融資している銀行は原発の安全性をチェックしたことがあるのか

齊藤:『原発危機の経済学』の執筆過程で、原子力発電そのものがある種のブラックボックス化してしまっている、ということに思い至りました。つまり、この原発の建設や稼動に携わる外部の人間にとって、原発の中身は一切分からない。また関係する外部の人自身も、原発というブラックボックスの中身をのぞこうとしていなかったのです。

池上:この場合の「外部」とは例えばどんな立場の人たちですか?

齊藤:事故を起こした原発の事業主体である東京電力には、日本のメガバンクが軒並み融資をしています。例えば、こうした銀行が原発の中身を、リスクマネジメントがどこまでしっかりしているかを、ちゃんとチェックしていなかった。

 なぜ、そんなことを考えるのかというと、実は私自身が、大学の教員になる前にしばらく銀行に勤めていた経験があるからです。銀行がお金を企業に貸す場合、いきなりお金を融資するわけではありません。その企業がメーカーで工場を建てるためにお金を貸してほしい、という場合、銀行側は事前の建設のプロセスから事業の内容について徹底的にリサーチを行い、事後でいうと工場が実際にできあがって稼動し始めたあとにも何度も現場に足を運び、融資に値する設備投資だったかどうかをチェックするのが当たり前なのです。

 銀行の仕事、というと経済学部や商学部を出た文系の人の仕事、というイメージがありますが、工場建設にまつわるお金の話だけを見ていればいい、というものではありません。

池上:ところが、きわめて専門性が高い原子力発電に関しては、東京電力に融資している銀行が、こうした「当たり前」の作業をやっていなかった、と。

齊藤:おそらく原発の現場にもほとんど足を運んでいなかったのではないでしょうか。事故が起きたら、融資をしている銀行も大きな被害を受けます。リスクを勘案するのは当然なのです。でも、その当然をやった気配がない。つまり、事業主体である東京電力だけでなく、銀行のようなステークホルダーもまた、安全思想を持っていなかった、ということなのです。

専門家だけになると「常識」が見えなくなる。

池上:齊藤先生がおっしゃる、「理由はどうであれ」電源が全部止まってしまったという事態は、原発安全神話にとらわれず常識的に考えれば、想定外どころか、むしろすぐに思いつく事態ですから。と、考えるとますます不思議なのは、なぜ専門家がたくさんいるはずの東京電力がこうした「常識」に結果として思い至らなかったのか、ということです。

齊藤:あくまで伝聞ですが、東京電力の中でも原子力関係の部門は専門分野としてちょっと孤立した状態にあったそうです。東電内部でも、原子力部門の人間以外が原発についてあれこれ言うことがほとんどなかったらしいのです。

池上:タコつぼ化していたのかもしれないですね。そうなると、内輪の論理だけになり、「常識」の視点が欠けてきてしまうかもしれない……。

齊藤:私が原子力委員会に呼ばれたとき、こんな話をぶつけてみたんです。普通の会社だったら、自主技術で作れない時代のアメリカから輸入してきた古い原子炉をずっと動かしていて大丈夫だろうか、と素朴で常識的な疑問がむしろすぐ社内で浮かんでくるはずだと思うのですが、東京電力の社内では、そんな疑問が一回も出ずに、会話もなされなかったのですか、と。

池上:これは東京電力だけの問題ではないかもしれないですね。AIJの年金損失事件にしろ、あるいはオリンパスの企業買収における損失隠し事件にしても、この1年、目立った企業不祥事の裏には、必ず当たり前の「常識」が社内で働かなくなっている、ということがあります。

齊藤:オリンパスも、技術系部門と財務部が完全にばらばらに孤立しており、財務部の人たちに対してほかの部門の人間が「あのM&Aは大丈夫なのか?」という常識的な質問を投げかけられなかった、という側面があったと聞いております。

池上:結局、企業の安全思想やリスクマネジメントを徹底する上で必要なのは、専門的な技術や高度な知識ではなく、まず誰もが想定し得る「常識」的な疑問を内部でぶつけあえる風土がその組織にあるかどうか、ということなんですね。あるいは、外部の健全なガバナンスが働くか、どうかも。

齊藤:そうです。今回事故を起こした東京電力の場合、社員同士が「最悪の事態」を議論し合うような健全なコミュニケーションの場があったり、常識的な疑問を専門部門にぶつける機会を設けたり、あるいは監督官庁の責任でもありますが、外部の意見を取り入れる、ということをやらなさすぎたのではないでしょうか。

