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このまえ、Fm yokohama 84.7 「FUTURE SCAPE」に萱野さんがゲストで出ていたので、がんばって書き起こしました。
生きることはめんどくさいか否かで決める!?

柳井麻希:きょうは哲学をチェック&マークしています。
小山薫堂:はだのの山男さんからいただきました。「私は頼まれたことは断らないようにしています。それは、誰かに迷惑がかかるからとかそういう崇高な考えではありません。断る理由を考えることがめんどくさいからです。つきつめていくと、『めんどくさい哲学』は、すべてのことに通じているのではないでしょうか。部屋を片付けない子は、片付けるのがめんどくさいからであり、片付ける子は、片付けないで親に叱られるのがめんどくさいからなのではないでしょうか」。僕もメール読むのはめんどくさいんですけど、メール読まないでクレーム来たらめんどくさいなと思って読むってとこがありますが。
柳井:番組ですから、読まなきゃいけないですよ。そんなにめんどくさがり屋でしたっけ。
小山:めんどくさいから来たくないんですけど、でも来なかったらもっとめんどくさいことになりそうだから来てるんです。「めんどくさい」を常に天秤にかけて行動している、という・・・。
柳井:これ哲学っていうのかどうか・・・。
小山:これ哲学じゃん。・・・哲学って何ですかね?
柳井:ねえ。それをうかがいましょう。きょうは、津田塾大学で哲学を教えていらっしゃいます哲学者の萱野稔人さんにお越しいただきました。

「めんどくさい」でその人の優先順位がわかる

萱野稔人:よろしくお願いします。
小山:今の哲学っていうんですかね?
萱野:今の、すごいいい哲学だなと思いましたね。
柳井:ほんとですか。
萱野:めんどうを避けるために、何を優先するかということですよね。かなりこれ、生き方にもつながるんじゃないかと思いましたよね。
柳井:そうか、そういう意味では。
小山:哲学と思想って違うんですか、全然。
萱野:いや、区別する必要ないと思いますよ。哲学って、一つの学問のジャンルですから、当然こう、知識としての哲学があるんですよ。でもそれと同時に、実践としての哲学ってことがあって、それは生きる指針だったりとか、社会を生きていく上で、いろんな問題を解決するために考えるということで、これ二つ両方ありますので、知識としての哲学がなくても、じゃあそれで哲学できないかというとそんなことはないと思うんですよね。

物理学はものの理、哲学は生きていく上の理

小山:確かに「学」がついてますからね。学びなわけですよ。「哲」って何?
萱野:もともとは「哲理学」っていうふうに、最初、哲学のこと訳そうっていうこともあったみというたいで、生きてく上での・・・物理学と対局なんですよ、そうすると。物理学はものの理、理っていうのはロジックですよね、を、考えよう、探求していこうという学問ですけれども、哲学というのは生きてく上での理というか、ロジックを探求しようということで、哲理学と訳されようとしたということがありますね。
小山:でもなんか、「哲」という字を見ていると、口を折る、という字ですよね、なんか見てると。
柳井:ほんとだ。不思議な字ですね、これ。
小山:めんどくさいこと言ってる口を折ってやりたいっ思うような、自分の理論によって相手の何かを折るとか、なんなんですかね。
萱野:まあそうなっちゃうとちょっとね、人と競わなきゃいけないから、哲学も少し窮屈になりますけれども、まあ、実践としての哲学ということで言えばね、自分なりに答えを見つけていけばいいと思いますし、少し例えば社会の問題・・・私は政治哲学が専門ですけれども、社会の問題考える上でも、まあ必要になってくるかなと思うんですよね。

