玄侑さんは、慎重派でしたが、あるとき、民報で
「子供の方が放射線の影響を受けないのでは?」と
述べて、危険派からたたかれるなど、次第に主張方向が変化しています。

また、佐藤氏は震災直後から「みなで上に立つ者のいうことに全力で支持し、大政翼賛体制をつくるべき」と主張しており、なるほどと思わされました。

2人ともあんまり好きではないんですが。対談では特筆すべきことを言っているので、記録のためにメモです。抜粋するつもりでしたが、けっこうコピペしてしまいましたが・・・

◆ごとにトピック立て。(◆のついていないものは、続きの会話。◆のみだしは私がつけたやつ)


福島と沖縄から日本を読む~玄侑宗久vs佐藤優 「文學界」2012年3月号(文藝春秋)

◆菅氏のカン

佐藤「おそらく玄侑先生に復興構想会議に入ってくれと頼んだのは、菅直人さんのポピュリズムではなくて、菅さんの中に、何か合理性と違うところのものが入らなければならないという直感があったのではないでしょうか。」

◆いいわけがましい官僚・使えない政治家

玄侑「たとえば、今後、放射線教育を充実させなければいけないだろうとお申し上げたら、文科省が持ってきたのは「もう、すでに教科書に載っていますよ」というコピーなんですよ。重点を入れて教えているわけじゃなくとも、教科書にここまでは載っていますと」

佐藤「要するに、自分たちは仕事をしているというエクスキューズですね。官僚の人たちは特有の文化がありまして、玄侑先生や私とは子供の頃からだいぶ違う生活をしてきた人たちだと思うんですね。基本的に褒められるのが好きで、怒られるのが嫌いだという文化を持ってるんですよ(笑)。何かをやっていないと、怒られる可能性がある。怒られるのは嫌いですから、「こういうふうにやってますよ」と事前に示しておきたいわけですね。

 それから、逃げるのが職業の一部分ですから、天才的な知恵を巡らして責任を回避するんです。官僚の世界に権限争議っていう業界用語があります。消極的権限争議と積極的権限争議とがあって、経済産業省は、何でも自分の仕事にしたいので積極的権限争議が好きなんです。外務省は、とにかく面倒くさいことには触りたくないので、消極的権限争議が大好きなんですね。」

玄侑「そのくせ、これまでに経験のないことについて提言すると、ピタッとやって来なくなるんです。」

佐藤「先例がないと思考が停止して、視界の外になりますからね。」

玄侑「というのは、大地震が起こった直後に私がいちばん問題だと思ったのは、第一原発周辺の立地町村の未来なんです。ユダヤ人のように故郷を離れてバラバラに住まざるを得ない状況が続く中で、はたしてこのままチェルノブイリみたいに、昔はこういう村、こういう町がありました、とコミュニティが朽ち果ててしまうのを座視して待つのかという問題です。要するに双葉町なり、富岡町なり、大熊町を再編するとか、新たにどこかに用意した土地で集まって暮らしてはどうですかというやり方をする気はありませんか、と第一回の会議で訊いたんです。福山官房副長官(当時)が休憩時間に近づいて来られて、じつはそういう考え方も検討しています、と言われた。十万人規模で移転できる場所が国有地などで取れないか、検討しますとおっしゃったんですが、その後どうなったのか、うんともすんともありません

 それから野田政権に代わって、はっきり言って、菅総理が作った会議を受け継ぎたくないんだなという感じはすごく伝わりました。法的には、復興庁ができた後に復興構想会議は解散して、復興構想委員会に変わることになっています。われわれは同じメンバーがそこに入るのかなと思っていたんですが、どうもそうではなさそうですね。」

