ちょっとブログ主題とは外れますが、介護について、提案というか、
20数年前の福島で実際に始まった試みを応用しての提案を
ここに書いておきます。
ちょっと今時間なく、構成なしで書くので、すいません。まとまんないかも。でも長くなるから分けて書きます。

※ただ、その福島の取り組みは、今どうなってるかわかんないんです。

ちょっと、介護について、友人とやりとりしたからというのもあります。

これからは、介護されるお年寄りが増えます。
今だけでは全然足りません。施設にしてもお金がかかります。施設ではなく自宅で死にたいという人も多いでしょう。施設に入れるよりも、家にだれかに来てもらう、という形の方が望ましいと思います。

ただ、介護施設を経営する側は、人を在宅に投入するよりも、お年寄りを運んできてある一定の定数に詰め込んで介護したほうが効率は良く、大々的に在宅の介護について取り組もうという動きはないのではないか?というのが、私が何となく感じていることです。(違うかもしれません。あくまでも感覚)

これは病気、出産と同じことです。

病気だって、往診よりも患者がこっちに出向いてくれた方がいい。
出産だって、設備のない自宅出産ではなく、妊婦がこっちに出向いてくれた方がいい。

だから、出産、病気、介護、死、すべて、「世話をする側の論理になっている」ということを知るのが、まず、大前提で、それは、実は当事者にはありがたくないシステムであるということを理解するのが先決だと思っています。

昔は、これはだいたい家の中で行われました。
世話する人手では、嫁を中心にたくさんありました。
しかもそれは、お金がかからなかった。その分嫁や女はそれはそれはひどい労働を強いられた。ただで。という社会の暗部でもあります。

もうそんな時代には戻れません。

ただ、出産、病気は、病院に行くことが当たり前なのに、
介護、死は、「あの家では年寄りを、施設にやって・・・」と言われる風潮なのはおかしいってことに、まずだれもが気づく必要がありますね。

そして、介護を「施設にやるのが当たり前」というふうに、世話する側のレベルに合わせることが本当にいいのか、といったら、それも???です。

続く





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