3月まで福大の副学長だった清水先生と
南相馬市の桜井市長が浜松に来るというので、
講演を聞きに行ってきた。主催は、脱原発関係の方々です。

「シンポジウム 福島から浜岡へ 浜岡原発とどう向き合うか」

資料が、なぜか沖縄タイムズ、琉球新報の切り抜きとか「原発県民投票受任者になりませんか」パンフ。いかにもだね。で、あくまでも原発と沖縄を結びつけようとする構図。「電源3法に基づく交付金が注がれてきた福島が、巨大なリスクを押し付ける差別された内国植民地にほかならなかったことを白日のもとにさらけだした」って・・・・。

どうしてこういう、救いようのない言い方になるかな。

これを書いた清川紘二という方が本日のトップみたいなんだけれど、最初の挨拶で10分と言っていましたがはるかに超える時間でいろいろしゃべっていた。印象的なのが、ちょうど大飯原発再稼働要請と同日となったので「このシンポはわざとそういう日にぶつけたのか」とあちこちから言われたんだそうだ。で、それはないといいつつ、「震災1年は、みんなナーバスになっているから、国としても再稼働を・・というようなことはぶつけてこない。その後、だいたい1カ月で収斂してくる、だから、だいたい、(再稼働を、ということがあるとしたら)4月中旬だろうと思って、本日を設定した」というのだ。

なんというか・・・。いくらでも自分の都合いいように言えるもんだわと
こういう言い方一つ一つに私は、(やっぱ自分とは水と油だわ)と、思うわけでした。

こんな集会で一体、福島のお二人は何を話すかと思うと、オソロシイ・
ぜひ、利用されてくれるなと思いながら話を聞いた。

清水先生は、「惨禍の福島になにを見るか 原発事故が地域にもたらしたもの」とういタイトルです。
チェルノブイリと比較して、面積的にも少ない被害だった。だが、福島は、放射能ストレスによって人間らしい生活を脅かされ、故郷に戻れるかどうかもわからない。けれど97%の福島県民は残っている。チェルノブイリの事故後の視察で、リスクの大部分は内部被曝=食べものなのでコントロールできるということはいいことだと思った・・など、良識ある発言が続いた。

1点、「20年後、30年後にがんになるかもしれないという見えない脅威があり・・・」ここだけは、宇野先生の「低線量被曝は晩発障害なんだから、今後の生き方次第で活性酸素を除去する生き方で防げるのだよ」ということまで、言及してほしかったけど、あとは、すばらしいです。たんたんと、やさしく、穏やかにお話しされていました。ちょこっと福島弁もはいりの。

そして、この手の集会において、ぜひとも発信してほしいことを言って下さった。すべての、「善意の」脱原発派の方々にお伝えしたい。
「善意の発言が人を苦しめることもある。原発を批判する人の中に、今回の事故の被害は大変だということを強調する人が多いのではないかと感じている。そう言われることが、我々残っている県民にとって、非常にストレスになるということを知ってほしい。そのことで、避難しない人は、自分の子供を逃すことができないということにさいなまされている。県民は、被害が小さいことを望んでいる。評価は、将来のことなので難しいが、将来、『心配するようなことがなくてよかったね』となってほしいと思っているのです」

清川氏は、この言葉をどう受けとめたか。この会場に集まった、浜岡停止のために福島から「学ぼう」(学ぶとは、聞こえはいいが、本当にそうか。ただの使い捨てではないのか。)という人たちは、この言葉に固まったと、私は感じた。

私は、清水先生のあと、桜井市長のあと退出したので総括は聞いてこなかったけれど、科学とイデオロギーをごっちゃにし、自分たちは福島を利用していないかということを、再度、胸に問うてほしい。

「福島から浜岡へ」で検索したら、過去記事がひっかかってきた。なるほど、福島から浜岡への「めくらまし」、そういう見方も過去にあった。
福島が大変な時に浜岡停止を打ち出したのはたんに目くらましだと私も思う。カンが会見したあの日、たしか、日米共同土壌汚染地図が発表された日だったはずなんだ。
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