今、読売では、原発のドキュメント連載とともに、
菅野飯舘村長の「時代の証言者」の連載もやっています。
どっちも切り取っています。泣きながら読んでます。(震災2年でいっぱい報道があってなんか震災後のようにないってばっかしでした)

首長の差

ほんと、同じ首長でも、双葉と飯舘では。。。大違いだなと思いながら・・・。でも、井戸川さん、前も書いたけれど、自分の給料返上して財政再建図ろうとしたり、私の病気の知人のことを訴えたらすぐ連絡とってくれたり、「情の人」ではあったんだけれど・・・・やっぱり放射能怖いが重なったんだろうと思います。

菅野町長は、長野県のある町に500人とか、そういう人数割りの図を国から提示されて、怒ったんだそうです。「どんな思いをしてこれまで村を作ってきたと思っているんだ!」って。そんな遠くに、ばらばらになど絶対に無理だと。井戸川さんとは大違いです。。。

「までい」の記憶

さて、その飯舘の「までい」ですが、私も死んだ祖母がよく使う言葉で知っていました。ただ語感としては「までーに」というふうに言っていました。
「Kはまでーに拭くなあ」「Kの庭掃きは、までーだなあ」ってよく言われて(褒められて)育ち、おかげで、自分が器用と勘違いした大人に育っちゃいました!!
でも、器用な祖母の手仕事ぶりは私の中に残っており、祖母にかわいがられたことは私の根幹を作っていると思います。

飯舘が脚光を浴びて「までい」ということばにふれたときに、祖母のことを思い出したのですよね~~~ずっと忘れていた言葉だったのにね。

生きる姿勢

伊集院静氏、いい男なんですが、「大人の流儀」に出ていました。伊集院氏のよくいく気に入りの料理店のことをこう書いています

「清潔、身綺麗は、丁寧につながる。丁寧は仕事の基本である。丁寧は、人間の誠実が、これをさせている。誠実は生きる姿勢である」

これは、「までい」ということですよ。

私は、までーに子供を育てていないよ

震災後、PCに向き合う時間がものすごく増えました。子供がいてもほったらかしのときもずーっと続いていました。「福島のための命をかけた趣味」と、長男に言われつつも(彼はそういいつつ福島ファンですから==福島で生まれたのは兄弟であの子だけですし)気にせずやっていました。

でもどうなるかというと、まあ、子供や家のことがほったらかしになりますね。もう子供たちは、ランドセルも机もぐっちゃぐちゃ、プリントもそこら足の踏み場ない、靴もそろえて上がらない、いつまでもいつまでもカードで遊んでて。宿題しなさい!!といつも鬼の私になっているという、そういう日々。

子供たちは・・なんかこう、だらだらと、楽なほう、楽なほうに逃げるように育ったような気が・・・。

私は子供の頃こんなじゃなかったような気がする。おっかない祖父がいて、やさしい祖母がいて、姉ともっと規則正しく、身辺綺麗に、丁寧に、やっていたような気がするんだ。私は、までーに育てられていた気がするんです。

これは男4人兄弟と、2人姉妹の違いか・・・。でもそれだけでもないと思うんだ・・・私がPCばっかりやってるからかもしれないよね。

私も、もう、そろそろ、家のこともちゃんとやる、までーな主婦、子供の勉強も、までーに見てやるお母さんにならなければなあと、思うのでした。

読んで「なるほど~」だけでは、菅野町長に申し訳ない。読んで「実行!!」で、飯舘の精神を、広めていきたいです(my家庭に)


スポンサーサイト
Secret

TrackBackURL
→http://leika7kgb.blog114.fc2.com/tb.php/994-d5eb6cdf