文系・・理系ってわけなくてもいいんじゃない?と
御山の柚子さんとひまわり先生からご提言いただきました。
御山の柚子さん
「私は物理・数学は苦手で嫌いだったけど生物には興味がある・・・ 数字に弱いけれども、理屈に合わないこと、論理的でないことは受け入れがたい。 「理系」の装いで理屈に合わないことを言う人がいるよね。 ほら、小出さんとか、菅谷市長とか・・・」

※菅谷市長は選挙控えてますが、どんなでしょうね。また松本の友達に聞いてみますね。

ひまわり先生
「私も、数学・物理は苦手、でも、数学の一部は面白いと思うし、生物は好きな科目でした。国語も、現代文や古典なら興味があったけど、漢文は苦手でした。社会も、歴史や地理は好きだけど、経済はからっきしダメ。
(経済学に関しては、多分物理よりわからない。)でも、経済学って、大学入試では文系ですよね? 思考に柔軟性があるかどうか、・・・かな?いや、柔軟性があるかどうか、っていう表現は誤解がありますね。
う~ん・・「曖昧さ」を許容できるかどうか、ですかね・・・。 」


私が読んだ理系の特徴の本は
・自分がわからないことは許せない
・それだけならまだしも、人がわからないこと、これもまた許せない
・理系の目標は、究極は、個人の実力や努力にかかる部分が大きく、個人の力でなんとかなると言えるもの(これに対し文系は交渉、説得力、人脈=一人では鍛えられないもの、相手あってのこと)
・仕事やプロジェクトに関し、理系は時間軸の「現在」にフォーカス(文系は「ゴール」にフォーカス)

これにおみぞさんがハテナ?

これも、少しちがうでしょう。 科学は、自然科学mpありますし、工学もありますから、あやふや、わからない。も認めてその上でです。 ただね、専門分野になると、何がわからないか、がわからないので、と、言う事もありますが。 ここが、専門分野の人に質問する場合の問題になる場合が。

それと臨床医療は相手がいりますから、理系と文系の両方を持ちます。 でなければムンテラは必要ないですから。 本来のムンテラ(口で癒す)とインホームドコンセント(情報を求める権利とそれにより意思決定する義務)は異なるのですが。今は、同類語になってますが。   


・・・・・・・・ココ長い余談です・・・・・・・・・・
ムンテラって「病状説明」と勝手に思っていましたが「口で癒す」ですと\(◎o◎)/!ほんとうですか?あくまで、テレビなどの知識でしかありませんし、ネット内で医師同士のやり取りで読む限りにおいて、ムンテラという言葉をそんな患者のためのものとして使っている印象って、一度も感じたことがないのです。「あんまりやりたくないけど、医者としたらやんなくちゃなんない義務。技術を要す。下手な人と得意な人がいる。で、得意な医師がもちろん患者にとっていいお医者さん」というのが、私がこの言葉に感じていた印象です。

お聞きしますが、言葉(ですよね?)で患者を癒しにいこう、という感じで、どのお医者さんも取り組んでおられるんでしょうか?ちょっとこの和訳のギャップにちょっと驚いています。

医師は理科系のトップ頭脳でありながら、理と文の中間の役割を果たさねばならぬ(コミュニケーションが大事)というのも、聞いたことがあります。

ただ、中には、お医者さんがこういってくれただけで、もう心が鎮まって、病気治ったっていうのは過去に何回も経験していますので、ムンテラこそが大事というのも心底同意します。

※私はよく熱出して、ばあちゃんと、飯坂の八幡神社の下の徳富先生っていうお医者さんによく通いました。先生の顔見ただけで治ったような気持ちになったものでした。ほんといいお医者さんだったわー


今、竹内久美子氏の本を読んでいるのですが、理科系男(まじめ、頭脳発達、女にもてない)文系男(女を落とす口説が得意、ハッタリがうまい)みたいにして、いつもあの方は描写していますね。私の言っているのも、なんというか、学校の学科ではなく、男に関しては、口八百で子孫を残してきたのを文系男とし、性的魅力に欠けるものの地道にコツコツと研究を続けてきたのを理系男としているのと似たような意味で言っています。

そして、
【1】論理的に考えることができる・好き・そうでないと気持ち悪い人、
【2】論理的に考えるのが苦手・面倒・嫌い・回避する人=そうしなくても気分で何とか生きてきた人

・・・・というのは、確かに分かれると思います。

前者を理系、後者を文系というふうに総称したということです。

だから理系、文系ではなく、論理的な人、感覚的な人、と分けるといいのかもしれません。
(※竹内氏のそれがモテか非モテとは、ちょっと外れますが。だって理系男子は、今、モテ期ですよねぇ・・・。)

これが、リスク・コミュニケーションでは、感覚的な人が受け手だった場合混乱するということだと思います。
で、私は、残念ながら難しい長い論理的な文章を根詰めて読む辛抱強さに欠けているということです。勢い、どうしたらこれを部分だけ抜き取り、もしくは強調し、頭使わなくても意味が簡単に伝わるか?と思いながら読み飛ばす癖がついてしまいました。だから本質的なことの理解がところどころ、おろ抜けていることが多いのです。

そして、論理的な文章を書く方は素晴らしいんだけど、コンパクトにしてもらえると、もっともっと多くの人に伝わるだろうになと思うことが多い。(でも過程こそが大事なのだから、長くなるという抗弁をいただくのは、火を見るより明らかと自覚しています)

まぁこの記事も十分長くて・・・恐縮です。なるべく、頭使わなくても読んでもらえるよう、わかりやすく書こうとするとどうも、冗長になる嫌いがあります。

あなたが論理的人間か感覚的人間かの簡単なテストがあるのですが、長いので後日。


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