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臨床心理士である楠峰光氏の「異形の人たち~歴史の中の障害者福祉」を読んで、近年にないほど、驚きました。
老親を山に捨ててこようという姨捨伝説はよくありますが、楠氏は、「食い扶持を減らすためなら敷地内のどこかに寝かせておいて食べ物を与えなければよいだけ。家に居たら困るから山に捨てに行った=徘徊したり奇声を上げたり糞尿を垂れ流し、家人を困らす存在であった=認知症だった」という見方をしているのです。これは・・・世の中に流布している方なんでしょうか?私は初耳でした。しかも、老人を施設に入れるのを「姨捨だ」などと比喩的に言ったりしますけれど、まさに、その通りではないか!と、唸ってしまったわけです。

また、河童も、楠氏によると、「水頭症やダウン症などの異常児が、世間から隠されて育っていたか、親に捨てられて野山で自力で生きていた者」という可能性を指摘しています。各地の民俗や昔話に惹かれる私は、その正体がなんなのかなんて、あまり考えたことがありませんでした。遠野物語には、河童を始め、サムトの婆など、いろいろな不思議な存在が出てきますが、柳田国男はこういう障害者等の可能性を視野に入れていたのでしょうか。・・・もともと柳田は、エロやグロを意識的に隠して学問として民俗学を打ち立てた人。美談・郷愁に変えつつ、実は、「東北の奥は気候厳しく、生活が苦しく、多くの身体・精神欠損者がいた」ということを言いたかったのでしょうか。

これらの章の前、行基が、法話を聞きに来た女が連れている10歳ぐらいの障害児(奇声を発し、姿形が異常)を、渕に投げさせ殺させた話が載っていて、これにも仰天しました。が・・・その昔、もともと身体に異常のある子供は死んで生まれてるのがほとんどだが、中には生命力の強さゆえ、生まれ出て、貧しい中、親や家族が非常に苦労し育ててきたものだといいます。昔は、差別や偏見の目がひどく、隠して育てることも多かったそうで、山に捨てたりもしたそうです。  そんな中、この母親はここまで障害児を十分頑張って育ててきた、これ以上頑張ればこの母親も子供もろとも共倒れになる、だから、子供を殺させたのだというのです。

イギリスかどこかの国では、体重が少なすぎて生まれてしまった赤ちゃんは生かすことを放棄するということが、「救児の人々」という、NICU(新生児集中治療室)関係者のルポに載っていて、びっくりしました。行基など、昔の日本に通ずる話です。

今はすべての命を救うのが日本の医療。それは崇高なことですが、そのさき、ケアを受けた子供が育つ際の受け皿が不十分ということが、その本に書かれてあったと思います。大変な問題だと、その本を読んだときから思っていたので、今回の河童の話や行基の話にはなんか、ガーンという気持ちでした。姨捨の話も、別な意味で・・・。

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