本の返却期限がきてしまい更新しますが、ふせんをはったとこだけ
メモ。池澤夏樹著、読売1999年連載を再読中。

科学技術というのも、一種の信仰ではないのかお祈りをすればかなえられる。電球に電気を通せば明かりが点く。普通の信者、普通の利用者ならばそこまで知っていればいい。
しかし、専門家は、僧や技術者は、この単純なからくりの背後にある膨大な知識と哲学、因果関係の体系を知らなければならない。
科学技術の恩恵は(御利益というべきか)はっきりしている。まず間違いがない、と林太郎などは考えている。しかし、素人は、野菜ダイエットが効かないと文句を言ったり、ビデオのタイマー録画の設定を間違えたり、つまり教義に反することをして御利益がないと嘆く。
お祈りが聞き届けられないという嘆きも同じようなものなのかもしれない、祈り方が違うのだ。洗濯機で掃除はできないし、バスで海は渡れない。
科学技術という信仰の一番の問題点は、あまりに現世利益優先であることだ。科学者は来世の存在さえ認めない。最初から目の前で結果の出ることしか相手にしない。
そのために、どうしてもモノによる満足を重視して、精神的なものを軽視することになる。ある種の宗教が目前の利で釣って信徒を増やすからといって、科学者はそれを非難できない。科学がこの100年やってきたのはまさに現世利益による布教だったのだだいたい、この地で、このヒマラヤの山の中で、仏教と電気はどちらが人の役に立つのだろうか。バカなことを考えていると自分でも思う。比較にならないものを比較している。
たぶん、電気は負ける。ここの人たちはその恩恵をまだよく知らないし、信仰の恩恵の方はよく知っている。進行なしで生きるとは、薪の準備なしに冬を迎えるようなものだ。不安はかぎりないだろう。
では、お前は何のためにこの地に電気をもたらそうとしているのだ?電気を与える代わりに信仰を奪うわけではない。それはそうだが、先進諸国では、この100年、電気の普及とともに、信仰心が失われていったのではなかったか。
あの仏たちの像を見たばかりに、おまえはこんな大問題を考えざるを得なくなった。科学技術という新しい宗教の宣教師になりかけている。
科学技術が一種の宗教だというのは案外当たっているのかもしれない、と林太郎は考える。どちらかというと多神教。宇宙科学のような、遠くにいてただ祈りを受け取るだけの深遠な神がいる一方で、原子力工学のように後利益はあらたかだがうっかりすると(まるでシヴァ神のような)猛烈な破壊の神に転ずるものもいる。
しかし、全体としての体系に矛盾はない。神々はお互いに尊重し合っているように見える。平の信徒は毎日、電灯のスイッチを入れたり天気予報に応じて傘を用意したり、メールを送ったり、小さな祈りを重ねて暮らす。林太郎のような神官たちは、より多くの御利益を求めて日夜修行にはげみ、研さんを続ける。
大寺院を建てる代わりに、天文台や発電所を造り、お祓いをする代わりに内服薬をいただく。
近代人はたくさんの宗教を作ったけれど、それが簡単に構築できたのは来世を棄てたからだ。この世だけの栄華なんてすぐにも手に入る。魂を売ればいいだけの話ではないか。
(※今回の問題で言えば、科学と信仰とは、私は、似ていると思います。互いに互いを糾弾しているけれど、題目を隠せば、自己の正当性を申し述べ、相手を否定することは、同じだと思うのですよね。こんなこというと叱られると思うんですけどね)

◆なぜ、尊い仏画に男と女が抱き合う姿が描かれるか、性と信仰は水と油ではないか。そんなものを掲げるのは邪教ではないか。そういう考え方をまず捨てましょう。
信仰の話というのは、いつでも自分の側を無にして、空っぽにして、相手が言っていることをそのまま認めることから始めなくてはいけない、と私は思います。まず認める。すべて認める。この場合だったら、チベット仏教には男女合体の仏のあるということを認める。
次に学ぶ。これは本当に修行するか、単に知識として身につけるだけか、2つのやり方があるわけですが、ともかく学ぶ。
その先で初めて理解することができる。
つまり、理解してから認めようとしてはいけない。そこが理科の勉強とは違うところです。理解したうえでやはり認められないと考えることはできるけれど、その場合はあなたは信仰を離れる。あるいは教理のその部分を捨てる。
(※リスク・コミュニケーションには、もしかして、この「まず認める」が必要なのでは。。。うまくいえないんだけど。)

◆「加工の原理は力とコントロールでしょう。ここではどちらも人に頼っている。コントロールに専念して、力は機械に任せるという感覚がつかめない」
「ぼくらは無意識にやっているけれど、意外に難しいことなんだ」」
「そうですよ」
(※日本人はコントロールに専念しすぎた弊害が今、出てると思います)

◆「この国では人はバカになってひたすら消費していればいいんだよ。うっかりものを考えて、一人ひとりが節約なんか始めると景気が悪くなる。自由放任がもっともいいというのが今の日本の国是なんだ」
「その結果が豊島だろ」と課長が言った。
「なんですか、それは」林太郎は尋ねた。
「ほら、香川県の小さな島。悪徳業者が産廃を文字通り山ほど運び込んで、県はそれを承知で黙認していた。住民がいくら訴えても門前払い。さすがに問題になっているけれど、知事なんか今もって何が悪いと開き直っているよ。」
「それでも」と本多が言った。「産廃の豊島や、基地の沖縄や、敦賀の原発銀座を作ってでも、自由放任は効率がいいということなんですかね」
「景気と被害者の補償は別問題だ。消費は美徳。これはまちがいないよ。それでなくては俺たち製造会社はやっていけない
(※私はずっと前から、ものづくりに頼る日本の産業について、「どうなんだろ」と思ってきた。ものは、ごみになるから。でも、それなくして日本の技術立国はありえないし、うちの夫もメーカーだし、で、夫とは意見がかみ合わないから議論しない。原発に限らない。
だから脱原発を言う人に対しては、日本が、ものづくりを棄てて、何の産業でやって言ったらいいか具体的に言ってほしいのです。



◆「結果という字を見ればわかるだろう。果実を結ぶと書く。世の中では、努力に答えが出ることをすべて、果物づくりに喩えて言うんだ成果というのも同じ。成った果実だ。人間が何かすることの基本の形は、あんた、果物づくりなんだよ」
(※福島のくだもの王国を支えてきたみなさんに伝えたい言葉です。K野さんにもね。)

スポンサーサイト
Secret

TrackBackURL
→http://leika7kgb.blog114.fc2.com/tb.php/669-54dfbf89