伊東乾氏が、被災した人たちがパチンコをやって時間を過ごすのも
ひとつの対処法だ、というふうに
前向きな言い方をしていたのを前に読んだ気がする。

みんなパチンコ屋満杯で・・・と批判ばかりするが、そういう見方もあるのだと思ったところです。

きょう、詳しくツイートされているのではっておく。詳しく読むと、もちろん、それがゴールではないのだが、それがいいということでもないのだが、・・・というトーンだった。


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重要な指摘の多い島薗先生の「現代宗教とスピリチュアリティ」についてあとで書こうと思うのですが、ここで出てきた飯田史彦という人について調べていたら、なんか歌を歌ったりするんですね、癒しの歌とのことですが、you tube など見ておやおやなどと思っているうちに寝てしまいました。

飯田史彦という人については正直良く知らないのですが、オウム真理教の音楽情宣はいろいろな意味で考えさせられるものでした。率直に、音楽という意味ではあらゆる観点からアマチュアの趣味で、それ自体に語るべき点はないのですが、そういうものを使ってミッションが進むというのは厳然たる事実で

むしろ素人芸でアラが見える程度のPRならまだ良いかもしれず、日本でも海外でも、もっと大掛かりでプロの仕事による宗教的な音楽プロモーションは数多く、一番困るのは、もっとも優れた音楽的内容をもって、救い様のないプロパガンダを撒き散らすもの(たとえばナチスドイツのヴァーグナー利用など)

昨日「文學界」に書いた「福島のパチンコ屋で」という短い文章に被災地のメンタルケアの話を書きました。結論から言うと行政も精神科医も被災地で傷ついた人の心を決して掬い尽くすことは出来ない。そんな中で宗教が固有の役割を果たす訳ですが、そこでスピリチュアルが正反両面で機能しうると思うわけ

「文學界」には、テレビや雑誌が色々恐れてあまり強調しない140年ほど前の「相馬事件」から書き起こして阪神大震災時の神戸と全く違う福島の精神科医療の現状を書きました。この1月10日に相馬に初めて精神科クリニックが誕生したそうで何よりと思います。それまでこの地方は単立医院がほぼゼロで

相馬や双葉に精神科医院が極めて少ない背景には明治初年の相馬中村藩のお家騒動「相馬事件」(旧藩主が精神疾患を疑われて幽閉され社会問題化)以来の経緯があり、被災地でメンタルケアが遅れると蔓延する前欝状態や希死念慮に策が講じれず、少しの安定剤処方で防げる自死を予防できないリスク等あって

私たちが大学とくに哲学科で福島など被災地支援を検討してきた中心にも、神戸と違ってメンタルケアが極めて手薄な被災地状況という認識がありました。その意味で相馬のクリニック開業は何よりと思うのですが、でもそれは精神科医でも出来ることが補われるだけで、行政も医師も何も出来ない部分は残る訳

文藝春秋もオピニオン誌なんだから、こういうことにきちんと取り組んでほしいと思うんだけど、今僕がこれを書くのは「文學界」で、やっぱり雑誌は人ですね、担当者が秀逸だときちんとした仕事が出来ます。精神科医療が「実質崩壊(現地で診療に当たる内科X医師の表現)」している中で、不思議な事に

福島ではパチンコ屋が大変に繁盛して、被災者が昼間からパチンコ三昧はやや社会問題化してみる人もおり、福島大学行政学類にも復興を遅らせる要因としてパチンコを挙げる人がおられます。折角兆の金額を投入しても被災者発パチンコ屋行きあるいはチューハイその他に化け糖尿高脂血症等の病態が大問題で

大の男が昼からやる事がなく小銭を持ってると行くところはパチンコ屋くらいしかないんですよねと聴くわけです。でパチンコ屋が集会場代わりにもなり、勝てば近くのソープに周り、負ければ焼き鳥屋で一杯。パチンコ、ソープ等の風俗、赤提灯の類が大きく成長しつつ復興本体は中々進まないというのですが

実際にパチンコ店を視察して納得が行きました。うるさいんです大変に。遊戯台はピカピカ光ったりする。で、ここにいる間は「自己定位感」が変わるんですね。メンタルヘルスケアなどが著しく立ち遅れた現場で、現在のパチンコは高度なヴァーチャル・リアリティが駆使されていて遊戯中は現実を忘れられる

いま被災者にアルコール中毒や糖尿高脂血症などが蔓延している背景の一員にメンタルヘルスケアが手薄かつ手軽にアルコールなどに手が出せるという現状があるのは間違いありませんが、アルコール以外にもパチンコのおかげである種のメンタルなモラトリアムが生まれ、禅の三昧のような具合で役立っている

「パチンコ三昧」といえばそれまでですが、そういう状況が希死念慮などへの対策がないところで、結果的に人の命を守っているのは、万という単位の人数を考えれば間違いのないところと思います。ただ、ではそれでパチンコ依存になればよいかといわれれば、もちろんそれで復興が進まないのは大問題で、

こういう生な現場には事実報道などでは絶対に書けないしいえないことが山のようにある、「文學界」には「文学だったらこういうとき、出来ることがあるだろう、もうちょっと何とかならんのかね?」と文学界全体にちょっと注文させて頂くような原稿でまとめました。島薗先生の新刊と深く響きあう次第です

