稀勢の里の優勝で、感じたこと。
稀勢の里は「自分の力以上のものが最後に出た」「何か見えない力を感じた15日間だった」「きょうの千秋楽は見えない力が出たので、(横綱としての力がついた)確信とはいかないけど、確信に変えるように一生懸命稽古して(略)いきたい」と言っています。

前、白石一文「神秘」という、自力ではなくて、「他」に身をゆだねることで、末期がんなのに生き続けるという小説を読んだことがあります。内容云々別として、そのとき「他力本願」ということについて、自分は正しく理解していないと知りました。他力本願を「自分では努力もしないで、周りになんとかしてもらおう、という甘ったれた現世利益信仰」だと勘違いしていたのです。他力本願とは・・・・人事を尽くして天命を待つ、という感じか。。。でも、辞書には他力本願の説明として「自らの修行の功徳によって悟りを得るのでなく、阿弥陀仏の本願によって救済される」とあるので、「人事を尽くさずして天命を待つ」ということなのか?などと、こんがらがってきます。念仏を唱えるだけでいいのか、どうなのか。だったら稽古に打ち込むだけでいいというのと意味は同じか?とか。

小山聡子「浄土真宗とは何か」で、親鸞の「他力本願」はどういうことか?読んでいるんですが、こちらなかなか難しく、今の段階で見えてきません。・・・仏教は難しい。

「相撲には神様がいる」と言われることがあります。まあ、他力本願を、親鸞は「阿弥陀仏の本願」としているわけですが、この場合広義にとらえて、神様も仏様も他力と言えなくもありません。内館牧子さんの論文に、何か書いてないだろうか。。外国人横綱からは「自力本願」しか感じたことがありません。それはスポーツマンシップと重なるので、強者必勝で当たり前のことです。

何か、稀勢の里の生き方に、他力本願を解明する何かが。。。。ある気がする。。。
内館さんは、必ず週刊朝日のコラムで稀勢の里のことを書くだろうから、チェックしなければ💛


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