誰でも、ツイッターでは、自分寄りの考えの人はもちろん、自分とは反対の考えの人もフォローしているのではないでしょうか。ツイッターってよく炎上するのは、多くの人が「アンチ意見」をフォローしているからだと思います。
私の反対の人は、政治的に、ほとんど同じ主張を持っています。放射能忌避。反原発。9条改正反対。森友・加計学園問題燃焼派。「共謀罪」反対。元文部官僚アゲ。アンチ安部。反政府。

例えば、今話題の、「詩織」さんについて、そういう方々はほとんど擁護。こうなると逆に「なんか、臭うわ」です。

今のところ一人だけ、東浩紀氏だけが「そうそう簡単に外野が判断下せるもんじゃないでしょう。強姦があったなら粛々と捜査すればいいし、捜査もみ消しがあったならそれも粛々と調査すればいい。こちらについてもなにも巨悪対正義にする話題でもない。みんなもっと冷静になるべきだと思うな」と言っており、元文部官僚についても「某事務次官が政権を告発したのはたしかに偉いし、例の文書も本物だと思うけど、他方彼が同時に既得権益側であることも確かだし、出会い系なんちゃらへの出入りについて貧困調査とか言ったことが信憑性が低いのも確かでしょう。安倍政権憎しのあまり彼を英雄視するひとにはついていけないな」←正論だ・・

しかし、東氏は、津田大介氏とともに「福島の人たちよもっと怒れ」と言って、福島県の人から「上から目線だ」「あなたがたの飯の種にするな」と批判された経歴あり。彼についたどす黒赤い偏見の色は、なかなか私の中では消えません。「どうせアチラ側でしょ」と思ってしまうのです。

その内容は忘れても、漠然とした不快感は、自分の心か頭か脳かどっかに、いつまでも残るものです。

例えば、福島市で、哲学について語り合うような「場」を、震災後定期的に開いていることを知り、帰省の日程が合えば参加してみようかな?と思ったことがありました。しかし、その場所に、どす黒く赤~い色がついているような・・・過去、ここを会場にして行われる集まりは、デマの温床だったような気がするのです。内容は全く覚えていないのですが、何か、その会場名には、嫌悪感の痕跡がある・・・。これまったく理屈ではなくて、感覚(第六感)のようなもの。それこそ科学的・合理的に否定されるべきものなのですが。

放射能忌避がいまだぬぐえず、福島県に戻りたくない、福島県産品は食べないという方も、こういう感覚がある限り、いくら合理的に説明しても、嫌はいやなんだろうな~と、わが身振り返って感じます。「偏見」「レッテル貼り」は、誰でも持っているもので、それを超えるにはどうしたらいいのか??これを考えるのが、哲学の領域なのかもしれません。

自分とは異なる意見を、支持せずとも、理解はしなければならない・・・というのが、萱野稔人&國分功一郎両氏の哲学対談で、ありました。しかし、どうやって理解すればいいのか?そこまでは、わからないままです。赤い色のついた偏見は、死ぬまで持ち続けるのでしょうか。
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