 企業にしても官庁にしても、専門家が偉くなりすぎて専門家がやることは正しい、という論理だけが先行するきらいが日本にはあるよう気がします。社内外の専門家に常識的な疑問をどんどんぶつけられるような風土があまりに欠けているケースが見受けられますね。

いったん決まったことをひっくり返す勇気

池上:ただ、日本の組織は、いったん決まってしまったことをひっくり返すのがとても苦手ですよね。

齊藤:たしかにそうです。

池上:事故を起こした東京電力の福島第一原発は時代遅れの古い原子炉を使っていましたが、仮に社内で健全な議論をして、あの原子炉は古すぎる、危ないから新しい原子炉に置き換えよう」という話になったとします。でも、結局置き換えはできない。もし実行しようとすると、「今までダメな原子炉を使っていたんだな」と反対派の餌食になってしまう、という論理が働いてしまうからですね。

 津波を食い止めるための堤防にしても、「もう少し堤防をかさ上げした方がいいんじゃないか」という意見が東電社内でも初期段階で出たらしい。でも、こちらも、堤防をかさ上げしたら「これまでの堤防は役立たずだったのか」と反対派につっこまれるだろう、という論理がこれまた働いたせいなのか、結局実行しませんでした。

 このとき、軋轢に負けず、原子炉を新しいものに置き換えていたら、堤防を高くしていたら――。歴史にもしもは禁物ですが……。

齊藤:硬直化した組織の中で、いったん決まった事柄をがらがらぽんするのはいろいろな意味で難しい。池上さんが指摘されたように、社内だけでなく社外からの反発にも対処しなければなりませんからね。

 それでも、今までやってきたことをがらがらぽんとひっくり返したり、あるいは起動修正しなければならないときがあります。

池上:まさに撤退戦の戦い方ですね。

齊藤:以前、大学の広報誌に書いたことがあるのですが、過去の失敗や過ちや間違いを処理しなければいけないリーダーとは、攻めているときのイケイケどんどんのリーダーとは別の資質が必要だと思います。

 今までやってきたことを自己否定するわけですから。自分の過ちを外部に対して認め、謝り、その上で新しい道についての説明をつくさなければなりません。

池上:原電事故に関しても、現実的にはある種の撤退戦になりますね

齊藤:東電のみならず原発を有する電力会社のリーダーは、しんがりを務める武将の役割が求められます。

 大変な仕事です。それまで安全だ、大丈夫だ、と言われてきた原発が大事故を起こし、原発そのものも会社も信用を失墜してしまった。当然、過去に発言した内容や広報した内容とこれからどうするかという内容の齟齬がたくさんでてきます。相当な勇気を持って、過ちを認め、でもそこで止まらずに、進むべきところは進まないと、現実の解は導き出せません。

「現実」を見据えて未来を歩むには

池上:齊藤先生の解説で、いくつかの論点が明確になりました。

 福島の原発事故そのものは、原発の是非を問う以前に、リスク管理もままならなかったアメリカ製の古い設備を使い続けたために起きた、工学的視点の欠落がもたらしたものであること。

 原発事故が起きてからの対応がまずかったのは、「原発だって必ず故障する」という「常識」を「想定外」にしてしまったせいであること。

 原発のような巨大技術をマネジメントするには、工学的な視点で「機械は必ず故障する」のを前提に、あらかじめリスク分散する知恵を働かせること、そして万が一事故がおきた場合は、指揮権を本社から現場に速やかに動かすこと――。

 では、原発の今後についてですが、国論は反原発とそれでも原発は必要だ、という声に分断されて、「現実的な道」がなかなか見えてきません。齊藤先生が考える「現実的な道」をうかがいたく思います。

齊藤:福島で原発事故が起きたのは事実です。一方で54機の原発がいまだに存在するのも事実です。そこから未来に向けて何をすべきか? 考えなければいけないのは、推進か撤退かにかかわらず、いまある原発と向き合い、安全につきあっていくためには、専門家の存在が欠かせませんし、技術革新も欠かせない、ということです。

動いてようが止まっていようが管理が必要

池上:原発を止めたら安全、というわけではないですからね。原発は動いていようが止まっていようが、当事者として管理する人間が欠かせない…。

齊藤:その通りです。でも、福島の事故から1年、原発の是非論ばかりが表に出て、「今後、原発をどうするか」という現実への対応がストップしたまま、というケースが目立ちます。

 例えば、中国電力の原発は島根県にあります。いま2つの原子炉が定期検査中で、さらに既にほぼできている新設の原子炉(3号炉)もあります。しかし、既存原子炉についても、新設原子炉についても、運転のメドが昨年の原発事故以来全く立っていません。

