いい本に出合った。久々に、読了後、即、再度読み返している。
奥田英朗『オリンピックの身代金』

K&Uさん、ネタばれにはならないと思うけど、もしまっさらから読まれるという場合は、私のここからの抜き書きを読まないでくださいね!


では、ここから。自分のための抜き書きのみ記します。私は既成政党などの左翼が大嫌いだが、この「真のサヨク」(K&Uさんにならい、わざと、片仮名書きにしています。)の精神は、とても勉強になり、この主人公に共感しました。




国男は飯場で1カ月半を過ごし、どうしてもわからないことがあった。それは過酷な肉体労働を強いられるプロレタリアートたちが、少しも社会を恨まず、反逆の意志も見せないという現実だ。彼らは貧しくとも屈託がなく、あったとしてもそれを他人のせいとは思わず、運命として半ばあきらめていた。これは大和民族だけの特質なのか。少なくともマルクスが生きたヨーロッパではあり得ない。




「お江戸の漁師はずいぶん恵まれでいたんだね。こんな木っ端舟、冬の日本海なら一発で波にさらわれてホトケさんだべ」
「東京湾は時化がないんですよ」
「東京と東北はたった一字違いでなんもかんも不公平だ。腹さ立ってしょうがねえ」
「だから爆破するんですよ」




国男は車窓から人夫たちを眺めた。つい半月前まで自分はあの中にいた。働いているときは、仕事の過酷さから何も考える余裕がなかったが、そこにあるのは人生の不平等にほかならなかった。指導者と労働者たちを分けるのは、たまたま勉学の才と機会に恵まれたことだけでしかない。もしも自分が死んだ兄だったら、運命と同時に、出来のい弟を憎んだかもしれない。

人の上に立つということは、一等謙虚であらねばならないのだが、今の浮かれた日本でそれを自覚する者はいない。資本主義を盲信し、陽炎のような足場のない繁栄に、集団で酔っている。

都電に揺られ、つらつらと思索をめぐらすうちに、国男は気を取り直した。自分は戦わなければいけない。ここで捕まっては何もかもなかったことになってしまう。




「昔は、秋田で悪さすると北海道の炭鉱に身を隠すなんてごとがあったけど、今はそうもいがねえだろうな。なにせ鉄道と道路が通って、日本中が狭くなってしまった。警察だって昔みてえにのんびりしてねえ。昔は身分照会ひとつにも手紙だったけど、今は電話だ。全体が縮んだというか、道と電気でつながったんだね」

「それでも田舎は貧しいままです。富は東京に集中してます。利益を中央に吸い上げるための仕組みが、着々と出来ているということなんじゃないでしょうか」

「おめはすぐにそう言うけど、東京がながったら、日本人は意気消沈してしまうべ。今は多少不公平でも石を高く積み上げる時期なのとちがうか。横に積むのはもう少し先だ」




「それから、おめ、アカなんだってな。おめは東大行くぐらい頭さいいんだから、世の中を変えてけれ。おらたち日雇い人夫が人柱にされない社会にしてけれ」
塩野の口調にはどこか乾いた諦念があった。国男は返す言葉がない。
「頼んだぞ」

向こうから電話を切った。人柱という言葉に、国男は打ちのめされた。以前マルクスを引き合いに出し、苛烈な搾取構造の中でも屈託のない飯場の労働者について、不思議でならないとの感想を抱いた。しかしそれは過ちだった。彼らはちゃんと現状を認識している。戦う術を知らないだけなのだ。
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