このごろ、なんか立てつづけに、気のめいるような話が
あったように思います。
しかし、私は全く気にならないのです。「だれかが否定してくれる」「間違いだと検証してくれる」。そういう情報ばかり見ているために、全く心配する気が起きません。

この頃、このブログでも最近のそういう話を書いていないのは、それは、他の方が発信してくださっているだろうと思うからなんです。

前に、福島の勉強会のお誘いをいろんな方にしたときに、あかべこさんという方が「そういう話は、専門家のみなさんにお任せします。私は、自分のできることをしていきます」という、いたってたんたんと、でも悲観的でもなく前向きなお断りをいただきました。

それを読みしばし考えましたね。なるほどそういう考え方もあるのだなと。私はとてもそんな気持ちになれない、と思ってました。当時は。

その方はお寺で、「よみの市」などを開き、地域の人々を集めて交流の場を月に1度の割合で設けておられます。地に足の着いた行動をしており、また仏教に親しんでいる方は、やっぱり違うのだなと感心しました。

そして、それが数ヶ月前の話ですが、今の私は、そういう専門家の方にお任せしようという「境地」にあると言えるのです。

しかし・・・・私の大、大、大好きな作家さんが、「直観は、一生ものだ。論理を時間をかけて学んだものは賞味期限が短い」といようなことを書いており、私は、・・・この人もまた直観病か・・・・と、愕然としました。彼も不安厨だったのです。

直観て、なんだ!?

それをいうならば、今の私は、直観で、「福島は大丈夫だ」って思えるのです。




今の私の関心事は、次の2つにうつっています。

1つは、自主避難をした人や、不安でしょうがない、という、まだ「安心に目覚めていない」と言ったら言い過ぎか・・・でも、私にはそう思えるんですが、その、がーがー騒いでトラックの下にもぐって妨害するとか、ネット内ででもいいけど、がれきじゃなく人をとか、とにかく反原発一色の、そういう声の高い方々、ああいう方々以外の人々・・・を、なんとかサポートできないだろうかということ。
前の「怖がりやすい脳がある」ということを知ってから余計に。なんとか不安水の容量があふれてこまるなら、なんとか容量を大きくしてやれないものかということ。難しすぎるけど。

それから2つ目は、科学者の方々が、リスク・コミュニケーションを、その、一部の、がーがー弁の立つ生粋の不安厨人と懸命にされているのを見るにつけ、、、私はそんな人らはほっといて、もっと大きな壁・・・直観を大事にする人たちこそ、なんとかしてほしいということ。小説家、エッセイスト、芸術家、・・・・これら文系の最右翼とでもいうような方々の脅威を、なんとかすることはできないでしょうか。・・・この人たちがばくぜんとした不安雲を持ち続けて、ボディーブローのように、プロとして、素晴らしく上手に、書きつづけたり演じています、そして今後も続けるでしょう。

そういう人が雑誌とかで、人々にうまく語りかけてしまう・・・どうしたら、いいんだろうと思います。


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