AIに選別される人間

萱野:例えば、最近だと、あの・・・まあ私、大学で教員してますから、就職活動見てるんですよね。学生の。最近少しね、企業によっては、AIによって選考するところが出てきてるんです。
小山:え~
萱野:人口知能で、就職の選考をしていくんですよね。
小山:どうやって?書類ですか。
萱野:書類ですね。とにかくもうもっともっと上の方に行けば、何次段階とか(違うけれども)。
小山:ふるいにかけるときに。
萱野:そうですね。みんなパソコンで今、エントリーシート書きますので、それをAIが読み込んで、ふるいにかけてく、セレクションしていくと。で、これね、学生みんな嫌がるんですよ。で、やだなって、AIなんかに選ばれたくないって言うんですよね。でも、別の見方でいくと、AIって公平じゃないですか。例えば、人間が今ほんとに人気企業って何千通って来ますから、エントリーシート。企業の人事部の人に聞くと、みんなちゃんと読んでるって言うんですよ。そういう状況で数限りある人事部の人が、何千通もあったエントリーシート読んでたら、もう、疲れたなとか、またおんなじこと書いてるよこいつとか、なんかあるじゃないですか、気分とか。それで、そのときのたまたまの気分で落とされるのと、AIが公平に見て落としてるのでは、どっちがいいのっていうことで、公平性ってことで言えば、もしかしたらAIのほうが公平かもしれないんですよ。
柳井:そうか~
小山:確かに、あとなんか突破する鍵が見つかりそうな気がしますよね、AIだと。分析することによって。
萱野:そうなると、まずここでね、一つ、AIのほうがもしかしたら公平かもしれないという観点もあるし、それでもやっぱり人間て自分の人生をコンピューターに握られてると思うとどうしてもいやな思いがする。じゃあこの気持ちって何なのかなっていうことも、考えるのは哲学の材料になるんですね。だから、どんなことでも日常、実践としての哲学ってう観点で言うと、どんなことでも哲学の材料になりますよね。

フランス人は哲学が日常

柳井:萱野さん、もともとこの哲学の道に行こうというきっかけは何だったんですか。
萱野:あのね、これほんと偶然重なりましたね。直接のきっかけになったのはフランスに留学したことなんですよ。で私、大学出るときに相当いい加減な人間でしたから、もう将来のこと考えずに、何とかなるだろうということで、何も就職活動しなかったんですよ。就職活動しなければ、卒業と同時に無職ですよね。でも食っていけないからアルバイトして。生活してたんですよね。1年ぐらい生活してたんですけど、しんどかったんですよね。やっぱりアルバイトで生活っていうのは。当時、フリーターっていう言葉ができて数年しか経っていなかったんで、始めるときは少し明るいイメージだったんですよ、これ、自由に生きられるという、そういうイメージでフリーターやってみたんですけれども、なかなか厳しいなということで。
じゃあ少しここで方向転換するにはどうしたらいいかなということで、思いついたのが留学だったんですよ。ものすごい安易な。それで結局フランスに行って、最初はまあ、大学院で修士課程が終わったら就職活動でもしようかなと思ったんですけど、まあそこでたまたま哲学科に入って。哲学が一番おもしろそうだなとおもったんですよね。フランスでやるには。それで進学してたら、だんだん研究というか勉強がおもしろくなってきて、博士課程まで進学して、そのころになると、ちょこちょこと日本の例えば哲学系の雑誌なんかがあるんですけれども、そういうところに寄稿する機会なんかもいただいて、書いていったら、なんとなく自分はもしかしたら哲学の研究者になってもいいのかもしれないというような、実感が出てきて、それから目指すようになったので、だいぶ遅いですね、その点で言うと。28とか9歳ぐらいになって初めて哲学目指そうと思いましたね。
小山:哲学者ってなんか資格があるわけじゃないですよね。いつから名乗るんですか。何をもって名乗るんですか。
萱野:いやあ、自分が哲学者だと思ったら名乗っていいんですよね。あとはまあそれを人が決めて、評価してくれるという流れだと思いますけれども。
小山:なるほど。
萱野:ただ、ずっと、日本では、哲学って過去の学問だから、哲学者って名乗るのはダサいっていうのが、80年代、90年代の雰囲気だったんですよ。だけど私はまあフランス行って実は哲学っていうのは、例えばフランス哲学は入試の必修科目なんですよ。
柳井:ええ~!
萱野:理系も文系も哲学やらないといけないんですよ。それも、小論文と言いながら1時間ぐらい缶詰にさせられて、で、問題について論じなきゃいけないという。
小山:へえ~
萱野:だから、フランスには、哲学嫌いっていうのもいましたね。日本は好きでも嫌いでもないでしょ。
柳井:そうですね、よくわからないというか。
小山:どうしても哲学っていうと、カントが書いた本は何かとかいうことになってしまう。
萱野:知識としての哲学ですね。フランスではそうだったので、刺激を受けましたよね。
小山:生きる上での根幹ですよね。
萱野:そもそも何なのかということですよね。人間てなんなのとかそういう話になっていきますよね。
小山:萱野先生は日常を送る上で、いろんなところで疑問を抱いてしまうんですか、本能的に。
萱野:え~・・・本能的にというとかっこいいんですけれど、常に哲学の材料は探していますね、何についても問いを探すという習慣はできちゃいました。