 冷静に考えると、この新しい原発は最新技術が盛り込まれていて安全性も従来のものよりはるかに高いですし、出力も大きい。となると、古くなってしまった1号炉(1974年運転開始、発電能力46万キロワット/時)を再稼動させるより、新しい3号炉(発電能力137万キロワット/時)を軌道させた方が、「安全」という側面から見たら、ずっと安全です。

 3号炉の方が電力供給量も大きいですから、発電自体に関しても、従来の原発を使うくらいならばこちらを使った方がいい。「現実的」に考えると、こうなりますが、今の「空気」だとなかなかそう判断できない……。

池上:確かに今の世論は原発を動かすか止めるかの二元論になってしまっていますね。

齊藤:時間をかけて議論をしないといけませんが既にあって安全性の高いものはきっちり管理して稼動した方がむしろリスクは減じられますし、電力も供給できる。一方で福島第一原発の二の舞にならないように、古い設備はスクラップすべきです。

池上:原発のスクラップ&ビルドですね。スクラップといえば、原発には発電以外に大きな問題がありますね。使用済み核燃料の処理についてです。

齊藤:日本における使用済み核燃料の再処理は、1993年から建設がはじまった青森県六ヶ所村で一括して行われることになっています。ただし六ヶ所村での再処理はトラブルが相次いでおり、その存在意義がずっと問われてきました。あの失敗続きのプラントに核燃料の後始末を任せ続けていいのか、というとリスクはとてつもなく大きいと言えます。

核燃料サイクルは非現実的・・・

池上:とはいえ、原発がある限り、使用済み核燃料は出てきますね。どうすればいいのでしょう?

齊藤:基本的には、再処理をしてウランやプルトニウムを抽出して高速増殖炉で利用するという「核燃料サイクル」をあきらめ、使用済み核燃料は全量を直接処分(ワンススルー)する、というのが妥当なところではないでしょうか。使用済み核燃料の再処理自体にものすごくコストがかかりますし、出てきたプルトニウムをMOXに加工するのにもさらにお金が掛かる。MOX加工料はとても高いんですね。プルトニウムがただで手に入ったとしても加工料を考えると濃縮ウランを使う方がずっと安いくらいですから。

 すると再処理そのものが原発の経済合理性を毀損してしまうことになります。もちろん、技術は一応残す必要があるという考え方もありますから、プラントを縮小して、少量の再処理設備は稼動させる。それは大学の実験施設規模でいいと思うのです。

 使用済み核燃料そのものの容積は、他の産業廃棄物に比べると格段に小さい。原発の使用済燃料プールにある程度蓄えられるくらいですから。再処理にカネと場所をかけるくらいならば、全量処分で管理をした方が、安全ですし、金食い虫にならないで済むはずだと思います。

 先ほどちょっとお話しした、島根原発3号炉の場合、発電能力も非常に大きくて、より安全に運転できるというのであれば、運転の見通しをつけるべきです。一方で、六ヶ所村でやっているような再処理はどう転んでも経済的にちょっと見合わないので、大規模に動かすのはやはりむちゃだと思います。

今後の議論ができない

池上:原発については、様々なレベルでの経済合理性で考える必要があるでしょう。その上で、現実的な、建設的な今後の道筋を建てる必要があります。でも、原発の運営について、現実的に考えよう、という話が一方で冷静にしにくくなってしまった、という状況があります。福島の事故を経て、原発は、放射能は怖い、リスクが途方もなく大きい、一度事故を起こしたら天文学的なコストがかかる、だからもう細かいことを言わずに、脱原発だ――、という声が正論としてある。となると、建設的な話は、全部「推進」の言葉に置き換えられてしまいます。

齊藤:分かります。私も建設的な話はしにくいです。ただ、しなければ先に進みませんよね。

 本にも書きましたが、脱原発の議論は、軍縮の議論と似ています。どちらも非常に綿密な撤退プランがないと実現しないし、むしろリスクが増えてしまう。撤退のプランが明確にならない状態で軍縮を無理矢理進めると、武器などの管理が甘くなり、例えば今のロシアのように武器市場がブラックマーケット化したり、プルトニウムや武器がテロリストに渡ったりする恐れが増える。

池上:つまり軍縮を拙速に進めるとかえって国内の軍事リスクが増えてしまうことがあるんですね。

齊藤:今の反原発や脱原発についても、原発をとにかく止めればいい、というところで話が止まっていたりする。現実に本当に脱原発をしたかったら国内54機の原発を継続的に徹底管理しなければなりませんそんな撤退の手続きを全部未来にいたるまで見通す必要がある。

