部会のために借りた本ですが
齋藤孝「人を10分ひきつける話す力」
歴史の根底には文学があるんです。宣長はそう考えたんです。歴史の根底には、今の科学者が考えている事実なんかはありはしないんです。そんなものはありはしません。事実は自然にしかありません。歴史は人間の心なんです。この心がどういうことを考えるかは知らない。わかりません。何を信じるかはわかりません。

今は科学を信じています。これはやっぱり人間の心です。これほど深く科学を信じるということは、今に間違いだということが、やっとわかるときがくるでしょう。もう偉い人はそう言っているんだ。だけど一般の人はまだまだこの迷路から覚めはしないんです。

そうじゃないんです。だからもっと歴史眼を働かせればいいんです。現代を知ることは己を知ることなんです。己を、現代のこういう迷信から解放することなんです。だから本当の歴史を知るということは、人間が本当に自由になるということですよ。科学のお世話になんかならんです、僕は。僕には歴史眼というものがあるんです。

だって世の中、本当に僕にわかりきったことというのは、たとえば歴史のひとつのできごとって、いつでも個性的なものでしょう?諸君は、個性が、どんな人だってみんな違うじゃないか。みんな違うじゃないか。つまりそれが歴史の材料ですよ。だけど生物学者にとっては、諸君の個性なんかないじゃないか。生物学者はいつでも科学というものを元として諸君を観察するからね。諸君の名前なんかを考えた日には、生物学は一歩だって進みはせんじゃないか。諸君はみんな種です。人間という種ですよ。

みんな同じことをやっていると、こういうんですよ。それは抽象的なことです。そうしないと科学は発達しないから。だから科学というものは、個性というものをどうすることもできないでしょう。だからそれを略すでしょうが。だけど僕らの本当の経験というものは、いつでも個性に密着しているじゃないですか。つまりこれは歴史ですよ。歴史の方が元ですよ。

(小林秀雄講演 文学の雑感)



【感想】

人は個性なんてカンーナイ、「種」にすぎぬ、と、思うと、気楽になれたりして
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