女子大とトランスジェンダー

萱野:例えば、私、女子大で勤めているんですが、今女子大ってかなり揺れてることがあって、3年ぐらい前に、日本女子大の中等部の入試を巡って、ある問い合わせがあったんです。つまり、うちには息子がいますが、性自認は女です、女子大の中等部に入れるんですかっていう問い合わせがあって、議論しなきゃいけなくなって、主要女子大でいま、その問題で大沸騰している。ですので、「入学者は女子に限る」という大学に、身体的には男なんだけど、性自認は女という人が入れるかどうかという問いがまずあるんですよね。けっこう全体的な動きでいうと、わりとそれは認めたほうがいいんじゃないかという。だから、数年内のうちに、いろいろそれ認める大学増えてくるかもしれない。
一方で、私もそれで、性的なマイノリティーをできるだけきめ細やかな対応していくのは大賛成なんですけど、こういう問題も考えるんですよね。例えば、それで認められて、身体的には男なんだけど、性自認は女なんだという学生が入学してきたとする。その学生がここ女子ですよね、私も女として入学してきたから、女子トイレ使わせろと要求してきたら、大学どうしたらいいのか。あるいは、私たちの大学は寮があります。寮に入れさせろと、寮は共同風呂なんですよ、そうすると、私は女として認められているんだから、ほかの女子学生と平等に扱ってほしいということを要求してきたときに、大学どこまでこたえられるのか、で、私はやっぱりそういう問題を常に考えているからこの問題も、性の多様性をなるべく受け入れていくというか、反映させるということは、いいなという議論はたくさんあるんですが、じゃあ実際受け入れた時に、そういった問題どうしたらいいのかなということを考えるのは、なんとなく、哲学者としての癖なのかなと思いますね。

