的・感覚的なもので、そう言っている人を、どうこうすることはできないから。

これ、「放射線量が高いから、まだ帰れない」というのと似ています。
「帰らない」「決められない」とする人は、線量ではなくて、多くは、仕事がないことや、社会的インフラが整っていないことを問題視しているのでは?また、夫を残して避難しているような人は、嫁入りしたけれどなじめなかったとか、もともと夫婦仲家族仲に問題があったとか。

つまり、「放射線が高い」という理由は、たぶん、二次的な理由のことが多いはずなんです。しかし、避難とは直接関係のない日本国民はそう思わない。あ~まだ福島県は線量が高いのねって理解する。だから、福島県の風評がいつまでたっても消えないという悪循環を起こしているのではないのでしょうか。

この穢れというベールを組織的・体系的に剥いでいく7年目にするには? 
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