佐藤「まだ宙ぶらりんな段階なんですね。」

玄侑「ええ、十一月に行われた第一三回が野田総理の招集した最初で最後の会議でしたが、じつはその時、第一回と同じことを訊いたんですよ。代替地の問題ですね。除染して戻るという考え方はわかるけれども、実際にアンケートを取ると、若者の半数以上が戻らないと言っているわけです。若者のいない町なんてあり得ないですから、ならばその代替地――私が思うのは猪苗代湖の南側、湖南あたりの国有地ですが、そこに町ごとのエリアを開発して移動してもらうという考えはありませんかと、もう一回訊いたんですね。すると、まったく初耳のように平野復興対策担当大臣が「重大に受け止めて検討します」と。あれは何語なんですかね。」

佐藤「本当に初耳だった可能性があります。」

◆(左翼が嫌いな)自衛隊なしでは、ここまでこれなかった

玄侑「今回、戦後の枠組みの様々な問題点が一気に吹き出したように思います。その一つとして、自衛隊という存在が新しい意味を持ち始めたような感じがしています。・・・それが今回、この国になくてはならない集団だと痛感しました。イラクでもインフラ整備とか、ソフト面で活躍する集団としてとても感謝されましたが、今回も被災地が「自衛隊の皆さん、ありがとう」という横断幕を自分たちで作って、何枚もあちこちに張ってるわけですよ。自衛隊がいなければ、被災地の復興は端緒につかなかったよ、とみんな思っています。壊れた建物や車を片付けることはもちろん、アルバムを拾って、写真を保管してくれたりした。時にはメンタルケアまでやってくれたこの集団は、ちょっと世界でも稀有な存在だと思うんですよ。非常にうつろな存在として出発しながら、独自の地位を今回、獲得したような気がするんですね。」

佐藤「国家は社会なくしてあり得ません。今回発動したのは、国家の機能というより、社会の機能としての自衛隊だと思います。今、うかがったのと似た話を、先日、岩波書店の「世界」の編集長から聞きました。「世界」は反戦平和、九条断固擁護という編集方針を取っていますが、被災地を回っていて、自衛隊に関する印象が完全に変わったと言うのです。道一つ聞いても丁寧だし、遺体の処理をきちんとやってくれる、と。」

玄侑「本当です。埋葬作業もできず、供養もグリーフケアもできない被災地の環境で、自衛隊の人たちがずらりと並んで一糸乱れず敬礼するというのが、ひとつの埋葬儀礼になりました。それを見て、みんな合掌して涙を流したんですね。」

佐藤「おそらく、警察予備隊ができる時の発想だった郷土防衛隊みたいな要素ですね。ある意味では自衛隊には、下から出て来る要素と、上から出て来る要素と両方あります。この下からの要素が、今回非常に可視化されたのではないでしょうか。」

玄侑「結局、自衛隊にとってメインの仕事は災害復旧でしょう。これまで一人も殺していないし、人を生かす、救うこともずっと徹してきたのが、ここに来て「私たちの自衛隊」となったように感じます。」

◆永世中立国になれないか

玄侑「私なんかはいまの自衛隊の状況を一つの僥倖と見て、この軍隊ならざる集団を持ったまま、永世中立国になることはできないのかなと思ってしまうんですよ。つまり、安保という枠組みを外す道です」

◆(左翼が嫌いな)天皇なしではここまでこれなかった

玄侑「もう一つ言わせていただくと、天皇家が、今回やっぱり大きな働きをされたと思うんですよ」

◆循環型エネルギーは本当に循環するのか

佐藤「私が『福島に生きる』を読んで非常に感銘を受けたのは、いまの太陽電池みたいな発想というのは、結局、エコロジーでも循環型のエネルギーでも何でもなく、二十年後には大量の廃棄物を出すということです。またシリコン、ケイ素の有害性について、データがきちんと出ていない。」

玄侑「この世に完全に再生可能なエネルギーなんてないでしょう。脱原発の後のことも安易に考えてはいけないのに「脱原発」に依存していたりする。ただ、原発事故後の国の慌てぶりや、何もわかっていなかったことが露見した状況で考えると、あれは管理できるようなリスクではないですよね。ハザードというか、カタストロフィーです。」
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