男と女の違い

小山:そう考えると、男と女の区分けって生態学上の区分けじゃないですか。じゃあ考え方で、男的考え、女的考えって分かれるんですか。
萱野:今の脳科学や進化生物学といった学問はものすごく発達しているんですけれども、それだと、進化上で、進化の過程で獲得してきた特性は身体だけじゃなくて脳にもあるってことなんですよ。ただそれで、もうそれはなかなか実験なんかで明らかにされてきたんで、引き合いにするの難しいんですけれども、それと、男女平等にしなきゃいけませんよねという今の社会的規範をすり合わせていくのが難しいんですよね。
柳井:またそれも難しいですよね。
萱野:よく話してもいるじゃないですか。女の人は、共感重視でプロセス重視で、話すこと自体が目的なんだと。男の人は、話すことはあくまでも問題解決の手段であって、結論が欲しい。
柳井:そうなんですよ。
萱野:夫婦の間で、話がこうね、かみ合わない、なんで男っていつもこう、説教しようとするのかしらって、こっちは話聞いてもらいたいだけなのに、なんで男の人はすぐになんかこうこうしたらいいんじゃないとか、アドバイスしてくるのって。
柳井:あとね、で、落ちは?って聞かれるんですよ。
小山:それはおたくの・・・(笑)哲学論に持ち込まないでくれますか、その・・
柳井:だって、プロセスをただただしゃべって、こうだったんだって言ったら、でも、だから何だったのって・・・
萱野:だから何?っていうのをね。女の人はやっぱりね、話すこと自体が楽しくて共感してほしいっていうね。
小山:ああ・・・。
萱野:その辺をね、脳科学の分野では、脳の活性化してる範囲も違うし、出されてる物質なんかも違ってるんだみたいなことは、言われてますけど。ただあんまり、男女て絶対違うんだみたいなことになりますと、今度は社会的に、どこまでそれを認めてどこまで認めないんだみたいな話は出てきちゃうと、また難しいんですよね。
柳井:考えなきゃならないことが山ほどありますよ。
萱野:その点で言うとね、けっこう知識としての哲学を離れても、哲学として考えることってたくさんあるんですよ。それを私は提供して、というふうに考えています。
柳井:でも今、萱野先生のお話聞いてると、今までももやもやしていたことが、あこれも哲学、あれも哲学ととらえて、いろいろ考えていいんだって、ちょっとこうハードルが低くなったっていうか。
萱野:今もやもやしたっていうのは、家庭での会話・・・、
柳井:(笑い)哲学っていうととっつきにくいっていう感じが、あったものが、なんかこうハードルが低くなったというか、とっつきやすいイメージになりました。

哲学好きとルール作りのうまさ

小山:よく外国、外国っつってもいろんな国ありますけど、日本人はあまりそういうことを熱く語らないんじゃないですか。
萱野:ああ、そうですね。
山:でもフランス人とか、ほんとよく語りますよね。
萱野:ほんとに話しますよね。ずーっと話してますよ。私はそれはすごくよかったっですね。やっぱりすごく大変ですけど、フランス語しゃべるのは、それでもみんなけっこう議論に付き合ってくれましたからね、楽しかったですね。
柳井:だからこそカフェ文化みたいなものもね。培われてああいう場所でみなさんみんな語り合ってるんですよね。
萱野:フランス住んでて実感したのが、ヨーロッパってルール作るのが上手じゃないですか。自分に有利なように。例えば柔道なんかでも、自分に有利なようにどんどんルール変えてくって日本では不満が出ますよね。で、あれ、ヨーロッパの柔道連盟がすごく力持ってて、そこがこう、いろんな形で、日本ばっかりが強いと、もっと別のルールにしてくれって言われるじゃないですか。これ別にビジネスの分野でも、ヨーロッパ、ルール作るの上手で、フランスそんなかでも中心の位置占めてますけれども、ルール作るの上手なんだなあって。一つの答えが、やっぱり議論好きってことなんですよね。結局ルール決めるっていうときは、根拠が必要になるんですよなぜじゃあ柔道でこういうルールはだめなんだって、スキーの板は、これでいけないのかって言った時に、いや、それはこういう点で問題だからっていう根拠が必要になる。この部分はけっこう哲学的でものごとの根拠を示すっていう。フランス人そういうことばっかしやってるから、やっぱりこう人を説得するために常に何かこう、根拠までさかのぼって議論するってことをやってるから、国際的なルール作りでも強いんだなって思います。だから日本はもうちょっと見習ってもいいのかなって思いますね。
柳井:そうですね。必要な力かもしれませんね。
小山:でも哲学を若いうちから学ぶっていいですね。
萱野:これね、だから私たち哲学の研究者も、責任あると思うんですけど、知識としての哲学しか大学であんまり教えてないんですよ。実践としての哲学を教えるっていうことを、なかなか試みてこなかったってことがあって、もっと身近なところで、かつ、これからの時代でも必要なところでもありますので、それこそ根拠を示して新しい議論を作っていくということは、AIにもできないことですから、ほんとはもっと
大学で教えていくべきなんですよね。

