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第165回直木賞(もう1作は澤田瞳子「星落ちて、なお」)、第34回山本周五郎賞W受賞。半年待ちで読むのに1週間、けっこう時間かかりました。
ちょうど呪術、異界、信仰の本を集めているところなのでどんぴしゃでした。主役が誰かわからないほど動いていく造りで、読みやすいかと思ったがかなり読みにくい。死者(殺される)も多くしかもえげつないグロ系なので、同僚にも勧められない。

2回前の直木賞受賞作「熱源」がもうとっくに予約が外れ、カウンターに並べても借りられない。おそらく、このホンも同じ運命をたどるだろう。読み始めて、どうも「熱源」に似ていると感じた。しいたげられた民族の隠された怨念、重層的な筋や、多くの登場人物。熱源は登場人物出てたけどね。

偶然見つけた「大英博物館双書Ⅳ 古代の神と王の小事典3 アステカ・マヤの神々」が副読本としてよい。テスカポリトカと誰が兄弟とかが若干、本文とは違うが、よすがにはなる。

テスカポリトカのツラが強烈だが、あれと同じツラがまえの車とすれちがってぎょっとする。幸運なのか、演技悪いのかすらもわからない。しかもいけにえのくだりは、諏訪大社前宮の、ミシャグチ様に捧げる御頭祭の伝説に酷似、たしかユダヤにもそんな神話があった(カゼさんが言ってた)、世界に構造的にこういう信仰があるということは、残虐というのだけでは片づけられない何かがある。

臓器移植が進まない日本が、なんと供給側となる話だが、まあ地獄に落ちる話であり、結末はむべなるかなである、しかしどうしてこうも、コシモにシンパシーを覚えるのか、彼は「ケーキの切れない非行少年」と同じ境遇のはずなのに、奥田英朗「罪の轍」とは違い、彫り物の師匠との間や、臓器売買の師匠との間に擬似親子の関係を作る。また、いけにえ予定の少年とも心を通わせていく。それで、結末の後も「生き延びてほしい」という読メの意見が散見するように、私も同感なのである・・・犯罪者に対してこういう気持ちになってよいものなのかとも思うのだが・・・。それが作者の力量か。すべて死という結末よりもずっとずっと光があると感じてしまう、倫理的にいけないことのはずなのに、多分、残虐なシーンの連続ばかりの中に、そういう表現があるので、過剰に心を入れてしまうのかもしれない・・・。

アステカ帝国は白人に滅ぼされた(らしい。忘れちゃった)。あとから来て現地を征服した人が、彼らを野蛮人とみなし、歴史(正史)を塗り替えていく。私たちが学校で習う歴史はみなそうだ。維新も薩長のテロだという論調がある。敗れた側の会津人側に立つ福島人の私はそれもそのとおりだと思う。それを言うのなら日本書紀もそうだろう。

人が生きる上で、あれもこれもは無理で、何かを得るには何かを犠牲にしなければならない。それと集団における信仰の中でいけにえを作るというのは、弱いところにしわ寄せがいくという点で、人権至上主義の現在の眼から見ると、言語道断のはずである。しかし人権というものも、「人権なんて大事にする時代があったね」という未来が来ないとも限らないという文章を(何かで)読んだが、価値観はうつりゆくものであり、先の人の眼で過去を断ずることもできない。少なくとも、現段階で、この臓器売買まで描かれたということは、そういう素地があるのかも、という警告ともとらえられる。帚木蓬生「臓器農場」は、捨てられた胎児を培養し、臓器を育ててそれを移植するという話だったが、ここからものすごく話は飛躍している。きっと何かの芽なのではと思わされて震えがくるようだ。

なんにせよテスカポリトカの神様は、気になる。スズキのなんという車に似てるのか、今問い合わせのメール出して聞いてるところ。返事来るかなあ。

これを読んだ人と話したいが、しかし、話せる人はいなそうだなあ。

すきな表現・・・抜粋
P166
「バイパスに使われる血管は<グラフト>と呼ばれる。もともとは<接ぎ木>とか<移植>とかいう意味の言葉だそうじゃないか? だから、この<グラフト>には<収賄>という意味も与えられている。言い得て妙だよ。新たな血管をバイパスして、新たな血の流れを用意する。おれたちも先生も、やっていることは同じだ。グラフトをつなぐのさ」

P353
「いいか、コシモ。ナイフは芸術(アート)だから美しいんじゃない。道具(ツール)だから美しいんだ。そこを履き違えるな」

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