この本1冊で何回も泣いてしまいました。
佐藤剛史「すごい弁当力!」
なんていうか、子供が弁当をつくることでかわってくようすと、母(父)の愛を知るという過程がとてもリアルです。ぜひ、読んでみてください皆さん。

・・・というのとは、別に、私が付箋をつけた部分、これはゼロベクレル主義に対しての貴重な提言と思いましたので、抜粋しておきます。(この本は毒入りギョーザ事件のあと、震災前に書かれたようです・2009)




「安全・安心をこえるもの」

手づくり弁当は絶対に素晴らしいけど、それが絶対に安全・安心か、というと、これが難しい。素手でおにぎりを握れば、黄色ブドウ球菌発生リスクは高まる。食べるまでの時間や温度上昇のリスクを考えると、プロがちゃんと調理プロセスを管理しているほうが安全だ。いくら手づくり弁当でも、素材に、練り物や明太子などの加工品を使用すれば、それに使われている添加物は相当なものだ。

そう考えると、手づくりがあらゆる面で素晴らしい、というわけじゃない。

だけど、もっと大切なこと、大切にすべきことがそこにはあるのだ。

例えばである。
私は、福岡県の二丈町という田舎に住んでいて、周りは農家が多い。そんな農家から、たくさんのおすそ分けをもらう。新鮮な野菜である。
いつもは友人から有機農産物を直接買っている私。
そこでだ。安全・安心に気を遣うなら、「有機農産物ですか?」「この野菜の農薬使用量は?」「栽培履歴を見せてください」と言わなければならない。だけど実際には、絶対に言わない。言えない。

まず、食べて危険なものなんて、彼らが私にくれるはずがない。
では、その野菜に農薬が使われ、農薬が残留していたらどうだろう。私は受け取らないだろうか。受け取っても、食べずに捨てるだろうか。

やっぱり、美味しくいただくはずだ。だって、その人の気持ちがうれしいではないか。

弁当でも同じだ。せっかく作ってくれた弁当に、例えば、かまぼこが入っていて、「添加物が」とか「着色料が」とか考えて、残せるはずがない。

安全・安心の弁当は、お金さえ出せばいくらでも買える。しかし、それを保証してくれるのは単なる表示だ。そうして、買った弁当を平気で残し、「だって私がお金を出して買っているんだから」と開き直る。

こんなんでいいんだろうか。

◎弁当に込められた心(高校2年生 男子)
お腹が減ったからと、午前中に買ったパンなどを腹いっぱい食って、親の作った弁当を残した自分が情けなかった。僕は何も考えず、人の心を踏みにじっていた。母は、弁当が残っていたときは、とても悲しかったんだろうなぁ。とても反省させられました。これからは弁当を作ってくれるありがたみを感じて、残さず美味しく食べようと思いました。

私だって、健康でいたいし、長生きしたい。だけど、表示だけで保証された安全・安心の食べ物を食べても、表面的な人生でしかないんじゃないか。
人の気持ちをありがたく受け取ることができずに、いくら長生きしても、そんな人生はなんか味気ない気がする。
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