道徳には正解があらかじめ準備されている

小山:小学校で道徳の時間とかありますけど、あれも哲学みたいなもんですか。
萱野:そうですね、やりかたによっては十分そうなりますよね。だからなぜっていうことを問い詰めていくっていうのが哲学の基本ですけれども、道徳ってなぜってことたくさんありますよ、それこそ。さっきの話じゃないですけど、なぜ、このめんどうを避けるために、別にめんどうを抱え込まなきゃいけないんだとか、いろいろあります。そういう点でいうと、道徳なんて哲学の授業にはすごく使えるんですけど、やっぱり学校の教育って、答えに向けて教えるということが楽になるんですよ。だから道徳も、これがあらかじめ正解っていう指導要領の中に書かれていて、それを教えるっていうことになっちゃうんで、どうしても実践としての哲学ということからいくと、離れていってる。
柳井:こうしましょうってことで、一方的に教えられることが多いですね。どうしたらいいかなっていう考える時間にすればいいのかもしれませんね。
小山:素朴な問題でもね。
萱野:どうですか、プレゼントをもらったとして、あけたらものすごくダサかったときに、なんて言います?
小山:ええ~って言うんじゃないかな。
柳井:ええ~とは言わないと思うな。
小山:そこで、うそでも「よし」って言うかなあ。ありがとうって。
萱野:そうすると、嘘をつく派ですか。
小山:(笑い)
柳井:だれでもいい、もらったって気持ちがうれしいっていう。
萱野:選んでくれてありがとうっていうのは、万能の言い方ですね。
柳井:そこをどうするかってことですよね。
萱野:素朴なところからね、道徳なんて、ほんとにもう、なぜって問いやすい分野なんですよね。
柳井:おもしろいなこれ、詰めてくと。じゃあここでいったんブレイクを。

国と国境

柳井:哲学っていうと萱野先生は政治哲学を教えていらっしゃるということなんですけど・・よく、僕が総理大臣になったらって言うじゃないですか。国っていう単位で言うと、そもそも国って、どういう。
小山:ほんと考えたことないですけど、日本にいると、国ってすごくわかりやすい気がしますけど、ヨーロッパとか行ったら、スイスの中に言語が4つ話されていて、そういう意味では非常にこう国の境界線とか町の境界線とかがあとで作られて、作られたあとでそこに住む人たちが属していて、そこに愛が生まれるじゃないですか。それがね、よくわかんないんですよ。
萱野:ほんとにね。不思議な話ですよね。言語が違うのに一つの国でなんでここに境界線ひかれたんだって思いますよね。だから、例えば日本だったら、日本語、あるいは日本民族というようなね、漠然としでも共通していることがあるじゃないですか。でも必ずしもそういうわけでもないので、けっこうこれ難しいんですよ。どこで境界線引かれたっていうのは割と面白くて、例えばね南米のチリ、あの国めちゃくちゃ長細くないですか。あれ子供のころ1回ぐらい思ったと思うんですよ、なんでこの国、細い、細すぎるって。
柳井:思いますよ。
萱野:でも、あれは確実にアンデス山脈があって、アンデス山脈のこっち側には、アルゼンチンの権力が及ばなかったんですよね。だから、アンデス山脈と海の間に権力の空白地帯ができて、一つの国になった。だからあそこは、ものすごく地理的な、高い山脈がそびえているという、地理的な要因がものすごく大きいんです。そうなると、権力が及ぶところまでが国境なんだなって。
柳井:ああ、なるほど。
萱野:だからスイスも、結局、いろんな言語の人が、南側はイタリア語を話す人が住んでるし、西側はフランス語、北側はドイツ語を話す人がいるっていうふうに、分かれてんだけど、スイス、あの辺の山脈が、ある権力がうま~くね、統治したと。そうするとそこを線を引いたということで、国境線て恣意的なんだけど、でも権力という問題とすごく関係しているという。そんなふうにけっこう、哲学だと考えますよね。

