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日曜の朝6時前から、ラジコで「星野源のオールナイトニッポン」を聞きながら草むしりをしました。2時間近く作業を続けてくたくたのとき、終盤、リスナーからのメッセージ紹介をしていました。
「好きなものや音楽を好きだと人に伝えるのが苦手。星野さんや(その日ゲストの)高橋良明さんは、とても自分の好きな音楽を人似伝えるのが上手ですが、何か心がけていることはありますか」に対し、星野氏が「僕が気をつけていることは一つあります。それは、何かと比べてほめないということ。例えば、あの人よりもこっちの人のほうがいいね、というような言い方はしないということです。それは、あの人のことを貶めていることにもなるし、あの人を好きな人も嫌な気持ちになるから。でも、僕も高校生とか若いころは、あっちの音楽とこっちを比べて、あっちのメジャーなのよりもこっちがいいよな、っていうようなことをよく言っていたことがあります。でも今は、僕は『好き』と言うことが好きというか。好きなことは好きだと言葉に出してたくさん言うようにしているんです」というようなことを言っており、おお~ザ・正論!!と感じました。

・・・でも、ジェーン・スー氏も指摘しているように、新明解で「正論」を引くと「正しい議論(多くは実際には採用されたり行われたりすることがない)」とあります。このように皮肉な気持ちを抱いてしまうのは、私自身がこの匿名ネット空間では、嫌いなことや嫌なことを表明してしまうからです。痛いところを突かれた、という気持ちです。

パッと思い出したのが、小池龍之介さんがなんかの著書で「ネット内で誰かの悪口、ネガティブなことを書くのはやめにしましょう。いいことだけを書くようにしましょう」と言っているのを読んで、・・・・そうだよなあ。その通りだ・・そうしよう、と殊勝にも思ったことです。ちょっと前に。・・・でも、やはりこれも【実際には採用されたり行われたりすることがない】んですよね。

まあ小池さんは、昔ヒドイDV男だったらしいし、お坊さんになって改心したのだろうから、職業柄そう言うのかもという気もします。でも、「星野源ブーム」をどうしても受け入れられないのは、(まあ病気を経験し、這い上がってきてそういう境地になったのかもしれないが)聖人君子の雰囲気をまとっているからかもしれないなあ・・・と、感じたのでした。そうではありえないはずなのに。

というのも、その後また吉本隆明の「今に生きる親鸞」を読み進めるうちに、親鸞は自分を俗人以下と思っていた、というくだりがありました。「聖(ひじり)」であるはずなのに、自分の聖性を否定しているかというのは、星野源ワールドとは逆。もちろん、私は親鸞聖人のほうに親しみを感じます。そして「人は、善いことをしていると思っているときは、悪いことをしていると思うぐらいがちょうどいい。逆に、ちょっと悪いことをしているんじゃないかと思っているときは、だいたい善いことをしている」ともあります。・・・・星野源は、「俺って善いことを言っている」と自分に酔ってる感じだったなあと思います。

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