地元の大学の先生たちが、ペーパーにも書けなかったと思いますが 「もうあの人たちにお金渡しちゃだめだ、飲んで寿命すり減らしてるだけだから。殆ど自殺」と憤っている席にもご一緒しました。補償は大切ですし、可処分所得は個人の自由でどのようにもなりますが、その間隙には幾つも落し穴があります

ちなみに、こういう問題はすでに1年ほど前から理解しており、昨年の秋には2013年度以降こうした事にも東京の大学群が取り組めるよう科研費申請などアドミニストレータとしての仕事は私自身が細かな事務まで行い、単に指を銜えて見てきた訳ではありません。音楽の日常が大事ですが問題は問題です。

問題の所在は判っても関連では素人の僕があれこれやって動くものでなく社会調査など専門家のチームが組めるよう準備はしてあり科研が動けば対策が立てられると思います。がこういう所に予算がつくかどうかは判りません。予算などつかずとも自分で出来ることは結局音楽本業なので、そこは一貫しています

返信)
ハダ‏@hada_h
@itokenstein 被災者がパチンコに通うから復興が遅れているのではなく、国の復興への方針がはっきりしないから遅れているのです。就職しようにもいつ帰るかわからない人を会社は雇いたがりません。パチンコは復興が進まないことからでた弊害であり、何兆ものお金を被災者が遊交費

.@hada_h 一通りの事実関係は大学の「東日本大震災復興哲学会議」として押さえた上で、ツイッターのようなメディア、あるいは文藝春秋「文學界」のような雑誌にも短文を載せて紹介しています。(だから1年遅れるんですね)詳しくはより細かいレポートをご参照頂ければ幸いです。

.@hada_h さらにいえば、パチンコ屋さんを一方的に悪者にしているわけでもなく、遊戯関連企業とも面会し話を聴いた上で、やっと年末からこうした話題をツイートなどでも出来るようになってきた、という次第です。各地のパチンコ店舗の売り上げの比較など見ると判る事があります。

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それと、震災だいぶ前に書かれた林真理子氏の小説から抜粋。
故郷をなくすということについて。

林真理子「ウーマンズ・アイランド」2006

「あの町のことを思い出すと、本当にむかついてくる」と彼は言った。町というからには、私はとても遠い地方のことを考えたのだが、新橋のすぐ近くだったというのだから驚いてしまった。今は埋め立てられ、高層ビルが立ち並ぶあの街が、20年前まで漁師が住むところだったなんて、どうして信じられるだろう。

「ほら、2人で佃島へ行ったことあるだろう。高層マンションも建ってるけど、小さな木造の家がごちゃごちゃ並んでて、干物が並べられたり網が干してあっただろう。あんな感じだったんだよ」

近所の子供たちの家もみんな漁師で、親たちは東京湾に船を出す。江戸前の穴子とアサリは珍重されていい値段で売れた。だからそう貧乏な家の子はいなかったという。時々は、お小遣いを握りしめて、新橋や銀座まで遠征をする。子供の縄張りはちゃんとあって、新橋や銀座の子と小さな戦いを繰り返した。あの頃は銀座にもちゃんと子供が住んでいたというけれど本当だろうか。

幸福な少年時代が終わったのは、伸二が中学2年生のときだ。この漁師町を再開発し、新しい街をつくるというプロジェクトが進められた。そのために伸二たち一家は、町を出ることになったのだ。お母さんの実家のある田無に移り、お父さんは近くのスーパーに勤めることになった。この時、一家は千万単位の補償金、立ち退き料を手にしていたという。

「結局、金が親父を狂わせたっていうことさ」

それまでも競馬ぐらいはちょっとやっていたお父さんが、大金を手にして、ギャンブルにのめり込むようになった。お酒もよく飲むようになり、女の人ができた。ここまではお定まりの話であるが、さらに悲劇が伸二を襲う。お父さんに愛想をつかしたお母さんが家を出て行ってしまったのだ。



あのころを話すと結構つらいかもしれない。

ずっと前にダムのために村が沈むドキュメントを見た。見ているうちにオレは泣いた。みっともないほど、涙はいくらでも出てきた。自分の住んでいたところが失くなってしまう。あのつらさは経験したものじゃないとわからないと思う。自分の通っていた小学校も、毎日のように行っていた文房具屋兼駄菓子屋も、もちろん自分の家も消えてしまうんだ。友達も散り散りになる。自分は本当に今まで生きていたんだろうか、オレって本当に存在していたんだろうか、っていう気分になってくるんだな。

そしてうちの親父は、漁師を辞め、かなりの補償金を手にして、東京の西の方へ引っ越した。いずれ自分で店を出すつもりでスーパーに勤めたのだ。だけどうまくいくはずもない。ずっと漁師をやっていて、マイペースで気の荒い親父が、愛想よく客の相手ができるはずないじゃないか。

親父は、勤め先を見つけるっていう名目で、うちでゴロゴロし始めた。もともと好きな酒を、朝から飲める名目ができたわけだ。酒乱っていうほどじゃなかったけど、結構飲んで、結構からんだ。だからお袋がうちを出ていった気持ちもわかる。




※どうも、なんか、いろんな文法が効きません。どうしてか?
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