権力と国

小山:でも権力を持った人は、なぜ国を作りたがるんですか。
萱野:そこはね、またね、ほんとに本質的な問いなんですよ。あの、権力で一番大事なことって何だと思います?
柳井:なんだろう。
萱野:例えば自分が権力持ったとして、どうします。
柳井:どうする。
萱野:例えば政府という権力。
柳井:でも、なるべくたくさんの人に平和に暮らしてほしい、まず考えます。
萱野:平和を提供することが、自分の責務ということですよね。じゃあ平和を提供するためには何が必要だと思います?
柳井:なんだろ。今すごく、漠然と平和って自分で言いましたけれど、平和ってやっぱりある程度の力で統制しないと成り立たないんだなって今ちょっと同時に思っちゃいました、それって平和的じゃないかも。
萱野:いや、でもすごいまっとうな考えですよね。平和提供するためには、やっぱり治安管理をするスタッフがいる、あるいは防衛するためのスタッフがいる。じゃあスタッフが要るわけじゃないですか。どちらにしてもね。じゃあスタッフ養うためにはどうしたらいいですか。
柳井:そうですね。
萱野:自分の財布から出せればいいけど、そんなことできない。
小山:産業を興したりして、いろいろ、稼がなきゃいけない。
萱野:稼いで人々から税を取りますよね。この税を取るっていうの、政府ではものすごく重要なんですよ。そうすると。日本でも、公務員、みんな例えばいろいろ言ってるじゃないですか。でも国家公務員、一番多いのは実は自衛隊員で、この人たちの給料があるんですね。そうするとあの人たちを食わすためには、税金が必要、どんな権力、どんな政府も税金て逃れられない、それがなければ成り立たないんですよ。そうすると、税金取るためには、税金払いたくないって人がいたらどうするっていうことなんですよ。結局また治安部隊、税金払わない人は、強制的にってなると。
柳井:スタッフを。
萱野:また強制力のスタッフを養うために、税が必要、でも強制スタッフを養うために税が必要っていう、こういう循環の中で何かをやってくっていうのが政府なんですよね。その中で自分の勢力範囲はここまでだって線を引くのが国境線。
小山:ああ。
柳井:国って大変。
萱野:(笑い)
小山:今、税金のない国ってないのかなって考えたんだけど、じゃあ道路はどうすんだとか。いろいろありますよね。
萱野:そうですね。だから、中東の国なんてね、石油の利益があるからあんまり税金を取らなくていい国ありますけれども、結局あれも、油田が国有地だからですよね。だからあれも、ほんとだったらほかの国民の資産だったかもしれない、資源だったかもしれないのを、政府が強制的に自分たちのものにしてるから、そこからの利益によって、税金払わなくてすんでるわけだから、結局構造としては税金と同じわけですよね。
柳井:せんせ、小山総理、どうしたんですか。難しくなってきちゃった?