 今回事故を起こした福島第一原発の処理には、政府が40年かかると話していますが、多くの専門家は「40年で済むわけがない、1世紀はかかる」と主張される方もいるくらいです。ということは、脱原発をしようと思ったら100年単位で既存の原発を管理しなければ実現しないことになる。原発の管理はボランティアではできません。原子力産業の一翼を担う新しい技術者たちがどんどん就職してこないと、原発の保守管理をする人たちがいなくなってしまいます
池上:すごく逆説的だけれども、現実的に考えると「脱原発」こそ、原子力発電に対する技術やマネジメントが十二分に成熟していかなければ、実現しない、というわけですね。

 となると、これから何十年もかけて廃炉にしていくためにはそのための技術者が絶対必要になります。しかも、原子力の世界に魅力や未来がないと、そもそも原子炉工学科の志願者が激減するわけです。既に激減している、という話も聞きます。

原発の「未来」を担う若者を養成

齊藤:未来を担う若い人たちが新しく入ってこなくなる、というのはとても深刻なことです。未来を担う現場のプロフェッショナルが誰もいなくなる、新しい人材が育たない、入ってこなくなる。事業に未来がなければ、誰もそこを目指そうとはしませんよね。原発の未来を完全に閉ざすと、民間企業は誰も仕事にしなくなります。当然、大学で原子炉の設計をやるような工学部の学生もいなくなっていくでしょう。

池上:原子力の専門家が誰もいなくなってしまいますね。となると、やはり今回の事故を糧として、例えば、原発の事故処理や廃炉のための技術蓄積を行う、というのが前向きな手段の1つではないでしょうか。

 世界中でこれから既存の原子炉が寿命を迎えます。一方、途上国で原子力発電が普及する時期にも来ています。そうなれば、廃炉の技術やいざというときの事故対応技術が必須となります。そこに日本が原発の事故対応や廃炉の先進国として活躍できる――そのための人材育成や技術蓄積ができないものでしょうか?

齊藤:おっしゃるとおりです。ただ、そのためには今までの考え方を本当にゼロから切り替える必要があると思います。例えば、今回の事故でロボットに処理をさせる動きがありました。ところがロボット技術に関しては世界トップクラスの日本のロボットが活躍できなかった。というのも、日本のロボットは放射線に頑健な仕様になっていなかったからです。半導体などの内部部品がすぐダメになってしまい、放射能汚染が著しい原発事故の現場では使い物にならなかった。

池上:日本はロボット先進国、というイメージがあったのですが。

齊藤:だめだったんです。米国などは、放射線だらけの宇宙にロケットを飛ばして、屋外作業をロボットにやらせるお国柄ですから、丈夫な防御をしておかないといけないということを技術者がよくよくわかっている。このため、原発事故にも対応できるロボットを派遣できた。

池上:実はこれまで日本でも原子炉のような危険なところで動くロボットの開発というのは過去にもあったそうですが、電力会社が「事故は起きないんだからロボットなんかいりません」と全部はねつけられていたんですよね。

齊藤:さすがに今では高い放射性環境の中でも稼働するようなロボットを日本企業が徐々に作り始めています。いざとなると日本企業の機動力はたいしたものです。こうしたロボット技術が確立すれば、先ほど池上さんがおっしゃった廃炉や事故対応の仕事を日本が請け負うことが可能になるかもしれません。

池上:いずれにせよ、東電福島原発事故からいかに丁寧に問題を抽出し、解決できるかどうか、に日本の明日がかかっています。工学が生んだ原発のような存在に対しては、まず工学的な側面からリスクと限界をあらかじめ知っておくこと。原発のリアルな明日に関しては、軽水炉技術にある程度集中すること。六ヶ所村でやっているような再処理はあきらめること。未来の技術を担う若い人たちが原子力工学に魅力を失わないでいてくれること
 そのためには廃炉や事故処理などの分野で、今回の事故の対応を糧に、日本の技術者が海外で活躍できるくらいの知見をためていくこと。いずれにせよ「現実」に立ち向かうしかなさそうです。

 さて、次項では、震災と津波に伴うメディアの動きと、個人の情報発信についてどんなトピックスが挙げられるのか、引き続き、齊藤先生にお話しいただきます。



【感想】

先鋒はカッコイイし、だれもが憧れますが、本当に大事なのはしんがりです。
原発事故は一例です。
いわば、汚れ役を引き受けるような若者を育てることを、今の日本の家庭がしているかということです。

息子たちがそういう気持ちを自然に持つよう育てることが、ひいては、私にとって脱原発への一歩かもしれません。
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