福島の勉強会からもう2カ月以上。
「これだけは伝えたい」項目12のうち、いよいよ最後です。
私は双子&育児のメルマガを細々と配信しており、そちらでは、彼女の発言だけ、先に掲載しています。

伊達市のお母さんの勉強会での発言です。シーンとする中、彼女は切々と震災の時、そして直後、そして今、これからを語りました。私は、じーんとしました。おそらく、会場の皆様もそうだったのだと思います。静岡に戻って、テープ起こしをしましたが、文字にしながら涙で画面がにじんだし、推敲で読み返すたびに、やっぱり泣きたくなります。
この発言は、ぜひに、多くの人に聞いてもらいたいなあと思い、彼女に原稿を送り、ブログ等掲載したいと聞き、了承を得ました。


では、ごらんください。




地震の日、当時年長の、長男の友達が2人、自宅に遊びに来ていたので、当時2歳になったばかりの下の娘を実家に預けていました。

地震はすごい揺れで、自分の子供はもうどうでもいいから、とにかくよそのお子さんだけなんとか助けようと思って、

食器棚を押さえたりとかしてたんですけど。だれもけがすることなく、大丈夫だったんですが、

娘のことがすごく不安だったので、3人を隣の方に見てもらって、娘を迎えに行ったんです。隣の方も普段はお勤めで、たまたまその日おられたのも、今となっては奇跡だと思っています。


実家に行くと、娘はベビーベッドにいて、すべて、ベビーベッドの周りに、たんすとか、食器棚とか、いろんなものが倒れて、その中で立ったまま、泣き叫んでいた状態でした。
奇跡だったなって思いました。
だれかが助けてくれたのかな、守ってくれたのかなっていうぐらい、ベビーベッドには何も落ちていなくて。

そのまま、毎日余震が来るたびに泣き叫ぶっていう状態で、それで私も、もうまいってて、そこで原発事故があって。
もう、子供を守るでなくて、自分がどうにかなってしまいそうで、
何も考えられないし、ご飯も、つくったりする状況じゃなかったんですけど、
子供のためにつくって。

何することもできないままいたら、主人が「逃げるぞ」ということで避難しました。県外に避難するときに、高速は緊急車両のみという表示があったので。高速は乗らず、会津から新潟の方に行きました。
精神的にもうまいっているんですけど、福島のことが心配で心配で。

富山の方に私たちが向かっていたら、どんどん、どんどん、福島の方に向かって、ほかの県から消防車がたくさん来てくれていたんですね。すごいおっきな、見たこともないような消防車で、あれが福島に行ってくれるんだって思って。
福島をお願いしますと、手を合わせました。

少したって、もう、大丈夫だろうって思って戻ったら、伊達市は、毎時7マイクロシーベルトとかでした。

でも、私は、とにかくもう離れたくない。福島から出たくないと思って、こうやってここにいます。子供たちには申し訳ないんですが、私が出たくない。私が福島を離れたくない。 だいじょぶだから、だいじょぶだからって言って、子供たちに教えてきたんですけど、よかったのかな、よかったのかな、って思って。

私も、でもよかったんだ、って。今は、信夫山ネコさんのブログとかひまわり先生のブログとか
見せていただくようになってからは、
もう、あ、大丈夫だったんだ、

私、間違ってはいなかったのかなって思えるようになりました。


でもやっぱり、よそのお母さんとかは、全くパソコンとか使えなくて、入ってくるのはテレビとか新聞とか週刊誌の情報ばっかりなんですね。 こういうふうに言っているから危ないよ、逃げた方がいいよって、まだ言われることがたまにあるんですけど。

そして、そういう人たちは、講演会には足を運びます。問題ないですよという方の講演会のときは「信用できない」ようなことを言って、危険を煽る方の講演会のときは「内部被曝気をつけないといけないんだって」、「避難しないといけないんだって」「週末避難がいいんだって」というようなことで持ちきりになってしまいます。 なんか、ひとつの流行みたいですごく嫌です。自分たちがしていることが自分たちの首を絞めることになっているのがわからないのかなと思います。 もっとみんなパソコン使えるようになればなあって、そしたら安心できるのになって思って過ごしています。

この間息子に、お友だちで避難しちゃった子がいるけどうするって言ったら、隣のうちのお兄ちゃんが避難しないんだから僕はだいじょぶって言うので、そうだね、って言って。
やっぱり子供って、生まれた場所から離れたくないみたいなんですね。避難していくほかの子も「お母さんが避難するから」っていうので、「戻りたい」って手紙に書いてあったりもするんですけど。

また前みたいに、みんなで遊べるようになったらいいなって思っています。

娘の方はまだお友だちとかいないのですが、これから、ここに残って生きていくことを考えると、もっと正しい情報を与えて、奇形児なんて生まれないし、がんだってないよ、っていうことが 広まればいいのになあって思っています。




私は、この彼女のお話で、「母性」というものを、2種類の意味で、世の中のヒトは間違って使っているのではないかと疑うようになりました。

まず、とにかく、一番ズキーンときたのは、「自分の子供はどうなってもいいからよそ様の子どもだけは守らなきゃ」って彼女が冒頭に言った言葉です。

みんな、「自分の子供だけは守りたい」って言いますよね。「それが母親の本能だ」って。でも彼女は違った。これは何なんだろう?と思いました。あの、ひどい激震のさなか、彼女と同じ状況だったら、本当に母親は自分の子供を守るんだろうか?友達の子供をほっといて。
どうでしょうか?想像してみてください。
彼女は自分の子供をさておいたから、彼女には母性がないと、いう人いますか?
ではそう思った方に聞きたいのですが、母性というのは、自分の子供にだけ向けるべきものなのですか?

それから、こうも言っています。
「子供を守るではなくて、自分がどうにかなってしまいそうで」
「私が、福島を離れたくない」
これを、母性がないと、言える人いますか?
そんなこと言える人は24時間365日子育てをしたことがない人でしょう。自分が落ち着いていなかったら、母親は、子供なんて守ることはできません。母親が子供の犠牲になれるなんていうのは、幻想です。

世間は「母性」の意味を、2つの意味でたがえて、都合よく使っていると思いました。母性母性と、金科玉条にする人は、実は子供を利用して、結局は自分がそうしたいからそうしている、ということを問うてみてはいかがかと存じます。子供は計算もなく自然のままに生きる存在です。子供が本当はどうしたいのかを聞いてみる、また、観察してみてほしいと思います。

よそのお子さんをかばうのに懸命で、そばにいてやれなかった小さな娘さん、泣いてはいたけれど、けがしていなかった・・・「奇跡」と彼女は言っていましたが、きっと神様が守って下さったんでしょう。



スポンサーサイト
Secret

TrackBackURL
→http://leika7kgb.blog114.fc2.com/tb.php/764-95d4ed36