哲学者の國分功一郎氏が最近広めている「中動態」について、興味があります。
私もきちんとまだ本を読んでいないのですが、かじった部分では、中動態とは「能動態と受動態のあいだ」のようなもの。「する」とか「される」ではなくて、気がつけばそうなっていた。自発的でもなく、強制的でもないこと。

武田徹氏は、「自主避難という状態は、まさに中動態だ」としています(読売20170424)
「自主避難者にしてみれば原発事故が起きたから避難したのであって自発的に行動したつもりはない。そこで自己責任、自己負担論には強く反発する。 こうして強制されてはいないが、自発的でもない行動を、能動か受動かに二分するのには無理がある。能動態と中動態の対立の位相でむしろ考えるべきではないか。それが国分氏の提案だ。確かに状況の『外』にいて自由かつ自発的に行為を選択したのではなく、原発事故という与えられた状況の『中』で非自発的に選択をせざるをえなかった。そんな中動態的事態だったと考えると、自主避難者の心情はより正確に理解でき、支援や補償の在り方の議論にも生かされよう」

私は自主避難は「自主的」だから「能動的」だろう、だから「自己責任」だろう、と思っていました。しかし「原発事故のせいで」移動した、という言い方を、確かに当事者はずっとしています。なるほど、と思います。

これと似たようなことを、また別の日の新聞記事で見ました。
五輪の地方競技会場の費用負担について書いた記事で、「例えば地方の競技会場に車いす用のスロープを設ける場合、都は『大会後も活用するので仮設施設ではない』とのスタンスだが、都外自治体側は『大会がなければ設置不要だったから都がもつべきだ』と主張」とあります。
これも、都側が「仮設か・恒久施設か」という二分法でものを言っているのに対し、自治体側は「五輪のせいで作る。都が出すべきだ」としています。これも、都側が中動態で考えればいいのでは?と思います。

私も大好きで見ていたドラマ「カルテット」の主題歌、「おとなの掟」ですが、「白黒つけるのは恐ろしい・・・切実に生きればこそ」「自由を手にした僕らはグレー」には、二分法では語りつくせないということが言い表されていました。これも、何か中動態と似ているように感じました。
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