来週、私は日進市で開催される「家族のリスクマネジメント勉強会」に
初めて行ってみますが、
同会の会長さんが紹介していたブログです。山形に自主避難された方のブログのようです。全文はこちら

「あんざい果樹園」さんのことを紹介しているが、おそらくこれ、昨年のフェスティバル福島で、四季の里で「26ベクレル」と書いて売り出したかたじゃなかろか。たしか若夫婦は北海道に避難してて。

でも売れなかった。・・・

今年は必死の努力で、2.7ベクレル/kg(すごい!)

で、・・・・・ブログ主さんの思いを、ここからはります。

私も母親だから、出来る限り0Bq/kgのものを子どもに与えたいと思っている。一時期よりはかなり線量が低くなったのだけど、福島に帰ってくると未だにどこか緊張してしまう。娘たちが土を触るとドキッとする。

だけど、正直でおいしい桃は、心からありがたくいただきたいと思う。あんかじゅのおとうさんとおかあさんの作ったものなら、そう思う。

私は、おかあさんにそっと聞いてみた。「今年は、避難先にいるお孫さんに、桃を送ってあげるんですか?」「去年はやっぱり考えて送らなかったけど、今年は送ってあげようと思っているの。」おかあさんが嬉しそうに笑った。私は本当にほっとした。

自分たちの作った桃を、孫に食べさせてあげられなかった悲しみ。
自分の親が作った桃を、息子に食べさせてあげられなかった悲しみ。
自然と向き合い、自分たちの仕事を大切に生きてきた家族が、バラバラになってしまった。
夫婦2人になった今、おかあさんはごはんを作るのに張り合いがないと言った。

そこに、あたりまえのようにあった福島での生活は、原発事故のせいでいとも簡単に奪われてしまった。

でも。

原発事故のおかげで、出会えたたくさんの"ひと"がいる。

息子たちが避難してずっと灯りの消えた隣の家には、久しぶりに灯りが灯り、たくさんの人が集った。誰かのためにごはんを作り、みんな一緒にワイワイ話しながら食卓を囲んだ。おいしいね、って言ってもらえるのが、作る人の喜び。

福島産のたべものは、福島さんの食べ物なのです。人が誰かのために作るものだから、美味しいのです。

食べる食べないは、ひとによるかもしれないけれど、私は見つめていきたい。あんざい果樹園の、おとうさんおかあさんみたいなひとたちを。知ってほしいとおもうのです。ここにある、福島の今を。そして、子どもたちに継いでゆきたい、未来の福島を。


これに対しコメントです。

放射能が怖くて自主避難されていらっしゃるのに、なぜチマチマ福島にお帰りになられるのですか?帰ると緊張するならなぜお帰りになるんですか?福島に帰って来れば子供たちが外で土に触ったりするのあたりまえに考えないんですか?その度にドキッとするなら、なぜ福島に来るんですか?

あえて言わせて頂ければ、あなたが緊張したりドキッとする福島には住んで生活している人間がいるんです。まるで人が住んではいけないような失礼な物の言い方はお止め下さい。

それに昨年は散々山形のリンゴを福島に斡旋しておいて、今更福島果樹園の話はないでしょう!

もう、あなたに福島を語ってほしくない。



これに対し、主さんのこたえ

正直なお気持ちを話して頂いて、本当にありがとうございます。
何故帰るのか、といえば、「避難」だからです。帰還することを前提とした避難だから。緊張するのは、そこに放射性物質があるという事実を、モニタリングポストの数値が語っているからです。そこに住む人を傷つけているのは、福島を離れ避難をしたという行為自体だろうとずっと感じてきました。私が福島のことを語り続けるのは、外から見られている福島が、私が感じていたより「危険」だと思われていて、風評が思ったより深刻であること。そして、福島産を食べられないという人がいれば、将来的に福島産のお嫁さんはもらえないということになるんじゃないかと感じているからです。
福島県内に足を運ぶことすら躊躇する方もいるという現実が、外に出てみて実際にあるのです。中通り、浜通り、会津地方・・・外から見たらすべてが福島で、世界からみたら福島は日本。
はぁ~さんの、福島を大切に思うお気持ち、以前にコメント頂いたときから痛いほど感じています。避難した私が、そこにいなくなった私が、福島を語ることが許せないのも本当によくわかります。

住んではいけない、などと思ってはおりません。いつも、そこに住みたい、帰りたいと、それだけを望んでいます。
福島に帰り夫に会うと、やっと地に足がつくというか、なんとも言えないほっとした気持ちになります。
ごめんなさい。これは私から見た大好きな故郷の物語。はぁ~さんの見る景色は、また違った色なのかもしれませんね。


こういう自主避難者の発信を、私はこれまで目にしたことがなかったように思います。危険だ、不安だ、という発信しか目立っていなかったからです。

だけど、私としては、福島を好きな人ならば、どこにいても「がんばっぺ!」っていったりたいです。

それは、私自身が、福島から遠く遠く離れているから、しったかぶりで福島のことを語ってはいけないのではないかと、あるときに非常に悩んだ時に「福島を好きか、どうかだけでいいんですよ」と、友人に言われたことが根底にあります。それからまたブログを書けるようになりました。

・・・勉強会の会長さんに「(福島におられる方、出られた方)どちらの方の声も真実ですね」と返信したら、会長さんからは、こんな返信をいただきました。

不安を感じるのも、それに対して怒りを感じるのも、真実ですよね。双方、福島を愛しているのは同じ。融和を目指していけたらと思います

その通りだなと思います。

震災1年に、不安な人にどういうふうに接していたらいいかという明確な目標を立て、あれほどリスクコミュニケーションについて書いていながらも、何も進んでいませんでした。

だけど、これから先は、立ち位置がもう決まってしまった(危険だとか不安は消えないという)方々の論破については、いろいろな方々がやってくださっているので、おまかせし、私は、福島を好きなどうしの、融和について考えていきたいと思います。このブログの左の方に、以前に「俯瞰、止揚、融合」という抽象的な文句を書いておいたんですが。また復活したいと思います。

【追記】

だけど、この方は、どうして、帰れないんでしょうね。私のようなものには、そこが一番疑問なのです。まだこの方のブログを読み込んでいないのでわかりませんが。今後、聞けるものなら、別に帰りなというんでなしに、聞くだけ聞いてみたいですが。

こういう方々が、私の行くような勉強会に来れば、帰れるのではと思うんですけどね・・・。そういう欲を出すからいけないのか私は。

日進市の勉強会には、自主避難の方がいらっしゃるかどうかはわからないです。

スポンサーサイト
Secret

TrackBackURL
→http://leika7kgb.blog114.fc2.com/tb.php/850-0fb12c13