去年の今頃は、双子のママが「すべて忘れてゆったりしたい」と
いうので、うちにサンタさんがわりに泊まりに来てくれて
その2日後ぐらいに、まさに10何年ぶりに年末帰省を果たすなど、忙しくしていました。

今年は、受験生の長男もいるので、どこにもいかず、元旦マラソンに子供が出るぐらいなのですが、なんとはなしに、あわただしい年の瀬を過ごしています。

今、福島から山形米「ゆきむすび」が2俵届き(父の実家の七ヶ宿のお米)午前中は、信州の友達からリンゴがひとはこ届き、きのうは隣の畑のおじちゃんから葉っぱの立派な大根を2本いただき、仙台のいとこからカマンベールチーズやかまぼこが届き・・・いただきもの長者となっております。

今年は、昨年に比べたらとってもいい年だったと思います。もちろん、まだまだ課題は山積していますが、昨年の辛さに比べたら、ずいぶん明るいです。
今年なにがよかったかというと、いろいろな内部被曝、外部被曝のデータが出てきたことです。一番最初に私が具体的に思ったのは、震災1年の福島における勉強会で、ひまわり先生が、10分間お話してくださったことです。やはりいろいろ目で見ていても、耳で聞いたことはどうして心にすっと入ってくるのでしょうか。私が文字起こしの内職をしているからかもしれませんが、書きとめることで多くの方に共有してもらえれば、と思いました。
それから、また半年過ぎ、ひまわり先生の同級生のTUF報道局長のやぁどさんによる「ひまわりの種」での危険な人に説明するときのコメントも秀逸でした、箇条書きにして転載しました。

それと、リーフレインさんが主宰する茶話会で、最初は危険派だった彼女が数字を分析し「大丈夫だ」と思ったというお話しをされたことを聞き、彼女が話せば危険だと思う方も、聞く耳を持つのではないかなと、希望を感じました。

そして、家族のリスクマネジメント勉強会のボランティアスタッフになったことで、実際にお会いして、正しい放射線の解釈や、福島への思いを共有できる方と交流できたことは、私には本当によかったです。出身者が故郷を思う気持ちや、また東北に縁がなくても、遠くから東北を見守って気ぃもんでいるひとがたくさんいるのだなということを実感できました。

「福島は負けていられない!」と叫ぶ半谷さんの熱さに感動し、どんな変化球でも受けとめてしっかり投げ返してくれる、男性には希有な存在ののぞさんと長電話したりしました。

若いのに愛知県で福島の復興のためアクション起こしてくれてた高校の後輩アリスト小暮君、/span>茶話会で、物静かにみんなのお話を聞き、絶妙に要所を締める豊橋技科大の相田先生(こごた出身)ら、たくさんの方々にお世話になりました。

それから、ずっと追跡していた、浜松市の広域処理も、一応の決着を見ました。一時、とん挫するか?とハラハラしていたので、ほっとしました。浜松市民としてごみを出さないように努力して、少しでも、反対派に突っ込まれないように、つつましく生活しようと思いを、新たにしたものです。

静岡県のガソリンスタンドで、福島の車がガソリンいれようとしたら、拒否されたから、こっちの人間は静岡嫌っているよ。「静岡の人間」て言わないほうがいいよ。と、昨年夏に帰省したときに、護国神社の宮司さんにきつーい一言言われたので、なんとか静岡の汚名を返上したいと思っていました。

とはいえ、いろいろな失敗もたくさんあります。だけど、ふりかえれば、少し前に進んだな、福島は、と思っています。

福島は、高校野球でもぱっとしないし(今でこそ聖光!)、国体だって開催県の強みで優勝したよーなもんだし、有名人もそんなにいないし、おっとりしておとなしいよーな県とずーっと思っていました。それがこんな思わぬことで脚光を浴びてしまった・・・・なんで?と思いました。

そんなことに理由もなく、答えもないのですが、原子力推進の大きなブレーキになったことは確かです。よく、だれもが「元に戻りたい」と言います。被災者の方、避難者の方はもちろんのことでしょう、だけど、ホウシャノウフォビアの方もよく言います。・・・だけどそれは、「原子力推進をしていた時代に戻る」ということでもあるという見方もできますよね。本当にそれでいいのかね、と、私はいつも思ってツイートとか読んでいます。

(だって、1960年代のセシウム汚染でキノコはすでに汚染されていたんだし。それに、福島第一はもともと壊れていたという意見もあります。昨年、静岡でお茶が高濃度に汚染されていたことも、もしかして浜岡から既に漏れていたということだって、考えられるのですから。ほかの原発立地県だって同様の疑いありです。事故前の汚染具合についてもっと知りたいと思います。なんでもかんでもこの事故のせいといえないのでは?)

福島の外の脱原発の方は、この事故を契機に一足飛びに「ゼロ」に、と思ってると思いますが、それは、日本全体の価値観や生き方を変えることでもあり、それは、福島の人々が生活を失った(福島の人たちが価値観や生活を変えざるを得なかった)ということの犠牲に成り立っている、ということを踏まえてほしいのです。

今、福島の外で運動している人は、この事故がなかったら、どうだったんでしょう。もちろん以前より反対運動をされていた方はおります、でも、にわか運動家が余りにも多すぎるのです。それに明快に答えてほしい。この事故が起きる前に、どうして、反対ではなかったんですか?それはあなた自身に問題があるのではありませんか?ということ。原発推進者だけを非難できません。

そして、そういう方は、エネルギー産業がなくなったときの過疎地の「食いぶち」についても意見して、身を削ってほしい。「どうするかは政治が考えればいいこと」というのはやはり無責任だと私には思えます。

そして、推進者の方も、「安全配慮して」といいますが、ならば、あなたの庭の後ろに発電所や処分場をつくってほしいと思います。安全なら過疎地に作る理由はないのです。

福島県は、脱原発の道を歩んでいます。原発にかわる産業を模索し、原発による交付金を受け取らないなど決断しています。これが本当の脱原発という「行動」だと思うし、社会を変えていくということではないでしょうか。

福島から遠いところで「脱原発でなければ許さない」、・・・と、言葉ばかりに重きを置く方々には、ぜひ、来年は、生き方や行動で脱原発を体現してほしいし、もう少し、福島や東北を思いやった発言や行動をしてほしいと思っています。前にK&Uさんが、「官邸デモで、あんなに人集まるなら、浪江焼そばとか福島の名産品でも販売して復興に役立てればいいのに」っておっしゃってたのですが、だれかやればいいのにね。そして、福島や東北に旅行をして、現地で肌で感じてもらいたいです。

私も、来年も、頑張ります。

来年やりたいのは、これまでの、立場の違う方と何人も別れてきたり、また対立したことについて、もう一回きちんと検証したいということです。私は基本的に一匹狼ではなく、みんなと仲良くやりたいなと思っている人間で、喧嘩するのが本当に嫌いなんです。なのに、どうして何人もと別れてしまったのか。ネット上だからか、どうなのか?それには、先日のリアルにて失敗したことも含まれますが、総括をしていないから、同じことを何回も繰り返すのかもしれません。

そして考えの違う人が、警戒せず来てくれるような場をつくれないのかな?(ネット上に)そいで、冷静に話を進めていけないかな?ということも。

1人では主観に陥るし、私はすぐがーっとなってしまうので、友達と、それができたらな?と思っています。

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