「福島の広告マン」、箭内さんインタビューです。
http://ext.yahoo.co.jp/fukko/yanai/index.html
■多様化、複雑化している日本をつなぎたい

―震災から2年で思うことは何ですか?

時間がたてばたつほど傷が癒えたり、何かが解決したり、減っていったり、というのが普通なのかもしれませんが、この2年で少しも進んでいないことは山ほどあります。そればかりか、難しい宿題や問題がまた新たに出てきます。だから「今が一番つらい」と言う人もたくさんいます。
それと、福島ってこうなんです、福島の人と話したらこう言っていましたっていうことを、福島のすべてをくくったようなかたちで発言することの不可能も日々痛感しています。

そう思うと、じゃあ全国の人たちは、このこととどう向き合っていけばいいんだろうってことが、いったんわからなくなってしまうんです。何かを言うことも、することも怖くなる。同情されたくないという声も聞こえてくる中で、それでもやさしくしたいとか、力になりたいっていう思いはやっぱり尊いものであることも確かです。その気持ちが福島の人たちを傷つけることなく、自然なかたちで思いやり合えるような、「調整」が必要なんだと思うんです。善意や正義の表現の難しさも含め、陳腐な言い方なのかもしれませんが、「つなぐ」ことがとても大切になってきているのを感じます。


―今年1年でどんなところが変わった、変わっていないと思いますか?

最前線で日夜働いてくださる方々には心から敬意と感謝を抱きながらも、目に見える復興の速度は、もっともっと早くならなきゃならないと思っています。

もちろん200万人全員の話は聞けていないけれど、もう何ごともなかったように生きて行くんだって決めた人と、まだ前を向いて歩きだすこともままならないっていう人と、その差も1年目よりも大きくなっているように感じます。忘れないでほしいと語る人がいれば、震災の話はもう聞きたくない、放っておいていてほしいという人もいます。
福島から避難をした人としない人の間にも複雑な思いがあります。たとえば自主避難をされているお母さんたちから「I love you & I need you ふくしま」(猪苗代湖ズ)に対して、「あの歌が嫌いです」と言われたことがありました。故郷を愛する気持ちを強制されているように感じて、自分が福島を捨てたと責められているように思ってしまうと

溝があります。たとえば「お前は、ふるさとを捨てて出て行くのか」って残った人は言います。避難した人は「あなたも早く避難をすべきだ」みたいに言います。正解のない中から自分が選択したぎりぎりの答えを肯定するために、逆の道を選んだ相手を否定してしまう苦しさがそこにあります。でも、その溝もようやく少しずつ冷静を取り戻して、もし何ごともなく福島に帰ってきたら、「おかえり!」って笑顔で迎えなきゃね、という空気は福島の中でも感じるようにもなりました

今、僕は福島に「残る」って言ってしまいましたけど、「残る」という言葉自体にも「俺は残ったんじゃない。もともと住んでいたんだ」と言う人もいます。その通りです。被災地とすら呼ばれたくないって言う人もいますし、悲劇の地としての『フクシマ』ってカタカナで書かれたくないって感じる人はたくさんいます。そういう意味で今すごく、言葉の難しさを感じますね。人と人の間にある言葉が、不用意に、相手を傷つけるつもりもないのに無駄に傷つけ合ってしまっているとしたら、日本人ってもうちょっと言葉を使ったコミュニケ―ションにおいて上達をしなくちゃならない時なのかなと感じます。人の敵は人じゃないから。


■勝手に「福島」を広告しています

―ご自身は震災1年目、2年目で変化はありましたか?

1年目は、もう浮足立っているって社員に言われるくらい自分でも無我夢中で、走らなきゃって感じでいました。少しずつ冷静になってみると、いろんなとこでいろんな新しい問題が発生しているってことが見えてきて、やらなきゃならないことが止まらなくなっています。全国をライブで回るなんてことが本当に必要なのか、とも言われましたけど、自分では、そこが足りないと思うからやらなきゃいけないって思っています。足りないことがすごく気になって、足りない場所をどう自分のできる範囲で埋めていくのかってことの連続になっています。

―ご自身の役割は何だと思いますか?

震災後からずっと思っていることは、自分が20数年間たずさわってきた広告という仕事で得た技術と人脈を、どう福島に生かし、ささげられるかっていう部分です。勝手に僕は福島を広告しているんだと思うんですよね。頼まれてもいないのに。福島の人が、今何がほしくて、何がいらなくて、何に悩んで、何がうれしいのかっていうことを、全国に広告することがひとつの自分の役割だと思っています。

■違うところを尊敬し合って、同じところを大切にしたい

―今後力を入れたいことは何ですか?

今「風とロック LIVE福島 CARAVAN日本」というかたちで、福島だけでやっていたロックイベントが、全国を回っています。まずは沖縄や長崎や広島や神戸のような、大きな苦難を乗り越えてきた先輩方の土地をちゃんと知らなきゃというふうに思っていて。東京もあるんですけど、思えば東京も関東大震災の被災地ですよね。そう考えると、必ずすべての街がいろんな苦難を乗り越えてきた街だと思うんです。

僕はこのキャラバンを、「ふるさと交換会」って呼んでいるんですけど、たとえば福島の人が沖縄のことを初めてちゃんと知ることで、やっと相手の思いをリアルに理解できるっていうことがあると思うんですよ。そうやって日本中が、自分の生まれた土地を見つめ直せるようなことができると、全国どこで何があっても、その時みんながその場所に思いをはせることができるんじゃないかと思います。

―沖縄のライブには福島の人は来ていましたか?

思ったよりたくさんの方々がいらっしゃっていました。沖縄と福島って似ているなって思ったんです。みんなで考えなきゃならない問題を小さな土地に預けっぱなしにしているような感じがして。あと、福島の人の我慢強さと、沖縄の人のおおらかさと、そこに全国の人が甘えてちゃいけないなと、そんな中で問題の解決が遅々としている部分は共通するんじゃないかって思いました。

―今年の3月11日に発信したいメッセ―ジは何ですか?

ひとりひとりが静かに胸に思いを刻む日。2年前にあんなにたくさんの方々がお亡くなりになった命日ですから。そんな中で、やっぱり今、気持ちの分断が一番心配に思います。もちろん物理的にも問題は尽きませんから、しっかりと手分けをして復興に向かって行かなければとは思いますが、自分が一番心配しなきゃいけないって思っているのはその、人と人の部分ですね。

放射能の功罪のひとつは人々をバラバラにしたことだと思うんですよね。住む場所もそう。避難するしないも、賛成と反対も、人が報道や行政を信じることができないっていうのも。様々なことが二分されてしまったわけです。そのバラバラを今すぐひとつにするっていうのはたしかに無理かもしれないですけど。
「I love you & I need you ふくしま」の次として、「Two Shot」(THE HUMAN BEATS)という歌を、亀田政治さん、キヨサク(MONGOL800)、Mummy-D(RHYMESTER)と出しました。今、何かひとつ言いなさいって言われたら、その歌詞に書いたように、違うところを尊敬し合って、同じところを大切にしたいものですね、みなさん」と言いたいですね。それはもちろん自分にとっても大きな宿題です。
スポンサーサイト
Secret

TrackBackURL
→http://leika7kgb.blog114.fc2.com/tb.php/992-e2a13d1e