お金とは

小山:お金とは何かみたいなの、哲学的に考えるとどうなるんですか。
萱野:これも難しいんですよ、お金とは何かっていう問い、ほんとに。それこそね、なんでこんな紙切れ一枚が、一万円の価値あるのって。これね、歴史をたどってみると、もともと今のような貨幣としてお金が流通するようになったのは、イギリスの銀行が歴史的には初めてなんですよ。それまでは、貴金属がお金の代わりだったんですよね。貴金属はみんな欲しいから。それが交換可能性というか、誰でも欲しいんで交換できる一番の手段になるんですけど、その中の貴金属で一番だったのはやっぱり金ですよね。だからみんな金を使って取引をやってきたんですけれども、イングランド銀行はこんなふうに考えたんですよ。そのね、使ってる金を私に預けてください預けてくれたら、預かり書発行しますよ、そうしたらその預かり書を金の代わりとして、交換の時に使ってくださいと。みなさんもし、この預かり書をこの銀行に持ってきたら金を返しますよっていう仕組みを作ったんですよ。で、イングランド銀行は、それをその金をみんなから集めて、預かり書を発行して、これがお金の起源なんですよ。
小山:預かり書なんですか。
萱野:預かり書なんです、今でも一万円札に日本銀行券て書いてあるじゃないですか。あれ要は、日本銀行が、あれ今だと株とか資産を購入して、それが銀行通じて民間に行ってるっていう形なんですよ、だからもともとそういうもんなんです。兌換紙幣とかいうじゃないですか。お金って、結局は中央銀行に対する信用で成り立っているんです。これは1万円の価値があるということを国が仕組みとして整えてくれているっていう信用。だから国の財政が悪くなると、お金の価値も落ちちゃうんですよ、結局。
柳井:そっか。
萱野:はい(笑)
柳井:ちょっとね、この続きを、もうきょうだんだん時間が。。。
小山:これね先生の話をもう、徹底的に聞きたいですよね。
柳井:聞きたいでしょう。
小山:いいこと考えた。僕が席を譲ります、もうその時。
柳井:もうね、決まってるんです(笑)
小山:決まってるんですか(笑)
柳井:ええ(笑)
小山:じゃあ、なぜ僕は譲るんですか。
柳井:休みたいからでしょう?
小山:(笑)なぜ休みたいんですか、じゃあ。
柳井:めんどくさいからでしょう?(笑)
萱野:哲学的な問いを出してきてもすぐ返されて・・・
小山:そうなんですよね(笑)
柳井:そうなんです、実はですね、来月、6月、薫堂さんがまたお休みするんですけどその時に萱野さんがピンチヒッターとして、来てくださることになっております、よろしくお願いいたします
萱野:もう留守を預かる立場ですからね、今から緊張しています。
柳井:とんでもない、こんな緩い感じで。
小山:ふだんの知的レベルの低さに怒り心頭の方もいらっしゃると思うんですよ。そういう方はぜひ、6月16日の会にメールをたくさん送っていただきたいと思います。
柳井:そのときにまた、この続きをお願いいたします。すごいこれ、ずっと聞いてたいもんね、っていうかずっとしてたい。
小山:してたい。
柳井:やっぱおもしろいね。

背中を押してもらった言葉は?

柳井:ゲストの方にみんなお聞きしているんですけど、なんか背中を押してもらったことばとかありますか?
萱野:これね、私、あんまりなくて、いつも困るんですよ。
柳井:困った質問しちゃった。
萱野:一番今日困った質問。よく、私も大学で教えてて大学の運営なんかにもかかわっていくと、いろんなめんどくさい問題出てくるんですよね、人間関係もありますから。で、うまくいかないこともある。そういうときによく考えるのは、人は変えられないけど、自分は変えられるっていうことなんですよね。だからあいつがどうせ悪い、あいつはひどい奴なんだって言ったって、何も始まんないんだって。人間てこんなもんだよねっていうふうに思って、その中ででも自分を善処尽くすにはどうしたらいいんだって、なるべく考えるようにしています。なるべくですよ、いつもそんなきれいごとで言ってるんじゃないんですけれども、だいたい私は風呂でぶつぶつ言いながら、ちきしょうとか言いながら、でもまあ、きれいごとではそう考えますね。
柳井:自分のためにもその方が・・・前に進むには必要かもしれないですね。
小山:そうですね、ストレスをためない手段としてそれはありですね。
萱野:そうですね。
柳井:来月もよろしくお願いします。
小山:僕も聞きにいきたいな。
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