Long Goodby・・・認知症のことを、アメリカではそう呼ぶそうです。
少しずつ記憶をなくして、ゆっくりゆっくり、ここから、自分から遠ざかっていく病気。
中島京子「長いお別れ」には、ぼけてから10年で死ぬまでの、元校長先生だった男性の介護について、妻、3人の娘、孫がどうかかわっているか、そして最初のほうは、男性の気持ちも書いてありました。介護は大変ですが、なぜか、読んでいて、あったかくなる本でした。

特によかったのは、悩みを抱えている娘や、孫息子が、すこしぼけてきたおじいちゃんと、話がかみ合わないながらもやりとりをかわし、おじいちゃんの言葉で救われたり、何かを悟ったりする場面。ぼけているからこそ?の、間というか返しというものが、あるのかもしれません。
それから、妻が、自分のことはもう覚えていないかもしれないけれど、そばにいて大事な存在だと確かに夫は自分のことを認識している、それで十分だ、という達観のようなもの。私もそういう場面が来た時に、そうなれるだろうかな~と。

だれもが「ぼけたくない」「長患いして家族たちに迷惑をかけずにぽっくり死にたい」と言いますが、急にボキッと木が折れるように死んでしまった場合、遺された人の心の準備は?という気がします。また、意識清明のまま死ぬことは精神的につらいから、人はぼけるんだ、という考え方もできます。

これほどぼける人が増えてくる世の中ですから、なんとか肯定的にとらえられたらいいのですが・・・
例えば、身内がぼけて、介護者はものすごく大変です。その分、死んだときに「介護をやりきった」という達成感や開放感があるのではないかと思います。「やっと自由になれた」というような、です。不謹慎ですけれど、これは長年、介護をした人の実感ではないかなと。
「喪失感」ももちろんあるけれど、急死にあたっての喪失感をいくらかでも減ずるために、この愛する人は、自分に長い時間をかけてお別れをしているのだと、ぼけや長患いをとらえてはどうだろう。

つまり、愛する人の喪失に伴う「悲しみ・つらさ・苦しみ」×「時間」の総量は、すべて同じであるという法則です。
長い時間をかけて心の準備もしながら、精神的・身体的にもかなりの苦しみを伴いながら介護したする、というのと、
死ぬ間際までぴんぴんして楽しく過ごしていたら、それを突然断ち切られた場合に、それはとてつもないほど大きい悲しみがいつまでもいつまでも続く・・・・ということ。
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