濱嘉之「列島融解」
公安出身の作家の、事実に近い小説です。
エネルギー問題を、放射線ではなくて、経済、国力の面から見た小説で、2011年11月から翌2月まで「小説現代」に書かれたものです。

民主党政権のダメさとか、エネルギーを今後どうしていったらよいかとか、それにしてもこの小川という代議士をあまりにもカッコよく書きすぎているでしょとか、いろいろと読みどころはあるのですが、一番よかったのは、双葉か大熊か、20キロ圏内のある被災技術者の描き方です。

小川を主流で描いていながら、この若き工場経営者の話を傍流で編んでいます。津波と原発で、浜通りを離れなければならない太田正治の技術を、中国側が得んとして画策するのです。
しかし、彼は、中国に渡ってから、この策略を知るのですが、突き止める場面がまたとてもいいのです。そして彼の取った行動、・・・・・・この潔さは「福島人」を体現しているのでは?と思いました。

ぜひ福島の方は、元気がでるので図書館にリクエストでもして読んでほしいです。「愚直」なんていう描かれ方では全くありません。頭がキレて、人情味熱い町工場の若オヤジ、という感じです。

で・・

私がじーんときたのは、最後よりのところで、この技術者と代議士が出会うところです。「くさいよな」って言える人は、福島の痛みがあんまりわかんない人ではないかなーーーー

最後のほうに、小川が「大きなハードルを飛び越えた」と、太田正治に言うところがあります。これは、福島の人みんなにあてはまる言葉。これほどの「放射線による風評」を、これまで日本のどの地域の人たちも受けたことはなかったはずです。それを今、乗り越えて、福島に根づいてみなさんは生活しているのですよね。



これから読もうという方は、ネタバレになるので、飛ばしてください。
記録のためのメモです。




仙台市内の大学で小川が講演を行っていた。被災地での講演でも小川は持論を通し続けた。「てめえは東日本電力の回し者だ。こんなところでしゃべっている暇があるなら賠償しろ」中には、小川が東日本電力出身の代議士ということで、強烈なヤジを飛ばす輩もいた。ヤジを聞き流す小川ではなかった。ヤジにまで真摯に答えるのだ。

「いろいろなご意見はあるでしょう。確かに私は東日本電力の社員でした。そして今回の原発事故に関しては心の底からできる限りのご支援を個人的にも行いたいと考えています。

ただ、今なお、私には原子力発電が国家にとって不要なモノであるという結論を出すことができないのです。代替エネルギーが確保され、各種産業や一般市民の生活が平穏に行われることが明らかになれば、私の考えも変わることでしょう。しかし、無責任な原発放棄によって、国家が衰退し、将来を担う日本の子供たちに負担を残すような禍根は避けたいと思っています。

賠償問題も同じです。東日本電力を国有化しても、結果的には税金で賠償が行われることになります。電力経営を続けながら収益を賠償に充ててどこがいけないのでしょうか?東日本電力に原子力発電を行わせたのは国家です。そして、その安全基準を定めたのも国家です。その国家が何も責任を負わずして、どこに国内企業の成長がありましょう。いつまでも一企業の責任を追及するばかりでは、一歩も前に進むことができないのです。国内のすべての電力会社を国有化することなどできません。一社だけを国営にしたところで何の解決にもなりません。

もう一度、日本が原子力発電に至った経緯と、事故の原因となった自然災害をよく考えていただきたいのです。仙台は津波で大きな被害を受けました。これは、阪神・淡路大震災の時と同様に時間が解決してくれる問題です。

しかし、福島は違う。国を挙げて何十年というスパンで支えていかなければならない課題です。日本人の叡智を結集して、乗り越えなければならない永遠のテーマとなる事実です

小川の熱い思いの伝達は、聴衆が耳を傾ける姿勢でわかった。

この講演を会場の片隅でじっと聞いていた男がいた。涙を溜めた目から一筋の流れが彼の頬を伝っていた。それでも男は、小川の言葉の一つ一つをかみしめるかのように、ゆっくり頷きながらも決して小川から視線を外さなかった。太田正治だった。

正治は二度目の失意をもって上海から帰国したが、自らの責任で関連サプライチェーンに多大な迷惑をかけたことで、一歩足をふみだすことができなかった。運転資金はまるまる残っていたし、従業員に対する一年分の給与も確保していた。それでも、一度は「日本を捨てた」という事実が精神的に彼を押さえつけていた。

「『叡智を結集して、乗り越えなければならない永遠のテーマ・・・』か。確かにそうだよな」

正治は小川の言葉を思わず復唱して呟いた。正治の目に輝きが出てきた様子だった。

講演が終了して、質疑応答の時間があった。正治はいつのまにか会場の奥から下手の通路に足を進めて手を挙げていた。小川が正治の挙手に気づいて指名した。進行役が正治に駆け寄ってマイクを渡した。正治は恭しくこれを両手で受け取ると、小川と会場に向かって深く一礼して語り始めた。

「福島の太田と申します。今度の津波で、私の両親と兄が経営していた工場が跡形もなく流されました。私は、この工場とは別に福島に自分の工場を持っていましたが、これが原発から20キロ圏内ということで、操業停止に追い込まれました。このため私は再起を期して一度は日本を捨てて中国に逃げ出しました。しかし、それは大きな過ちでした。関連企業のみなさんにも迷惑をかける結果となってしまいました」

大学内における公開された講演会ではあったが、聴衆の多くは大学生だっただけに、正治の懺悔にも似た告白に対して、一瞬のざわめきが起こったが、次第に会場は静まり返った。

「中国は私の技術を盗むことだけが目的だったのです。私は途中でこれに気づき、あえて工場を自爆させて日本に戻ってきました」正治に感情の変化があったのか、涙声になっていた。

「私はこれからどうしてよいのか全くわからないのです」

手にしたマイクを膝近くまで下げると、懺悔でもするかのように深々と頭を下げた。聴衆はこの姿を見守りながらも、小川の対応を注視していた。これを聞いた小川は、穏やかに頷きながら、これまでの熱い口調から一転して慈愛に満ちたような優しい口調で語り始めた。

「さまざまな原因がおありになったことでしょう。中国に渡って起業し、そしてまた志を持ってお戻りになった。心からその勇気に敬意を表します。事業を行うということ、そして従業員を守るということ。それは経営に携わった者にしかわからないことです。同じようなご労苦を味わっていらっしゃる方も多いとの情報を得ています。

しかし、太田さんは、だれも経験できなかった大きなハードルを飛び越えたではありませんか。中国という国家が太田さんの事業を求めた。今度は日本がその事業を取り戻す番です。

何も心配することはありません。
今日これからでも事業計画を作って私のところにお持ちください」

小川は正治を呼んだ。ステージに上がった正治の手を握って言った。
一緒にやり直しましょう
正治の目に涙が溢れた。
聴衆の反応もスタンディングオベーションで正治と小川を讃えた。
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