福島は、風評やデマでずたずたにされました。
憎んでも憎み切れない、悪魔の伝道師や政治家、マスコミはたくさんいます。

いじめはいけないとかいいながらも、明らかにこれはいじめでしょう。目には目をが信条の私としては、どうやってぶっちめしてやったらいいべかと、日々思っているところでした。が・・・

しかしながら、いつまでもその思いにとらわれていてはいけないのかなと、ふと思った文章をご紹介します。




名僧と評判の松原泰道禅師の著書「人生を豊かに生きる12章」より

今、いじめがだんだんひどくなってきているといわれます。
最近ではインターネット上などでもいじめが起きていると新聞にでていました。

いじめが起こらないような環境づくりは大切ですが、
一方で、私はいじめというものは絶対になくならないと考えています。
いじめをどんなに減らそうと努力してもなくならない以上、
いじめられた人間がそのマイナスの経験をプラスにして、
世の中に役立つような指導をすべきだというのが私の持論です。

そこで、私は「”報復”から”報幅”へ」という言葉で、
いじめから起こる復讐の連鎖ではなく、
逆に相手と自分の幸せを念じていこうということを考えています。

「ふく」の字を替えることに意味があるのです。

江戸時代後期の学者、塙保己一(はなわほきいち)は7歳の頃失明して、
江戸へ出てきて鍼や按摩、今で言うマッサージの技術の指導を受けたのですが、
いくら学んでも技術を習得できません。
彼は将来を悲しんで自殺をしようとまで思いつめたのです。

たまたま学者の門に入りますが、一度読んだ書物は決して忘れないという
記憶力の豊かな希有の学者になります。
それまで全国に散在していた史料書を一読暗記して、
「群書類従」という膨大な叢書を編纂されたおかげで、
私自身もどれだけご恩になっているかわかりません。

保己一は若い頃、ある国文学者から、大事業をなそうと思うなら神仏の加護を得なければ
成功しないといわれたので、たまたま天神様を信仰するようになります。

江戸に出てきて、各所の天神様にお参りします。
ある大雪の日、平河天神へお参りするために歩いていたところ、
高下駄の鼻緒が切れてしまいました。
平河天神の前にあった前川版木店という、現在の出版業の店に行って、
ひもの切れ端をくれませんかと頼みました。

当時の通貨は穴開きだったので、多くの商店ではその穴にひもを通して店先につり下げてありました。
版木店のいたずら盛りの小僧たちは、まだ使用していないつり下げひもを、
手渡しせずに雪の中にぽいって放っといて「あそこになるから拾え」と言いました。

それを保己一が一生懸命に探すのです。盲目の人が雪の上で、見当違いに探しまわるのを
面白がって、小僧達は手を叩いてはやします。
保己一は恥ずかしさで顔を真っ赤にして、鼻緒の切れた下駄を下げ、はだしで帰りました。

それから何十年かたって、江戸幕府の援助もあって「群書類従」が完成し、
いよ出版というときになって、どこに出版をさせようかという評議になりましたが、
容易に決まりません。そのとき、保己一が遠慮がちに
「私も推薦申し上げたい出版店がる」と発言すると、
幕臣たちが「塙先生がおっしゃるなら」と言って決まったのが、
平河天神前の前川版木店だったのです。

版木店の主人は、光栄であり、お金も儲かることですから、保己一にお礼を言うために会いにいきました。
すると、保己一が「いや、お礼を言いたいのはこちらです。
あのときこういうことがありました」とその時のことを話しました。

それを聞いて、版木店の主人が恐縮して、店の小僧の無礼を詫びると、
保己一は「いいえ。そのおかげで今日の私があるのですから」と丁寧に感謝するのです。

自分の受けたいじめをプラスにして、自分も成長して相手を救う。
そしてこの「”報復”から”報幅”へ」という言葉を使っています。

私は、こうした「報幅」を考えているのですが、
日本人は仏教やキリスト教の入る前の昔から、
そういう豊かな精神があったように思えます。

日本神話には神武天皇の東征という武力進出の話もあり、
封建時代には内戦もずいぶんありましたが、
相手をとことんまで憎もうという気持ちはなかったのではないでしょうか。




実はこの文章にふれる前に、ある福島の女性のツイートのやり取りも、心に引っかかっていました。


ご紹介しましょう。

恵‏@okdysdK

たとえば何かの不幸が降りかかってきたとして、その原因を作った「誰か」を特定できるのとできないのと、どちらが辛くないだろう。私は原因なんてわからないほうがせめて心安らかにいられそうな気がするけれど。

「許す」「許さない」というのも、自分を不幸にした相手を許さないことで、果たして相手にどのような影響を及ぼせるというのか。最も消耗するのは許すことのできない自分。



Mino Hasegawa‏@kounenki45

@okdysdK 同感です。そして、激しい憎しみや恨みに心が占められているとき、相手を「許す」ことでもっとも救われるのは、自分に他ならないのだろうと思います。


恵‏@okdysdK

@kounenki45 ほんとに。でも頭ではわかっていても感情のコントロールって思うようにいかないんですよね。minoさんに同感って言ってもらえるとうれしいです♪



こんな心根の方が福島においでだということに私は「やっぱり福島はすげー」と思うのでありました。こんな母上に育てられたお子さんは、どんなにかいい子でしょうね。いつもテレビ見て、新聞見て悪態ばっかりついている私を見ている子供とは、大違いだと少し恥ずかしく思いました。

Minoさんからは、実際の場面では自信がないというのがホントのところです、ともお聞きしました。

許すことは難しいし、なかなか、そっちへむけられないけれど、私もそういうことも目指していかないとなんだなと、思ったのでした。

塙ほきのいちさんもいじめられたおかげで、今の自分があるといっている。

先日もまたどなたかのツイートで、この問題があったからこそ、こんなに素晴らしい友人や同志と巡りあえた、そいうことを書いていた方もおられる。

そういう福島からのプラスの空気により、間違った人たちが気づくように、もっていくことができたら・・・・と間違った人たちも救えるということになるのかと思います。難しいことですけど。


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