永井明「お医者さんには謎がある」1997
1◆不妊夫婦の割合は変わらないのに、不妊患者の数はこの10間増え続けている。

2◆「子供ができない→異常→病気」といった認識は、果たして正しいのか?

3◆不妊状態の人たちが自らの意志で積極的に病院を訪れる。医師はほぼ無前提に病気であることにお墨付きを出し、医療行為を開始。そこには「妊娠しないことがどうして異常なのか」そのあたりに関する議論がほとんどない。

4◆「正常な夫婦生活」は一体どれぐらいの頻度なのか。毎日か、1日おきか、週に1度なのか、科学的根拠は・・・?

5◆最近では、多胎妊娠をしたとき、母体の安全を考慮するという名目で、減数中絶が公然の秘密として行われている(Kの注:たしか今は、受精卵を子宮に戻すのは2個までだとか決まっているはずです。)
以前に、NHK記者に5つ子が誕生し、「がんばれ五つ子ちゃん」とか社会的フィーバーがあったが、あれははどういう意味だったのか。あのときは母体がかなり危険であるにもかかわらず、実験的に5つ子を産ませたのか。そう噛みつかれても、あまり有効的な反論はできない気がする。
子供が欲しくてたまらなかったのだから、5つ子でも10つ子でも、それこそ身を挺して産むぐらいの気概が必要なのではなかろうか、そのスタンスがとれないなら、「子供が欲しい」というのも、しょせんその程度の身勝手な欲望だということなのだろう。

6◆通常の形での受精は、1回の射精で放出される2、3億個の精子のうち、過酷な生存競争を勝ち抜いた1匹だけに許されるものだ。

7◆現場の医師「現実に不妊で苦しんでいる多くの人たちがいる。そして私たちはその人たちを救うことのできる最新技術を、それがまだ十分ではないにしても、持っている。その技術を用いることは、むしろ医師としての務めである。そして実際とても感謝されている」
不妊夫婦がどうしても子供を作りたいという信念を持ち、その要望になんとか応えようとする医師も信念の人。そういう構図の中ではどんな議論もほとんど成り立たなくなるのではないか。

8「産むもよし、産まぬもよし」、そしてそれぞれが人生を精いっぱい生きればいい。
子供が欲しくても出来ない人はその選択ができない。その意味では気の毒だと思う。だが、もう一度問いたい。
「どうして子供が欲しいのか?」
子供のいる人生が明るくて素晴らしく、いない人生は暗くてさびしいとでも思っているのだろうか。誰がそんなことを決めたのか。僕の友人には子供のいない夫婦がたくさんいる。そのほとんどが中年だから、今後もできる可能性は少ないだろう。彼らが自らそれを選択したのか、結果的にそうなったのか、知らない。
ただ、彼らが子持ち夫婦よりつまらない人生を送っているようには、とても見えない。

9◆本当に子供が問題なのか?
確かに彼は自分の遺伝子を受け継いでいる。顔も似ているだろう。だがそれでも親とはべつな人格だ。親もまたその子供も結局は自分の人生を歩くしかない。あくまでも子供は夫婦という関係性から生じる結果であり、むしろ本人が、また、夫婦がどう生きるかのほうがよっぽど重要な問題である。というより、それしかできないのではないか。
それでもなお、「子供を持つことが自然だから欲しい」と思うのなら、自然にセックスをして、あとはそれこそ自然の経過に委ねればいい。それだけの話ではないか。

10◆不妊は病気なのか。
それは恐らく違う。不妊状態そのものが病気なのではなく、その不妊治療とやらに、それも最新医療技術に血道を上げている状態こそがビョーキなのだと思う。そして、その病名は視野狭窄である。




【感想】

◆7 →、諏訪マタの根津院長はまさにこういう方です。最近また卵子提供で話題ですね。彼は、向井亜紀さんにも「うちでどうです」って手紙送っているつわものです(でも向井さんは海外で)。
そんなこと聞くと売名行為?かと思ったりしますが、絵がお上手で、「下諏訪に恩返しを」と美術館をつくったりしてるイイ人です。

こういう議論は、原発議論と似ています。「治療経験者でないという資格ない」「被害受けていないという資格ない」みたいな…そんな感じです。タブーはなかなか解けないでしょう。

そんな中で医師経験者の筆者が、あえてこういう議論をしていたので、メモしました。
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