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「フクシマ」表記、福島人は嫌なんだ!・・・ということについて、広島出身の方の書いたツイッターに驚きました。
mipokoさん
私も生まれは広島だけど、行政上や歴史的な地方名としての「広島」と、被爆地・反核・平和祈念の意味を含めた世界語としての「ヒロシマ」という使い分け以外、見たことも聞いたこともないな。
怒りと鎮魂と祈りを込めて「ヒロシマ」を使い始めたのは、むしろ被爆者自身だ。ヒロシマとフクシマのカタカナ表記、その使い方に「穢れ」があると見るのは、そう見る方が勝手に捻じ曲げてるだけだろう。「ヒロシマ」は50年代には既に見られる。急速な戦後復興の過程にもある地方都市としての「広島」と、歴史的な悲劇としての「ヒロシマ」を使い分けただけだ。
「フクシマ」も同じで、地方名・行政区分名としての「福島」と、過酷な原発事故という歴史的出来事の意味を含む「フクシマ」を使い分けてるだけだ。ただ、福島第一原発事故は今も完全解決に至ってない進行形の出来事だし、地元の人が複雑な思いを抱くのは想像できる。だから、「フクシマ」であった方が文脈が分かりやすい場合(海外の記事の翻訳など)以外、無理に積極的に使わなくていいとは思うし、私は使わない。


「『フクシマ』表記に穢れなどと、勝手に捻じ曲げているのは、ヒロシマを知らないあなたです」と言われたような気持ちでした。
私は震災後、「フクシマ」って言われるのが嫌だ嫌だと言ってきたのですが、ならば「ヒロシマ」「ナガサキ」って無自覚に言っていて、広島県や長崎県の人を嫌がらせていたのでは?、と思って、カタカナ表記を意識してやめたのです。でもそれは的外れというより逆に冒涜だったのかと知りました。
「怒りと鎮魂と祈りを込めて『ヒロシマ』を使い始めたのは、むしろ被爆者自身だ」

でも、だからと言って、広島の人に「『フクシマ』には別に何の穢れや差別の意味はない、たんなる使い分け」と断言されてもな、・・・ということでもあって。嫌なもんは嫌なんだから(ちょっとの放射線も、「嫌なもんは嫌」と同じ論理です)
【参考】「レッテルとしてのフクシマ」日経ビジネス20120123 小田嶋隆




前に、「福島はチェルノブイリとは違う」と言って安心してきた、自分を含めた福島人の言い分について、福島で暮らしたことのある音楽家の大友良英さんが「チェルノブイリの人たちのことを考えたらそうは言えない」ということを言っており、私はガーンと思ったことがあります。

さらに「福島とチェルノブイリ」という表記も、「チェルノブイリ」という土地の名前ではなく「チェルノブイリの原発事故とその影響」と、象徴して呼んでいることであるし、それは「フクシマ」と、質は同じになってしまうのであるし。つまり、自分もやられていやなことを、平然とやっているような気にもなってしまう。

IKAさんもツイートされていました。
双方の違いをきちんと把握しないで「チェルノブイリ事故ほど酷くない」って単純な言い方はマズかろう、って事。
「自分も酷い目にあったけど、もっと悲惨な事例を以て慰める」ってのは人間ありがちだけど、気を付けないと「差別」が潜んでいるからね。


フクシマ、ヒロシマ、チェルノブイリ.
今、結論は出てきませんが、ゆっくりできる新年のお休みに、考えてみようと思いました。
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