きょうほど読売の朝刊を心待ちにした日もない。
昨日の連載で山下先生の予告があったから。
ウェブ上にないので、とりあえず、全文打ちます


地元医大の使命 2
長崎から援軍 一丸に


(以下の見出しと強調は私がつけました)



医大からの電話の翌日、急きょ福島入り

昨年3月17日夜、長崎大教授の山下俊一(59)は、タクシーで大学に向かっていた。地元ラジオ局の番組で原発事故による放射線の影響について話した後だった。途中、携帯電話が鳴った。面識のない福島県立医大理事長の菊地臣一(65)だった。
「みんな浮足立っているんです。すぐにでも福島に来てもらえませんか」

震災の被災者や原発事故の被曝者の治療に追われていた県立医大のスタッフは、放射線による自分や家族の健康状態に不安を募らせていた。
県立医大に応援に入っていた長崎大准教授の大津留晶(55)からも「医療崩壊の危機です。助けてください」

山下は放射線医療の第一人者で、情報を共有し危機に対応する「リスクコミュニケーション」の権威でもある。二人は、難局を乗り切るには、山下の力が必要だと感じていた。

山下は翌日、県立医大を訪れた。同大助教の長谷川有史(44)らが「お待ちしていました」と抱きつき、そのまま泣き崩れた。「ここまで追い詰められているのか

「覚悟を決めて県民のために尽くそう」、医大が一丸に

夜に講堂に集まった緊急集会は、医師、看護師や職員ら250人で埋まった。通路にも座り込み、立ち見も二重三重。不安げな表情を浮かべていた。

山下は、現在の学内の放射線量なら健康被害の心配はないことから説明を始めた。「水道水は大丈夫?」「子供への影響は?」・・・。相次ぐ質問に約2時間にわたって答えると、雰囲気は和らいでいった。

「我々、医療従事者は覚悟を決めて、県民のために尽くしましょう」と山下が訴えると、一斉にうなずく姿が見えた。

この瞬間に医大が一丸となった」。会場にいて、後に県立医大教授になる大津留は思った。

その後、県立医大の多くの医師や看護師らが、原発から20~30キロ圏内の住民を巡回診療したり、避難所で診療したりと奮闘を始める。


住民向け講演、相次ぐ批判に当惑

山下は2日後から住民向けの講演を始めた。「正しく怖がる」を信条に、「この地域の線量なら健康に影響ないはずです」と訴えた。しかし、東電や行政への不満や怒りが壇上の山下に向けられた。「原発事故が収束しなかったらどうするんだ」「隠している情報を公開しろ」。インターネット上でも罵詈雑言が浴びせられた。大学にもクレームの電話が相次いだ。「県民のためにやっているつもりなのに」。当惑した。

県は昨年5月、約200万人の全県民を対象に健康管理の実態調査の実施を決めた。山下は7月に県立医大副学長に就任し、調査担当のトップになった。しかし、当時の行動記録を記入する問診票の回収率は、現在も約2割にとどまっている。「子供をモルモットにするな」と拒む人も少なくない。回収率の低さを問われる度に「私の言葉が不十分だった。身から出たサビ」と頭を下げる

県民の謝意に涙、「後悔なし。一緒に闘おう」


山下は今年4月、福島青年会議所の依頼で、放射線の安全対策をテーマに講演した。懇親会場に移ると、「山下先生、福島のためにありがとうございます」と参加者は立ちあがって、口ぐちにお礼を述べた。拍手が沸き起こった。山下は涙が止まらなかった。感謝の気持ちを伝えようとしたら、1年余り、繰り返してきた言葉が口をついて出た。

福島に来たことを後悔したことはない。ここで一緒に闘いましょう

(敬称略)



福島のみなさん、
県民健康調査問診票を出していないのなら、
すぐに発送を!!!
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