人にものを説明するときに、数値を使うことはよくあります。
ただ、それがいいかどうかは、私には何とも言えません。

ちょっと考えるべき事例2つあったので、メモしておきます。

【1】感情的な人に対し、数値でデータを示して真摯に説明される医師。

「迂回路」のコメントより。

ホントに安全だと思っているの?ワクチン打たなくても 発症する確率は0.1から0.15%何ですよ。副作用も多岐にわたり 不妊症もあるです。子供が 産めないかもと言う不安を 抱えて生きていくって どう思いますか?実際に 死亡した方もいますよね。それを 仕方ないというの?

何もしなくても 発症する確率が 0.1から0.15% 、外国では ワクチン打たない方が増えてます。余ったワクチンの捨て場所が日本なんだよ。

目を覚ましなさいな 医療人頭の良いあなたが いつまで 洗脳の中にいるの?


なんとまあ、高飛車な感じですよね・・・・。
これに対するブログ主さんの答え

申し訳ないけど、話になりません。
まず、勝手な解釈をしないで下さい。私はワクチンが安全だなどとは書いておりません。「絶対安全な医療行為など、1つとして存在しない」と書いたでしょう?

子宮頚癌ワクチン接種後の死亡例で、因果関係が肯定されたものは今までありません。あるというなら示して下さい。
あと、「外国では ワクチン打たない方が増えてます」というのも根拠を教えて下さい。少なくとも先進国の中では、日本はむしろワクチンを打たない方だと私は認識しています。

子宮頚癌の発症率が0.1~0.15%という数字が正しいとして、これが少ないと思っているようではダメです。1000人に1人以上が罹るんですよ。1000万人中なら1万人です。かたや上記のように、副反応は40万人中81人ですから、0.02025%。1000万人中なら2025人。

いいですか、1000万人で比較した場合、「癌に罹る」のが1万人、「命に関わらない副反応」が2025人ですよ。どちらが重大ですか?


質問者が、このコメントを読んで納得したかどうかは不明ですが、以上でコメントは打ち止めとなっています。

この場合、数値から見れば明らかにブログ主さんの考えが正しいことはご納得いただけると思います。もともとは、子宮頸がんワクチンを打つと副作用が多いっていう恣意的な書き方をした読売に対する抗議のブログ記事です。確かに「痛い」のも筋肉注射だから当然で子宮頸がんだからってわけでもなく、失神するのも、安静にしていれば回復する致死的なものでもないのに、いかにもこのワクチンが危険だというふうな印象を与えるということで非常にけしからんという趣旨です。そこに、コメントの方はかみついているのです。

因果関係のはっきりしないものに対し「死亡例もある」と主張されるあたりが、放射線問題と非常に似ている気がしました。また、リスクの比較の観念がないことも気になります。相手を洗脳されているといういい方もそっくりです。

ただし、ここでこの方を受けとめるには、この回答がベストなのかどうかは、わかりません。「こんなのにつきあってられっかよ」的な見方も大多数と思うのですが、それでよいのか、とも。




【2】数値をうまく利用して、黙らせる事例(に加担)。

昨日は、いやーな地域の話し合いでした。地区のどこから大役を出すかについて、紛糾していたのです。(まあそしてその大役をやっているのが今年度は私なんですが)

地区の中はさらに細かい単位にわかれて、そこから順番に出していたんですが、近年子供の数に差がついてきて、大変なことになってきたっていうのが背景にあります。(だから、私みたいな引っ越してすぐの人がたまたま6年に子供がいたから大役になっちゃたという)

で、そこでどういうふうに大役を出すか、について、人数とか、何年に一度の確率で選ばれるとか、そうゆうのを学校側の現役員のある方がずらーっとまとめて数字とか%で配布したのね。

だけどさ、私は知ってるんだよ。その数字を出すなら、それぞれの単位の母数から確率を出さないと、一人ひとりに当たる実質的な確率は出ないんだよ。それは全くスルーで・・・。はっきり言って、ズルイよ。

でも、数字の威力ってすごいよね。その方の案ですんなり決まったよ。

私としては、子供が少ない地区は何回も何回も役員になってて、さらに大役になるのを避けるやり方がいいと思って、事前話し合いのときに、そういう腹案でいこうって申し合わせたはずなのに、会議の前にその話をすると「そんなふうには言ってない」ってあっさり。でも、私はそういう腹案があるということを委員の人に言ってもいいかって聞いて、言ってもいいよって言われたのに。ひにちが3週間ぐらいたったから忘れちゃったんだろうか。

とゆうことで、その方はご満悦だったけど、私は納得いかないまま帰ってきたのでした。やっぱり日をおいちゃいけなんだよなあ・・・。

前に、算数の先生のMATHさんに聞いたことがあるんだけれど・・・

確率2万分の1と言っても人間には「感情」があり、数学的な解釈と必ずしも一致しないのは当然のことでしょう。

またこれまでの歴史で「確率」「数字」が「ごまかし」に利用されてきた事実も大きいのかも知れません。
2万という数は「2の14乗と15乗の間」です。1度の人生でガンになるかならないかは「確率2分の1」(実際はそんなに高くないでしょうが)とします。すると輪廻転生を繰り返し、「14,5回生まれ変わったときにどこかで一度ガンになる確率」と言えるかもしれません。

繰り返しになりますが、どのような説明も「感情」と「ごまかし」が 少なからず含まれていることを再確認させていただきます。

「確率の判断」「行動の判断」「今の立場」などそれぞれが抱えられていることを 総合して考えるしかありませんよね。
その中で「数学」は「確率の判断」の中のさらに1つの指標でしかないのかもしれません。わたしが同じ状況であれば「いまの地元」から離れる判断はできないような気がします。それが正しいかどうかは分かりませんが先の3つの中で最も大きい条件が 「今の立場」だからかもしれません。そうなってくると「数学」は超えていますよね。

一人一人の判断は本当にそれぞれで、数学で言う「命題」になっていない問題の難しさだと思います。だからこそおのおのの「判断力」が試されているのだと思います。


このまえの広域処理説明会でも「こんな数値出されても、これまでの当局の対応を見ていると、素人にはごまかそうと思っているのじゃないかと思ってしまう」という意見がありました。

実際に「数値使ってだます」っていうのが感覚としてよくわからなかった。だけど、昨晩の数値の使い方を見て、納得しているみんなを見て「MATH先生の言っていることは、これだ」ということを知りました。自分がだます側になってしまった。

だけど秋にある私の地区の次の大役決めのときは、もうその方は出席しないので、そこで、何回も当たっている人は除外しないか?ということは提案することにする。だって、そうしないと、過疎地と新興住宅地によって、負荷が全然変わってしまうので。





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